松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2017年4月5日水曜日

朴槿恵時代と共に

2017年3月31日(金)未明、朴槿恵前大統領は拘束され、ソウル拘置所に収監された。



3月10日(金)、憲法裁判所で大統領弾劾が認容され、朴槿恵は罷免された。
3月12日(日)、青瓦台からソウル江南・三成洞にある私邸に。
3月21日(火)、ソウル中央地検に出頭、14時間に及ぶ取り調べ。
3月27日(月)、検察が拘束状を請求。
3月30日(木)、ソウル中央地裁に出頭し、翌日未明拘束が認められ、拘置所へ。


 3月31日はセウォル号が3年ぶりに引き上げられて、木浦港に到着する日でもあった。


 2014年4月16日、セウォル号が沈没した事件は、小生が韓国遊学を始めて5か月ばかり経った頃だった。語学堂での授業中に、B先生が「何か大きな事故が起こったみたい」と話した時のことをよく覚えている。その日の夜のテレビ・ニュースで見た、この事件の映像は未だ鮮明である。
 このセウォル号事件が、韓国初の女性大統領として輝かしい出発を果たした朴槿恵政権の躓きの始まりであり、この日の「空白の7時間」は弾劾理由の1つとなった。彼女が5年間の大統領任期を全うできず、弾劾、罷免、逮捕拘束、収監となる日のことを、この頃、誰が予想できただろうか。

慶尚監営公園の桜

 3月31日、偶然にもこの日が小生帰国の日となった。韓国遊学は、まさに朴槿恵時代と重なったのだった。

2017年2月16日木曜日

2017年2月16日(木)

2月13日、マレーシア、クアラルンプール空港で金正男が暗殺された。45歳。


嶺南大学の教職員専用食堂「善香斎」の定食。5000ウォン。


慶山市、「南山食肉食堂」で韓牛焼肉を食べたあとのテンジャンチゲ。


嶺南大学前に出来た日式食堂「キャー」の辛牛丼。9000ウォン。


東仁洞「ワンゴミクイ」のオドレギ。白いのは牛の血管(コリコリ)。


オドレギが牛スジと聞いて訪ねたのだが、違った。センコギ(生の牛肉)が中心の店だが、少々期待外れ。これはテッチャン。


寿城区の「청진동해장국」の「뼈다귀해장국」。この店のヘジャンクッは、牛の血を固めたものと、この背骨にくっついた肉を煮込んだものと2種類ある。この背骨肉はカムジャタンに使うものと一緒だという。


大学の近くの食堂で、タラチリ定食。透明なスープに入っている唐辛子が結構辛い。

趙允旋と羅卿瑗(3)

 小生が寿城池で日本語を教えている50代のアジョシたちの間では、チョ・ユンソンの方が人気がある。マッコリを飲みながら「チョ・ユンソン、ウィハヨー」(チョ・ユンソンのために)「チョ・ユンソン、ソッバン!」(チョ・ユンソン釈放!)といいながら、何度も乾杯する。たまにネタが尽きると、「チェ・スンシル、ウィハヨー」と乾杯したことも(笑)。

女性誌のグラビアで、SGドラゴンと

 彼女の映像を Youtube などで探して見た。江南のお嬢様として育ち、才色兼備、弁護士となり、コロンビア大学ロースクールに留学、国際会議では流暢な英語を話し、美術やオペラに関する著作もある。政治の道に入り、朴槿恵に認められたために、大臣から監獄へと転落した。彼女は検事の取り調べに対して「私は悪いことをしていません。用心に用心を重ねて、ここまで来ました。私はきちんとした人生を生きてきました」と泣いて訴えたという。
 小生の見るところ、ブラックリスト作成は前任者から引き継いだ事項に過ぎず、黒幕はキム・ギチュンである。国会での彼女の偽証はあったにせよ、せいぜい辞職等で済む程度の問題だったと思うのだが、政局の焦点となり、生贄となってしまったのは気の毒である。聡明で優秀な女性だったが、朴槿恵と出会ったために、人生が栄光から地獄へと暗転した。もし政治家にならなければ、江南のセレブリティとして幸福な人生を送れたのではないか。
 一方、ナ・ギョンウォンは政治家としてはこれからである。ダウン症の娘がおり、障碍者問題などの活動を地道に行っている。外交の専門家でもあり、単なる「反日」議員ではないので柔軟な対応もできると思われる。


 これはセヌリ党外交委員長として来日したときのスナップ。混乱の続く韓国の政局のなかで、彼女が今後どのような道を選ぶのか、注目が集まっている。
 2人のライバルの間には大きな変化と境遇の落差が生じたが、まだまだ人生は長く、次の新しい局面が生れることに関心を持ち続けたい。

趙允旋と羅卿瑗(2)

 趙允旋(チョ・ユンソン)は1966年ソウル生まれ、満50歳。ソウル大学政治外交学部(1984~1988)卒業。1991年司法試験合格。弁護士。2008年ハンナラ党国会議員。2013~2014年、女性家族部長官。2014~2015年、大統領秘書室政務首席、2016年~2017年、文化体育観光部長官(逮捕により辞職)。夫も弁護士で娘が2人。


 羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)は、1963年ソウル生まれ、満53歳。ソウル大学法学部(1982~1986)卒業。1992年司法試験合格。判事。2004年ハンナラ党国会議員。2011年にソウル市長選に立候補したが朴元淳(パク・ウォンスン)に惜敗。夫も判事で、1男1女。


 2人の経歴を見ると、ソウル大学時代は2年かぶっている。ソウルの名家に生まれた2人は、在学当時から才色兼備で知られ、才女の双璧としてライバル関係にあったと言われる。チョ・ユンソンは弁護士に、ナ・ギョンウォンは判事になり、夫は共に法曹(弁護士、判事)。保守のハンナラ党(のちのセヌリ党)から代議士になったのはナ・ギョンウォンのほうが4年先輩である。


「美しすぎる国会議員」と呼ばれるナ・ギョンウォン。「朴政権のシンデレラ」と呼ばれたチョ・ユンソン。
 朴槿恵政権で閣僚中ただ一人の女性大臣となったチョ・ユンソンは、女性家族部長官時代の2013年4月、フランス・アングレームで開かれた国際漫画祭で旧日本軍の従軍慰安婦問題を扱った漫画を外国語で制作し出品することを支援した。
 同年10月、国連総会第3委員会に出席し、「10万人以上と推測される人たち(慰安婦)のうち韓国人生存者は56人。彼女たちは誰かによって集められ、ある国家(日本)の部隊に配置され、定期的に検査を受けながら徹底的に管理された。逃げることもできなかったし、監獄の囚人のように暮らしたという共通点がある。当事国は、紛争地域で女性に対する性暴力が続いている現実に怒るべきだと主張する前に、20世紀に犯した性暴力で苦痛と傷を抱えて生きている女性を無視してはならない」と演説した。



 ナ・ギョンウォンは、2016年8月15日、超党派の「国会独島訪問団」の団長として、竹島(島根県隠岐の島町)に上陸した。
 一行はヘリコプターで上陸後、「独島警備隊」を激励し、韓国政府が設置している島の警備施設などを視察した。この日に合わせ竹島を訪問している韓国の市民団とも現地で合流し、懇談会を行った。
 
 ナ・ギョンウォンは、セヌリ党の中では、いわゆる「非朴派」だったために、朴政権下では主要な地位にはついていない。「親朴派」として大臣を二度も経験したチョ・ユンソンに水をあけられていたが、今回の政治的混乱によって立場が逆転した。保守のセヌリ党は「正しい政党」と「自由韓国党」に分裂、改名したが、ナ・ギョンウォンは「正しい政党」に合流すると観測されている。

2017年2月8日水曜日

趙允旋と羅卿瑗(1)

 チェ・スンシル・ゲートから朴大統領弾劾裁判の進行する中で、気になったことをいくつか書いてみたい。
 2017年1月21日、「朴槿恵政府の崔順実等民間人による国政壟断疑惑事件を捜査する特別検察官チーム」(特検)は、金淇春(キム・ギチュン)青瓦台(大統領府)元秘書室長(79)と趙允旋(チョ・ユンソン)文化体育観光部長官(50)を逮捕した。(2月7日起訴)


「ブラックリスト」問題に関わる職権乱用と偽証の容疑である。

ブラックリスト」問題は、2014年4月の大型旅客船「セウォル号」沈没事故と深く関わっている。朴槿恵政権の初期に起きたこの大事件は、朴政権への批判が高まる契機となったばかりでなく、今から見れば致命傷となった。
 青瓦台は2015年5月に、文化芸術界の検閲すべき9473人の名簿を作成し、文化体育観光部に送ったとされる。この「ブラックリスト」は4つの項目に分かれていて、

1.セウォル号政府施行令廃止要求宣言に署名した文化人549人
2.セウォル号時局宣言に参加した文化人754人
3.前回の大統領選挙でムン・ジェイン支持宣言をした芸術人6517人
4.前回のソウル市長選挙でパク・ウォンスン支持宣言をした1608人
 合計9473人の名前が挙がっているという。
 この中にはセウォル号遺族らを支援する声明を出した俳優のソン・ガンホ、キム・ヘス、ムン・ソリ、映画監督のパク・チャヌクなども含まれていた。対象となった文化人、芸術関係者には政府からの補助金や撮影への協力などが打ち切られたという。
 政権に批判的な勢力を抑圧した代表的な事例を挙げれば、釜山映画祭における「ダイビング・ベル」上映の騒動である。2014年秋の映画祭で、セウォル号沈没事故を批判的に描いたこのドキュメンタリーについて、映画祭の組織委員長を兼務する与党セヌリ党系の市長が「政治的中立性を損なう」と上映中止を求め、これに反発する映画関係者との間に大きな葛藤が起こった。結局上映は強行されたが、その判断をした映画祭の執行委員長がその後更迭されたことで、また映画人が反発し、ボイコットを宣言。昨年の映画祭では、市と組織委員会は理事長を交代させて、ようやく開催にこぎつけたが、一部のボイコットは続いている。この一連の騒動の中に、現代韓国の典型的な対立(保守対進歩、右と左、政府と民間)が見える。政権批判的な演劇や興行を行うと、その団体がそれまで受けてきた国や自治体からの助成や支援などが見送られたというケースがいくつも報告されている。


  直接ブラックリストには関係ないが2014産経新聞支局長名誉棄損起訴事件にも同様背景えられる201483産経新聞公式ウェブサイトに加藤達也ソウル支局長朴槿恵大統領旅客船沈没当日行方不明に・・・っていた?」というコラムをいたいわゆる空白7時間朴大統領元補佐官鄭潤會チョン・ユンフェ崔順実元夫密会していたという風評れていると朝鮮日報記事証券街をもとにいた記事である10検察当局加藤支局長大統領名誉毀損したとして在宅起訴裁判翌年12無罪となり決着したが20168死亡した元首席秘書官金英漢のメモに産経懲罰記述がありそのメモには大統領府懲戒リストを作成警察国家情報院指示することがかれてあったことがらかになった
 
【ハンギョレ新聞 2017年2月3日】 
 朴槿恵(パク・クネ)政権の「左派摘発ブラックリスト」がこれまで知られていた文化・芸術界だけではなく、事実上韓国社会全分野を対象に作成・実行された事実が、パク・ヨンス特検チームの捜査の結果明らかになった。大統領府は全ての首席室が参加する「民間団体補助金タスクフォース(TF)」を作って463の政府委員会を全数調査する方式で「左偏向人物」をふるいにかける作業を始め、そのために2014年5月、左偏向人物8000人余りと3000余りの問題団体のデータベースを1次構築した。特検チームはその全過程が朴槿恵大統領と金淇春(キム・ギチュン)元大統領秘書室長が指示したものという結論を下した。
 31日に特検チームが拘束起訴したキム・ジョンドク元文化体育観光部長官およびシン・ドンチョル、チョン・グァンジュ元大統領府政務首席室秘書官の公訴状によれば、ブラックリスト作成は金元室長が就任した2013年8月以後本格化し始めた。当時朴大統領は首席秘書官会議で「国政の指標が文化隆盛なのに、左偏向の文化芸術界に問題が多い」として「左派排除」を指示し、金元室長は自身の主宰した会議などを通して「従北勢力が文化界を15年間掌握した。政権初期に査定を急がなければならない」、「今は大統領が一人で頑張っておられるが、内閣は『非正常の正常化』の指示がうまく通らず、左派摘発がなかなか進んでいない」として、各首席秘書官に部署別「左派支援現況」を全数調査するよう重ねて指示した。
 特検チームの調査によれば、当時パク・チュンウ政務首席、シン・ドンチョル秘書官などは2014年4月から約1カ月、経済金融・教育・雇用労働・保健福祉・社会安全・行政自治・国民疎通・文化体育など大統領府の全首席室を動員して「民間団体補助金TF」を運営し、各分野別に文在寅(ムン・ジェイン)、朴元淳(パク・ウォンスン)など野党候補を支持したり政権反対運動などに参加した人物と団体に支給された予算139億ウォン(130件)を「問題予算」として 1次分類した後、以後これらに対する「半永久的」な支援縮小または排除を決めた。ここにはノーベル文学賞候補に挙げられる詩人高銀(コ・ウン)などが含まれている。また、政府の公募事業審査委員の中から「左偏向人物」26人をまずより分けて審査委員から排除させもした。
 当時パク首席とシン秘書官は民間団体補助金TFの運営状況を金室長に随時報告したという。特に二人は「問題団体措置内訳及び管理方案」なる報告書を作って金室長の検討を経た後、朴大統領にも報告したものと確認された。パク首席は2014年6月、政務首席の後任者チョ・ユンソン前文化体育観光部長官にもこのTFの運営結果などを“引き継ぎ”し、以後ブラックリストは最近まで補強され続けてきたものと特検チームは把握した。(キム・ナムイル記者 )
 小生には、チェ・スンシルの国政介入疑惑を追及する特検が、なぜブラックリスト問題をこのように執拗に追及するのかがよく理解できなかった。本来はチェ・スンシルがどれほど国政に介入したのか、彼女が作った財団とその活動内容、そこに金を出した財閥との共犯関係などが中心になるべきではないかと思ったからだ。
 C先生の解説によると、特検は野党の息がかかった検事が中心で、朴政権の悪事を全て暴こうとしているのだという。それにしてもチェ・スンシルがこのブラックリスト作成に深く関わっているとはあまり思えないのである。文化体育観光部に、彼女が影響力を行使した人物がいたとしても。結局、財団の不正、私腹化等、チェ・スンシルの悪事は全て文化体育観光部がらみなので、特検は文化体育観光部を最大の標的にしているということなのか。
 多くの人の意見が一致するのは、金淇春(キム・ギチュン)がブラックリスト作成の中心にいたということである。

 朴正煕時代に「法務部検事」「中央情報部捜査局長」「大統領府法律秘書官」、盧泰愚時代に「検察総長」「法務部長官」、1996年にハンナラ党に入党し国会議員を3期務め、朴槿恵政権で「大統領秘書室長」。「ミスター法秩序」と呼ばれ、父娘の二代に仕えてきた金淇春にとって、朴大統領を守ることが政権運営の基本になったことだろう。

【ソウル聯合ニュース 2017年2月7日】
韓国政府から独立して朴槿恵(パク・クネ)大統領が絡む疑惑と親友の崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入事件を調べている特別検察官の捜査チームは7日、朴政権に批判的な芸術家や俳優ら文化・芸術界関係者をリストアップした「ブラックリスト」が作成されていたとの疑惑が事実であるとの結論を出した。
捜査チームは同日、リストの作成を指示・主導した疑いで先月逮捕した元大統領秘書室長の金淇春(キム・ギチュン)容疑者と前文化体育観光部長官の趙允旋(チョ・ユンソン)容疑者を起訴した。
また、金尚律(キム・サンリュル)前青瓦台(大統領府)教育文化首席秘書官と金昭英(キム・ソヨン)前青瓦台文化体育秘書官を在宅起訴した。
捜査チームは、起訴済みの前文化体育観光部長官の金鍾徳(キム・ジョンドク)被告、元青瓦台政務首席秘書官の申東チョル(シン・ドンチョル)被告、前文化体育観光部第1次官の鄭官珠(チョン・グァンジュ)被告を含む計7人を起訴することでブラックリスト疑惑の捜査を事実上終えた。
金淇春被告らは、韓国文化芸術委員会、映画振興委員会、韓国出版文化産業振興院などに対し、朴政権と見解が異なる芸術家や団体に補助金が支給されないよう強要した罪(職権乱用権利行使妨害、強要)に問われている。
捜査チームは、リストが組織的に作成・管理され、政府の補助金支給の過程で実際に活用されており、対象となった芸術家らに不利益を与える政策が実行されたとの結論を出した。
また、朴大統領がリスト作成をめぐり共謀関係にあったと判断した。捜査チームは、金鍾徳被告らの起訴状に朴大統領の共謀を明記しており、裁判所に提出された金淇春被告らの起訴状にも「被疑者」と明記したとみられる。
捜査チームの李圭哲(イ・ギュチョル)報道官はこの日の会見で、朴大統領の被疑事実が起訴状に一部含まれていると述べた。
李報道官は日程調整などの問題で朴大統領に対する対面聴取が行われておらず、崔順実被告に対する調査が不十分であるため、現時点では起訴状を公開することはできないと説明した。
捜査チームは近日中に朴大統領に対する対面聴取を実施し、リスト作成などに関与した疑惑について事実関係を確認する計画だ。
一方、朴大統領はブラックリストついて、「全く知らないこと」と全面否認しており、対面聴取では大統領側と捜査チームが激しい攻防を繰り広げることになりそうだ。

2017年1月28日土曜日

新年会あれこれ


1月21日(土) 「玄藏」での新年会。鍋、トンカツ、Kloud、獺祭、柿ワイン etc.


1月26日(木) チェモク先生を囲む新年会。寿城区庁駅ちかくの「고미정」にて。



大阪家庭料理「しげ屋」オープンを準備中のMさんと、東亜百貨店前の路地にある小生行きつけのクッパ食堂へ。美味しいので2人で焼酎を3本飲んでしまった。翌日やはり体調悪し。やはり焼酎は体に悪い。1本が限度と決めよう。2年前アンジランでマクチャンを食べたときに焼酎を2本飲み翌日苦しんで以来、焼酎は体に悪いと思っていたことを再確認。この店のクッパが美味しくて、やはり焼酎が合うのだが、これからは酒が足りなかったらビールにすべきか。

日本語教師

2017年1月は、毎日日本語を教えている。

月、金は寿城池の近くの「學而書堂」で。韓国学科で一緒に学んだYさんが経営する漢文塾で、Yさん、Hさん、Gさん、Kさんに初級日本語を教える。
火、木は、嶺南大学日語日文科の冬季放學特講で中級の作文を教える。登録9人で7人が出席。
水はテグハルで初級。Pさんという中年の男性とHさんという若い女性。しかしHさんは来なくなってしまった。
木曜夜は正坪(チョンピョン)で、Kさんと東野圭吾、村上春樹の小説を読む。彼女とはもともとテグハルで授業をしていたのだが、最近は嶺南大駅から近い正坪のカフェで会うことが多い。日本留学経験もあり、亀尾にある日系企業に勤めているので、日本語能力の維持のための授業。
土曜夕方はテグハルで中級クラス。いろいろなテキストや映像を使ってきたが、今年は作文とビジネス日本語のテキストを試している。


 初めて大邱名物「チムカルビ」を食べた。牛肉をニンニクと唐辛子でこってり煮込んだ料理で、ヤウンネンビというチープなアルミ鍋で出てくる。ニンニクの強烈な香りで最初は思わずウッとなるが、さすがに美味也。ご飯もマッコリも進む。「カルビチム」という牛肉の煮込み料理は全国にあるが、チムカルビというのは大邱だけの名前、味なんだそうだ。東仁洞チムカルビ通りにはチムカルビの同じような店が10軒以上並び、歩いていると次々に客寄せの声がかかる。Y大学のK先生、O先生と、日本人アジョシ3人で行ったのは「수복찜갈비」というお店だった。