松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2015年7月18日土曜日

清道逍遙





2015年6月7日(日)

陽差しの強烈な初夏の1日。
J氏、C氏、P氏、K氏とアジョシ5人で山歩き。
慶山の南にある清道(チョンド)駅近くの山をウロウロし、落台瀑布(ナクテポッポ)へ。
「ポッポ」「ポッポ」というから、何のことかと思ったら「瀑布」のことだった。普通「ポッポ」といえばキスのことである。
J氏は50代前半、大邱の旧市街の飲み屋で知り合った。10年くらい前に銀行員を辞め、定職はない模様で、毎晩誰かと安マッコリを飲んでいる。ブロークンだが、英語、中国語、日本語を話す。日本には昔出張で数十回行ったとかで、日本語もそれで覚えたという。大連に住んで中国人と結婚していた数年間もあったらしい。この日以降も毎日のように電話があり、ちょっと閉口した謎の人物。
この日はJ氏の音頭でこの5人が集まり、山歩きをして、サムギョッサルを食べた。




清道はただの田舎なのだが、歴史的には新羅時代から色々なエピソードがあるらしい。
セマウル運動の発祥地なのだそうだが、闘牛、柿、チュオタンくらいしか特筆すべきものもない。
この頃、韓国中が水不足で、瀑布というよりもチョロチョロと流れる小滝であった。

C氏の住まいが駅の近くにあり、アパートの5階、一人暮らしであった。4万ウォン相当のサムギョッサルはP氏のおごり。C氏は資産家の息子として生まれたが、現在は近所で小さな店をやっている。毎日聖書を読み几帳面なノートをつけている。P氏は兄が日本生まれで、戦後引き揚げてから自分は生まれたとのこと。K氏は大邱の専門大学で機械設計を教えている日本人。
やたら空疎におしゃべりなJ氏、無口な他の4人。仲良くはなったものの、小生の韓国語能力のためもあり、1日ではお互いのことがよくわからないまま。
J氏からパク・インヒのフォークソングを教えてもらい、後日データももらう。彼女は1970年から1976年まで活動した歌手で、引退してアメリカで暮らしている。フォークソング草創期のスターで、清純、詩的な名曲を残している。芸能界を引退し、決して「懐かしの名曲」的な番組にも現れない幻のスターらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=plph4xp69bk

0 件のコメント:

コメントを投稿