今日は初めてCCさんの車に乗せてもらう。同じ80ウン歳のお年寄りでも、Lさんの慎重・的確な運転とは大違いで、道は間違えるは勝手なところでノロノロ走るは、ウィンカーは出しっぱなしだは、と助手席の小生は冷や汗もの。途中、乱暴な韓国の運転事情を垣間見るような、あちらでガシャン、こちらでガツンと2回も交通事故を見かける。それでもCCさんでも何とか運転して目的地に着けるのだから、小生も韓国に住むようになったら車の運転をしてみようかな…
大邱から南へ約1時間、高霊(コリョン)にある「大加耶博物館」訪問が今日の目的。加耶とは、3世紀から6世紀にかけて洛東江流域にあった小国家群で、562年に新羅に併合されることで加耶時代は終わる。この地域の発掘調査は1970年代以降に始まったばかりで、日本列島全域で見つかる装身具や馬具はこの地域で生産されたものであることが確認されるなど、古代の日朝関係の交易がさかんであったことが明らかになった。
大加耶博物館では、韓国で最初に確認された殉葬墓である池山洞44号墳の内部を再現し、殉葬制度や墓の特徴を原寸大で見ることができる。王の名前はわかっていないが、王の周りに家来やその一族が数十人殉葬されている様態が興味深い。ガイドの聞さんによると、殉死と殉葬は違うのだそうだ。殉死は乃木大将のように家臣が切腹して王の死に続くこと。殉葬というのは女も子供も無理やり殺されるのだそうだ。王が暮らしていたときと同じような人々(家臣、奴隷、女、子供)を殺して同じ墓に埋め、王が来世でも同じような暮らしをできるように配慮するということらしい。殺された証拠に、遺骨の頭蓋骨に穴が開いていたりするそうだ。
任那日本府の問題や加耶の時代などについては、現時点で、初心者の小生には正直いって手に余る。大邱に住んで、自然に少しずつ関心を深め、現地を訪ねて、思ったことを書いていきたい。
「大加耶博物館」の係員が「お土産に」といって、発掘品の杯のレプリカをプレゼントしてくれた。日本人はまだ珍しいのだろうか?
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