松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2014年6月21日土曜日

長雨(チャンマ)

2014年6月21日(土)

韓国では梅雨を長雨(チャンマ)という。このところ曇りがちな日が続いているのでもう長雨に入っているのかと思ったら、天気予報ではまだ済州島までなんだそうだ。日本列島はすでに梅雨入りして2週間が過ぎている。体感では梅雨のような感じなのだけれど。大陸と地続きの朝鮮半島の気候は日本とは微妙に異なるのだが、まだうまく表現できない。

夏学期が始まって3週間が過ぎた。教室のクーラーをつけたり消したり、涼しかったり暑かったり、微妙な気候の日々が続く。松花粉は終わっても鼻炎は終了せず、ティッシュ消費量は半端ではない。自宅でもクーラーをつけたり消したりを繰り返しているせいもあるが、これでは日本にいた時より体調が悪いということになる。セレスタミンを飲んでもまったく効果なし。

4級4班は12名。担任は中野良子+ソン・イェジン似のS先生。少し褒めすぎかもしれないが、独身の大邱美人。facebookでは30歳と自称しているが、副担任のK先生によると40歳だという。S先生はテンポよくアルトの声でまくしたて、学生が理解しても理解できなくても容赦なく先に進む。ちょっと突き放したところと一人一人に声をかけて冗談をいうところのミックスが心地よく、安定した授業だ。中国の高校で2年ほど韓国語を教えていたこともあるとのことで、学生の扱いがうまい。

こんどのクラスは12名。中国4、サウジ3、日本2、ベトナム1、スリランカ1、スウェーデン1。特徴はおとなしいこと、ムードメーカーがいないこと。2級、3級の頃は休み時間に中国語の洪水となり、1人か2人、目立つ学生がいたのだが、こんなに皆おとなしいとちょっと調子が狂う。先生の質問に誰も答えないので仕方なく小生が声を出すこともしばしば。しかし4級なので、皆相当の実力は持っている。ただサウジの連中は相変わらず遅刻・欠席の常習者ばかり。このうちスウェーデンの金髪美女エミリーは2級の時に同じ班だった。最近ソウルに住む韓国人と熱愛中で、facebookに恋人との写真ばかりアップしている。中国人女性のマ・アナンは3級で一緒だった。目鼻立ちのはっきりした美人で性格も良い。この学校で知り合った中国人の彼氏といつも一緒だが、最近こころなしか憂鬱そうな顔をしている。



前期の3級の時は4人の教師が入れ替わり立ち替わりで落ち着かなかったが、今期は安定した。午前中、初めの2時間はS先生、次の2時間はK先生。火曜木曜は午後2時~4時にTOPIK授業がありY先生。Y先生は2級のときの担任でソウル出身、梨花女子大大学院卒の30歳(こちらは本当)、墨田ユキ似の和風美人。副担任のK先生は27、8歳かな? やはりソウル出身で、Y先生と同じく大邱の男と結婚して大邱にやってきたので、Y先生と仲がいいらしい。K先生は誰に似ているかが思いつかないが、おっとりにこにこ型。K先生の出身大学はまだわからないが、facebookで「友達の友達」などを活用してみると、この語学学校の教師はほとんど嶺南大学出身であることがわかった。大学院卒業者も多い。
テキストにも進歩があり、聞き取り用テキスト、TOPIK用テキスト、教科書補助テキストなど(いずれも先生たちの手作りだろう)が用意されており、毎回やっつけのコピーを配られた前期とはエライ違いである。授業は予習復習をしないと、ついていくのが辛い。宿題や課題も多く、どうやらこれまでよりも勉強せざるを得ないようだ。
成績評価も変化した、以前は中間試験と期末試験がほとんどだったが、今期からは、
中間試験 30%
期末試験 30%
クイズ(毎週の小試験) 20%
模擬TOPIK 20%
という構成。遅刻欠席は規定以下だと進級やビザ延長に支障が出る。
TOPIK至上主義はますます加速され、クラス全員が7月20日のTOPIKを受けることになった。前期は興味が持てなかったのだが、こうなったら流れに身をまかせるしかない。



これは大学前に最近できた「설빙」(雪氷)の인절미절빙 (黄粉アイス)。Korean Dessert Cafe として主要都市や駅、空港に出店しているパッピンスやマンゴーアイスの人気店。かき氷がパウダーのようにきめ細かく、なかなか融けない。オリジナルな製法があるのだという。これで6000ウォン也。30分くらい格闘したが、量が多くすぎて、3分1ほど残してしまった。

2014年5月31日土曜日

5月末の真夏日

2014年5月31日(土)
日本でも韓国でも、早くも猛暑が始まった。
5月26日(月)、家人と釜山へ。東横イン泊。日本式の100Vコンセントがあり便利也。翌日、東莱ハルメパジョンで昼食。


これは大中小の中で、30000ウォン。チジミ(パジョン)にしては高いが、この水準なら納得。ふわっとトロトロのチジミは他では食べられない。ドンドンジュも上品で美味だった。二度目の訪問だが、なかなか見つけられない場所にあるのが難点。







家人は大邱に2泊。中央路近くのノボテル・アンバサダーは大邱で一番か二番の高級ホテルで、初めて小生も泊まってみたが、客室やサービスなど、文句のないレベル。大邱にもこういう世界があることを初めて体験。agodaでは1泊15000円くらいだったからリーズナブルかも。
28日(水)は、L先生ご夫妻の車で慶州観光。大陵苑、雁鴨池、武烈王陵、国立慶州博物館などを見学。家人が歩き疲れたので、石窟庵や佛国寺は次の機会ということになった。
29日(木)は、KTXでソウルへ。ウェスティン朝鮮ホテルで、名古屋からやってきた娘と合流。



家人と娘はウェスティン泊。小生はメトロホテル泊。家庭内格差は前回同様(前回2人は新羅ホテル泊)だが、10年来投宿してきた明洞のメトロホテルもリニューアルが終わり、かなりのレベルアップ。


1階にはスタバが入り、フロントは1Fから9Fに。朝食も2人のスタッフが世話をしてくれて簡素ながら不足はない。客室も相当に良くなった。部屋数が少ないので団体客などはいないし、便利で安いから日本人のリピーターが多い。しかし小生の泊まるシングルの料金は、この10年で60000ウォンから110000ウォンへと、約2倍になった。ちなみにウェスティンはagodaでも1泊30000円から40000円くらい。朝食代金は1人5000円(!)とか。


これはハプチョンにある보리울という食堂のポリパブ(麦ごはん)。各種野菜ビビンバで、素材が新鮮、美味。7000ウォン也。女性に人気の店らしい。昼時だったので賑わっていた。
このあと家人と娘は江南、東大門市場など楽しんだらしいが、小生は大邱へ戻った。
大邱でもソウルでも強烈な陽射しで、日傘を差し、汗をふきながらの毎日。これからの夏本番が思いやられる。家人と娘は土曜日の夕方、東京と名古屋に戻る予定。

2014年5月17日土曜日

2014年5月17日(土)

大邱はようやく盆地らしい暑さが始まりつつある。蒸し暑さはまださほどではない。
昨日で、語学堂の春学期は授業終了。来週の月火で期末試験があり、水曜日にはいったん帰国の予定。





これは先週の日曜日にあった日本人女性Yさんと韓国人Pさんの結婚式の様子。Yさんは同じ語学堂で学んでいる女性で、イギリス留学中に知り合った蔚山の男性とゴールイン。初めて韓国の結婚式に参加したが、式自体は格別変わったことはなかった。日本ほど細かなところまで神経質ではなく自然な流れにまかせての進行。牧師役を新郎の父が行ったのは珍しいとか。結婚式場はサッカー・ワールドカップのスタジアムに隣接した大きな施設で、この日は吉日らしく多数の結婚式が行われていた。宴会場はビュッフェで出入り自由、隣の人が誰の結婚式の参列者なのかはわからない。新郎新婦はあとで韓服に着替えて会場に挨拶に来たらしいが、時間がかかったとかで、結婚式の参列者はほとんど残っていなかったという。小生も一緒に来た中国人のB君と早めに帰ったあとだった。ちなみにお祝い金は5万ウォンを袋に入れて受付に渡した。






春学期の感想は、とにかく勉強は質も量も増え、辛かったというのが正直なところだが、一応皆勤賞。中国人、アラブ人、ウズベク人の若者たちとの交流はほどほど。20歳そこそこの学生たちはなかなか個性的で、カカオトークやfacebookの友達になった人もいるが、前学期のネパール人k君のように一緒に休日に出かけたり、ご飯をよく食べたりするような仲にはなれなかった。担任のビョン先生からは家庭菜園で採れた野菜などを時々もらった。



嶺南大学C先生の主催した「恩師の会」。5月15日は先生に感謝する日で、語学堂でも先生へのプレゼント(カーネーションやケーキなど)がやりとりされていた。C先生の恩師と弟子、後輩たち20名ほどが集まって焼き肉を食べたが、2時間ほどのあっさりとした集まりだった。



試験に備えて、勉強……。やる気と根気が続かず、それがいちばん辛い。午前中の授業の時には頭も冴えて知的好奇心もあるのだが、午後になり、夕方になり、夜になるとガクッと意欲が落ち、勉強する気持ちが萎えてしまう。毎日この繰り返しだった。




2014年5月3日土曜日

連休はじまる

2014年5月2日(金)

日本では飛び石GWの最中だが、韓国では明日からの4日間が黄金連休。
4月16日に珍島沖で旅客船セウォル号が沈没してから2週間余りが過ぎた。今日の時点で死亡者228名、行方不明者74名、救助者174名。テレビをつけると連日この事故の報道一色で、芸能やバラエティ番組の自粛が続いていたが、このところやや元に戻りつつあった。女性キャスターやお天気お姉さんの服も次第に明るい色に戻ってきたところに、今日のソウル地下鉄衝突事件(負傷者240名)が起きた。沈鬱な空気が少し薄れ始めて、さあこれから連休という気分に水を差されたような感じだ。


「セウォル号行方不明者皆様の無事帰還と犠牲者皆様の冥福をお祈りします」これは今日行ったEマートの入り口に掲げられていた横断幕。

先週(4月21日〜25日)は体調が悪かった。鼻水が止まらず、目もチクチクと苦しかった。ビョン先生の夫(カナダ人)も鼻炎がひどいらしい。Kさんも咳が続き喉の調子がずっと悪いという。
2月から3月、初めて韓国でこの季節を過ごし、杉花粉から逃れて快適だったのだが、4月末になってのこの症状、どうやら韓国の松の花粉のせいらしい。韓国には杉はほとんどないが、その代わりあらゆるところに松が植えられている。それに加えて中国から飛んでくる黄砂や微小粒子スモッグ(こちらではモンジという)も関係があると思う。

4月27日(日) Kさんに誘われて民博会のバス・ツアーに参加した。民博会というのは韓国の歴史や文化を学ぶ民間サークルのようなものらしいが、よくわからない。この日は第45回の集まりだとかで、半年ぶりくらいの日帰り小旅行。Kさんが所属する書道会の主催者C先生が最近まで会長を務めていたらしく、C先生をはじめ見覚えのある書道会の人が数人。他には大学の先生、会社員、学生、主婦など、顔ぶれは様々で、貸切大型バスに乗って約30人くらいのイベント。参加料は50000ウォンで、資料、おやつ、昼食代込みで、至れり尽くせりの準備、運営だった。解説ガイド役で慶北大学の教授も加わっている。


この日は曇り空で体調はまずまずだったのだが、夕方になると目が痒くなり鼻水も出てきたので、やはり松花粉症と見て間違いないだろう。このあと3日間は雨が降り続き、花粉が飛ばないので症状がぴたりと治まった。スギ花粉と全く同じである。
慶尚南道宣寧郡(의련군 ウィリョン)は大邱からバスで南に1時間、馬山や晋州に近い田舎である。このような山に囲まれた、田畑ばかりの穏やかな地域。闘牛でも知られており、牛肉のクッパが名物。今日はこの地域にある歴史上の人物の生家を訪ねるという踏査旅行だという。



まずこれは安煕済(안희제 1885~1943)の生家。アン・ヒジェは独立運動家で雅号は白山。
釜山で「白山商会」を設立して穀物・海産物などを扱い、独立運動の拠点となった。国内外の独立運動を支援し、教育や言論の分野などでも、多彩な活動を行い、 釜山には記念館がある。投獄され、病身保釈のあと、1943年に死亡。拷問の結果だという記述も見かけた。


実は、このような記述は後日、調べて書いており、当日の慶北大学教授の解説などは、ほとんど聞き取れなかったのが正直なところ。皆思い思いに記念写真を撮ったりしながらの古家訪問ツアーである。







これは郭再祐(곽제우 1552~1617)の生家。カク・チェウは壬辰倭乱で義兵を率い倭敵を撃退したという、歴史上の人物。ずいぶんきれいに整備されていると思ったら、この将軍は宣寧郡のマスコット・キャラクターになっているほどで、この地方の英雄なのであった。大邱にも楠木正成みたいな銅像が建っているらしい。

最後は、李秉喆(이병철 1910~1987)の生家。イ・ビョンチョルはSAMSUNGの創業者。まあ、松下幸之助の生家、といったところか。25年前に亡くなったが、遺族たちがいまだに裁判を続けているほどの巨大な財閥を築いた。早稲田大学に学んだあと、1938年に大邱で三星商会を起こしたのがサムスンの始まり。製糖、繊維、機械、電子、船舶、金融など、韓国最大の巨大グループとなった。今これを書いているパソコンも、写真を撮った携帯電話も、サムスン製品。







これらの生家は皆風水が良く、そのおかげで立派な人物が育ったということになっている。このサムスン創業者生家の東側には岩壁があり、ここから気のエネルギーが発生し、この岩に触れば金持ちになれる、というので、観光客たちはここで記念写真を撮っている。




この生家前の道も、歩けばお金持ちになれる、ということで人気があるそうな。

この日は夕方から少し雨になり、翌月曜日から水曜日まで、丸3日間、まるで梅雨に入ったような雨が続いた。

今回の参加者の中に金埈星 김준성 さんという人がいて、「私の先祖は日本人です」と話しかけてきた。金忠善(沙也可)から14代目、体育館の館長さんで40代後半くらいだろうか。沙也可の子孫と話すのは初めて。Kさんも初めてそういう人に会った、と驚いている。「ハラボジ(金忠善のことをこう呼んでいた)の家族は皆殺されてしまっただろう。だから日本の故郷はわからない。ハラボジは平和を求めていた。秀吉を裏切ったけれど、日本を裏切ったわけではない」概略、そんな話をしてくれた。小生は、色々な説はあるけれど、加藤清正の配下だったのは確かだから、九州の熊本、阿蘇氏の人だったと、F先生の説を受け売りで話す。今度、機会があったら大邱市内で一緒に酒を飲んでみたいものだ。あなたのハラボジのおかげで小生は大邱に住んでいます、と言ったのだが、理解してくれたかどうか…。

2014年4月13日日曜日

桜の季節

3月末から大邱や慶山にも桜の季節が訪れ、今週は葉桜となった。ほぼ東京と同じくらいか。
4月2日(水)、大邱市内にある頭流公園の桜。







家族連れやカップルがシートを敷いて食事をしたり酒を飲んだりの光景は日本と同じ。ここは広い公園で、連翹、桜、桃、躑躅、ライラックなども楽しめた。

これは、4月5日(土)、嶺南大学の様子。キャンパス内の桜が有名になり、家族連れでにぎわっていた。




2014年4月12日土曜日

2014年4月12日(土)

ひと月近くブログを書くのをサボってしまった。毎日インターネットに接しているのだが、ツイッターやフェイスブックに気を取られ、カカオトークやカカオストーリーも始めてしまったので、注意が散漫になった。桜の話題など、カカオやフェイスブックに一度写真をアップしてしまうと、その話題をまたブログに書くのが億劫になってしまう。しかしゆっくり文章を書けるのはブログだけなので、毎週末には必ずこのブログを書くくらいのペースに戻したいものだ。


昨日、一昨日は中間試験。

쓰기 スッキ(作文)
받아쓰기 パダッスギ(聞き書き)
듣기 トゥッキ(聞き取り)
읽기 イルギ(読解)
말하기 マルハギ(話す)

スッキ(作文)とパダッスギ(聞き書き)は、できた。あらかじめ、例文やテーマを示されているので、事前に練習しておけば良い。トゥッキ(聞き取り)も、教科書で知っている例文が多く、まあまあできた。できなかったのは、읽기 イルギ(読解)で、質問と例文があり、正解を選ぶか、回答を書く。おそらくTOPIK(韓国語能力試験)に近い形式で、短い時間に大量の問題を解かねばならない。時間さえあれば正解を探すのは難しくないと思うのだが、何しろ時間がなく、終了時間が迫ってくると小さなパニックになり、読むことに集中できない。
終了5分前くらいになるとざわざわしはじめ、席を立って試験用紙を先生に渡して先に帰る学生とか、預けていた携帯電話を探す学生、明日のTOPIK模擬テスト(小生には関係ない)を受ける人はどこそこに何時などと大きな声を出す先生とか、落ち着かず、集中できないのだ。このあたりが最後の最後まで静謐が保たれる日本の試験とは違う。
途中で問題に間違いが見つかり、正しい例文が板書されたが、こういうのはいつものこと。試験用紙にも例によって、解答欄がなかったり、質問に該当する傍線が引いてなかったりする箇所があった。ともかく例文や試験問題を頭からゆっくり読んでいては時間が足りない、選択肢や質問から前後を類推していかに短い時間で解答を書くか、という受験技術が必要である。小生は易しい前の方の問題に丁寧に時間をかけすぎて、後半の難しくなる問題に取り組むには時間が全く足りなかった。終わって、どっと疲れて、後悔が押し寄せてきた。

말하기 マルハギ(話す)は、最初の木曜日に試験があったのだが、クラスの生徒全員に向かって、5分ほどテーマに沿った発表をしなければならない。

1 ストレスを解くには
2 韓国語を上手に話すには
3 ダイエットを成功させるには
4 韓国での生活に慣れるには
5 友達と上手につきあうには

この中から一つ、あらかじめスピーチを準備して、できればパワーポイントなどを使い簡単な説明画像があれば良い、ということだった。
中国人の学生たちはそれぞれ可愛らしい画像を用意してあり、上手下手はあるものの、まずまずの話をする。意外だったのはサウジアラビアの3人で、人前で話すのに慣れているのだ。普段から遅刻早退あたり前、ノートもテキストも持ってこないし、やる気があるのかないのかわからない連中なのだが、堂々とした彼らの話しっぷりに、ちょっと見直してしまった。
小生はダイエットの話にしようかと思ったが、糖質制限等の単語はあまりに難しくて断念。ストレスの話を選んだ。プレゼンテーションのようなことには慣れておらず、パワーポイントもできないので、酒の写真を一枚見せただけで、原稿を見ながらしどろもどろでストレスと酒の効用を話したが、未成年者や戒律で酒を飲まない学生も多く、あまり受けなかった。仕事を辞めてストレスがなくなったが、妻と2人で暮らすのがストレスになった、というところは少し受けた。
ストレス解消には、友人と楽しくおしゃべりしましょう、運動をしましょう、等の、若い学生たちと同じような話をするわけにもいかず、ストレスは少々あったほうが生活の刺激になり、健康にも良いという説がある、だからこのような試験はストレスではあるが、精神を鍛え、健康にも良いかもしれないという結論にした。ただ内容はともかく、「話す」ことの技術を採点されたら、あまり高得点はもらえないだろう。担任のビョン先生も渋い顔をしていた。


昨日は疲れたので正坪のサウナに行って垢すり(13000ウォン)、そのあと沙月の e-mart でワインやら野菜やらの買い物でストレス解消(?)。珍しい焼酎があったので買って帰る。青色の綺麗な瓶だが、よく見ると「独島」(ドクト)と書いてある。裏の説明を読むと「独島後援基金のために一瓶30ウォンを積み立てます」だって。この焼酎は1000ウォン(約100円)したが、3円、独島護持のために払ってしまった。もう二度と買わないぞ。捨てるほどのことでもないから飲んでみたが、例によって甘ったるい、いつもの味であった。

2014年3月18日火曜日

新学期始まる

2014年3月10日(月)から、韓国では新学期が始まった。
大邱の今年の冬は比較的温かかったそうで、水道が凍り付いて破裂するようなこともなく、雪もほとんど降らなかった。




3級3班の顔ぶれは、中国人8名、サウジアラビア人3名、ウズベキスタン人1名、日本人(小生)1名の13名。
ただ春の新学期なので、1級、2級などを含めて、日本人は7名となり、前学期より増えた。小生以外は若い女性である。ネパール人のK君は卒業していなくなったが、日本語が上手で話しかけてきた中国人男性1名、横浜に5か月留学したというフランス系アルジェリア人女性など、日本語を話す学生は増えてきた。
授業は朝9時から午後1時までの毎日4時間。これに加えて火曜日と木曜日は午後2時から4時までTOPIKという韓国語能力試験のための特別授業がある。教科書は西江大学のテキストからソウル大学のテキストに変更となった。前学期には、何の知らせもないのである。
先生は2人から4人に増えた。ソウル大学のテキストはぶ厚く重く、内容も詳細で項目が多い。10週間で消化するために、授業もスピードアップされ、急に詰め込み教育となった。あまりの変化に、学生も先生も、ふーふー言っている。
特に週に2回の、TOPIKのための特別追加授業、これは何だろう?
TOPIKに合格すれば、嶺南大学の入学に有利となるし、奨学金なども受けやすい、くらいの簡単な説明があったが、何のことわりもなく、負担が増えたような気がして、首をかしげる。
授業料は変わらないからお得、という考え方もあるが、TOPIKなんか受ける気持ちのない小生には有難迷惑である。おそらく、語学堂としてTOPIK合格者の増加が至上課題というようなことになったのではないだろうか?
そんなことを考えつつ、火曜日、午後1時から2時までの昼食時間、外へ出ると、2級クラスで一緒だったサウジのモハ氏と会う。彼は3級に進学できずに2級をもう一度することになった、30代半ば、韓国人女性と2年前に結婚して大邱に住んでいるという人物。彼もずいぶん昔に大学を卒業しているしTOPIKを受ける気はないので、どうしてわれわれは突然こんな消耗する授業を受けなきゃならんのか、と嘆きあったのであった。

今日のエピソード。韓国の歌で誰でも(누구나)知っている歌はありますか、という例文。皆それぞれ、知っている韓国の歌の名を言ったり歌ったりするが、やはり「知らない」という学生がいる。小生思わず「トラワーヨー、プサンハンエー」(釜山港へ帰れ)を歌った。中野良子似の徐先生は爆笑、「アボジかハラボジの世代の歌よ」「誰でも、ではなく、誰も(아무도)知らない、よね」…。1990年代生まれの若者に混じって学ぶ悲哀を感じたのであった。