松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年7月12日金曜日

日帰りでベルンへ

2013年6月20日(木) 雨

朝5時半、タクシーを呼んでもらい、シャルル・ドゴール空港へ。2Gというターミナルは一番はずれのうらぶれた所で、AF1114チューリッヒ行は1時間遅れ。延々とあてどない時間を過ごす。チューリッヒ空港に着き、列車に乗り、ベルンに着いたのが12時近かった。W・T子さん(60代半ばか、最近スイスの日本大使館勤務を定年退職された由。Wさんというスイス人に嫁いだ日本人)が迎えてくれて、車でYさん宅へ。Yさんはこの日記にもよく登場する画家である。一昨年の秋に来日された際に作家の高橋治さんにお引き合わせしたり、恵那の美術館の増床オープニングに出席した時以来である。昨年3月、肺炎で一か月近く入院して以来、日本には来ていない。89歳という年齢なので、さすがに心配になり、会いに来たのだった。
Yさん、大変お元気で、昼食を一緒にして、色々な近況をうかがう。カンブリーというスイスの有名な菓子メーカーの缶にYさんの絵が5種類も使われ、7月に完成披露セレモニーがあること。ツーンという、ベルン近くの街にYさんの美術館が来年オープンするので、その準備に追われていること、等々の話をしているうちに、W・T子さんが急かせてくれて、ベルンの駅へ。結果的にチューリッヒ空港に早めに着けたことで、助かった。小生は肩からかける小さなカバン一つだったので、Yさんからもらったワイン(Yさんの絵がラベルに描かれている)を手荷物では持ち込めない。チューリッヒ空港内を走り回って、梱包し、袋に入れ、預ける荷物(drop off) の形にしなければならなかった。大汗をかいて、ようやくAF1815に乗り込む。


ベルン、Yさん宅の近くの池のスナップ。蓮はYさんの絵のモチーフの一つ。



Yさんのアトリエ兼自宅のスナップ。





パリに戻り、空港からバスで市内に戻ろうとすると、バスが故障していて動かない。意地でじっと待つ。30分後、代替のバスがようやくやってきて、オペラ座まで戻る。10€。タクシーだと50€くらいかな。

家人と娘は雨に悩まされながら、お目当てのショップやレストランに、あちこち出かけたらしい。さすがにベルン日帰りは強行軍で、ぐったり、爆睡也。

創作料理 遠藤さんのこと

作家Yさんに昼食をご招待いただく。Yさんはパリ在住40年で剣道8段、ヨーロッパ各地で指導しており、その一人がティエリー・マルクス。フランスでは有名なシェフであり、マンダリン・オリエンタルの「シュル・ムジュール」を率いる。日本料理をはじめ、世界各地の料理をフランス料理に取り入れた現代創作料理の旗手の一人。
高級ホテルの高級レストラン。メインは魚の天ぷら(家人)、豚(娘)、兎(小生)。素材、色彩、器、サービス、インテリア等、最先端の料理に少々戸惑いながら、パリのエッセンスを味わう。

出発前、Yさんに遠藤雄四郎さんのことを調べてもらった。Yさんがパリ日本人会に照会すると、画家の甲斐さんが遠藤さんと親しかったことがわかった。甲斐さんとは電話で話を聞くことができた。4、5年前に千葉県の病院で亡くなったという。死が最近のことなのに驚き、日本で亡くなったことも意外であった。10年以上前にパリで亡くなり、どこかにお墓があればお参りしようと思っていたから…。

遠藤さんは40年ほど前、吉祥寺にお洒落な雑貨店を出していた。今はそのような店は中央線沿線にありふれているが、当時は珍しかった。上野か浅草の老舗に生まれたが、遊びが高じて生家からは距離を置き、気楽に多くの友人と交流していた。独身時代の家人や家人の姉は、遠藤さんの車で深夜、横浜の「スターダスト」(伝説のキャバレー)に繰り出す、というようなことがあったらしい。
若い女子大生との結婚に失敗し、何やらもめごとがあって、遠藤さんは日本を脱出、30歳くらいでパリに移り住む。パリでの仕事は内装から大工仕事までの何でも屋さん。器用なのでいくらでも仕事はあったらしい。
小生はパリで2度会っている。2度目が31年前の新婚旅行のときで、遠藤さんの家にも泊めてもらった。そのあと日本に戻ったときには我が家にも遊びに来てくれた。その後はパリからの絵葉書や手紙をたびたびもらった。還暦のパーティを友人たちと祝ったこと、心臓の手術をしたことetc…。筆まめだったが、最後の消息は15年以上前の葉書だったような…。大好きなパリで亡くなったとばかり思っていた。
新婚旅行のときの一番の思い出は、Folies Bergere (フォリーベルジェール)というキャバレーに一緒に裏口から入ったこと。好きな踊り子がいたのか、スタッフが友達だったのか、もう忘れたが、遠藤さんはどこに行っても誰とでも友達になってしまうような、人懐こい人だった。
甲斐さんによると、遠藤さんはずいぶん成功したらしく、最後はロールスロイスに乗っていたそうな。女性とはいろいろあったけれど、特定の人と暮らすようなことはなかったそうだ。

2013年7月11日木曜日

SUR MESURE

2013年6月19日(水)

ティエリー・マルクスの「シュル・ムジュール」(マンダリン・オリエンタル・ホテル・パリ)



















2013年6月18日(火)

AF1349便でバルセロナからパリへ。バルセロナ空港、蒸し暑い。出発が遅れても、こちらの人たちは皆じっと黙って並んでいる。フランクフルト空港でも同じような風景があった。親切なアナウンスがたびたびあるわけでもなし、文句を言ったり、しきりに出発の時間を尋ねる乗客が出たり入ったりするわけでもなし、「皆おとなしく、我慢強いわね。日本だったら抗議する人が現れるのに」と家人。マドリードのKさん曰く「空港では待たせたり、オーバーブッキング、キャンセルや変更が日常茶飯事。出発便の運航中止、代替便のお知らせが事前にあったのはさすがにJAL。こちらでは、空港に行ってから、その便はありません、乗れません、なんてことがよくある。もうみんな、こちらの不親切や非効率には慣れているので、じっと待っているのです」
午後3時、シャルル・ドゴール空港到着。タクシーでチュイルリー公園の前にある Hotel Brighton へ。ロビーで先にチェックインしていた娘が待っていた。彼女は名古屋在住、中部国際空港からタイ航空でやってきて、3日前からパリに滞在中。一昨日は日帰りでモン・サン・ミッシェルに出かけてきた。われわれ3人が泊まる部屋は、2階の一番大きな部屋で、天井も高く、十分な広さ。真ん中に丸いテーブルがあるのも使いやすかった。



ギャラリー・ラファイエットの吹き抜け。


この日は娘の案内でオペラ座、ギャラリー・ラファイエットなどをぶらぶらし、デパ地下と近所のスーパーで簡単なお総菜やお酒を買って部屋で夕食。

2013年7月10日水曜日

バル、レストラン

バルセロナ滞在中の食事は、朝食はホテルのレストランで、昼食・夕食はホテル近くのバルで済ませた。バルでは自由に何を頼んでもよく、夫婦2人でカウンターに座り、気軽に食事をした。特に体調の悪い家人にとってはお粥があるわけでなく、選択に苦労したが、オリーブオイルの少ないものなど、あっさり系で何とか切り抜けた。

Costa Gallaga
La Vinoteca Torres
Meson Cinco Jotas

ホテル近所の、この3軒。


一皿のボリュームが少なく、どんな順番で何を頼んでも気兼ねがいらないのが良かった。これは白身魚のカルパッチョ風サラダと濃厚なヘレス(シェリー)。








豆料理なども種類が豊富で、日本人好み。下は、定番の、エビのガーリック・オイル煮。






パン・コン・トマテはカタルーニャの食事には必ず出てくる。パンにトマトをまぶして、オリーブオイル、オーブンでちょっとあぶっただけのものだが、弱った胃には程良い食べ物だった。
バルセロナ3日目は、港に面したバルセロネータ地区にある同名のレストラン「バルセロネータ」で、魚介のスープやら、パエリャを食べた。パエリャはちょっとくどかった。








風の通るテラス席で、のんびり。バルセロナはカヴァ(発泡白ワイン)の本場なので、これも美味也。一滴も飲めない家人には、その美味しさ、違いが、残念ながらわからない。

初めて訪ねたバルセロナは、ショートパンツ・Tシャツで歩き回れ、酒も食べ物も美味しい観光都市・美食の街だった。明日からは、パリへ。

2013年7月9日火曜日

サグラダ・ファミリア

2013年6月16日(日)

午後1時、ホテルにKさん、M君。Kさんはバルセロナ大学の学生で、小生の会社時代の同僚の娘さん。M君はカタルーニャ人のボーイフレンドで、2人に会うのは昨夏以来。その時には四川飯店で彼女の両親など、7、8人で食事をしたのだった。

今日は今回の旅のメイン・イベントとなるはずで、グエル邸、カタルーニャ音楽堂、サグラダ・ファミリア見学のあと、カテドラルの前でカタルーニャ文化紹介ということで、castellers(人間タワー)とgegants(巨人)のデモンストレーションを見たり、バルセロネータあたりのレストランに行って魚介類を食べようというのがプランだった。
残念ながらわれわれ夫婦は体調がイマイチ、一緒にデモンストレーションを見たり、食事をすることはやめにして、グエル邸、カタルーニャ音楽堂、サグラダ・ファミリアだけにしたいと若い2人に伝える。いろいろ事前にチケットを取ってくれたり、観光プランを準備してくれたKさんには申し訳なし。



















グエル邸はガウディが手掛けた個人住宅で、中は高い吹き抜けになっており、礼拝堂やパイプオルガンもある。階段で登るのが辛く、屋上までは行かなかった。カサ・ミラと同じような奇抜でカラフルな煙突があるらしい。入場料は24€。次はカタルーニャ音楽堂へ。











ガウディの師匠でありライバルだったモンタネールが設計したコンサート・ホール。柱や彫刻、天井に至るまで凝りに凝った装飾に満ちている。ガウディの抽象性とは異なり具象的で温かい印象があった。入場料35€。





いよいよ、サグラダ・ファミリアへ。入り口の受難のファサード前でKさん、M君とは別れる。入場料は38.60€だが、これらは事前にKさんが足を運んだり、ネットで入場券を入手してくれたからこそ。炎天下に並んで売り場の長い列に並ぶことはとてもできなかった。








エレベーターで高さ80メートルの建築現場へ。





降りるのには数百段の階段を使わねばならないのだが、下りのエレベーターに無理やり乗せてもらい、辛い思いをせずに済んだ。































生誕のファサード前で記念写真を撮り、一連のガウディ見学が何とか無事に終了した。上を見上げてばかりで首が痛くなった。とにもかくにも、ガウディを見て死ね、とは誰もいわないが、冥途の土産である。家人の希望を叶えてあげられたことに安堵する。