松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2012年5月1日火曜日

松汀里トッカルビ通り

地下鉄松汀里で降りて光山区役所を右へ行くと、トッカルビ通りである。








トッカルビは光州名物で、牛のカルビと豚肉などを叩き潰し餅のような形にして炭火で焼いたハンバーグ的焼肉。柔らかい肉に味付けがされていて、誰にも食べやすい。牛の骨と大根を入れたスープもどんどん出てくる。
入ったのは、唯一テーブルと椅子があった 이조송정떡갈비 という店。

満腹して、錦南路あたりまで戻り、明洞と同じような若者のにぎわいの中をオヤジ2人でウロウロ。バーを探したが見つからず、ホテルに戻ってスカイラウンジで光州の夜景を眺めながらカクテルを飲む。客はわれわれだけ。今夜も最後は侘しかった。

2012年4月30日(月)

十年ぶり、二度目の光州へ。
前回は春香伝の町・南原へ行ったので、光州では宿泊しただけ、美味しい焼肉店に入ったという記憶しかない。


ホテルは無等山の新陽パークホテル。タクシーで山中をドライブ、元暁寺などを見たあと市内へ。元気な中年女性のドライバーで、「キダリゴイッチョルケ!」などと、小生でもサトリ(方言)がわかる。演歌をがんがん流して歌いながらの彼女の運転を楽しみ、旧全羅南道道庁前で降ろしてもらう。


1980年光州事件のとき、ここで大規模なデモと衝突、銃撃と流血があった場所。向こうは錦南路。


近くの芸術街というのは仁寺洞みたいな書画骨董ギャラリーの町だが寂れている。中華屋があったので昼食は軽くジャージャー麺。






今日は月曜なので美術館、博物館などは休み。光州駅の観光案内所で国立5.18民主墓地は年中無休で開いていると聞き、訪ねる。光州事件の犠牲者や民主化運動の渦中で倒れた人々が陽光を受けて眠っている。行方不明の人、死体はあっても名前がわからない人の墓もあった。
ボランティアの女性の説明を聞きながらお墓詣りをし、展示館で日本語のビデオを観る。

日帝残滓とタコビビンバ

旧市街にそびえる儒達山に息をきらせつつ登って、港町木浦のパノラマを見る。


李瞬臣像を見上げつつ、さらに山頂の展望台へ。八重桜が満開。


山登りで汗を流したので、儒達山を下りるころにはマッコリの酔いも醒めていた。旧市街にある戦前の建物を探して歩く。


これは旧東洋拓殖木浦支店。「日帝植民地時代の象徴的な建物」で、現在は木浦近代歴史館。
館内は写真の展示だけだが、一階では昔の木浦の風景、町のたたずまいなどが楽しめる。二階は「残忍で悪辣な日帝侵略史」歴史認識の教育的写真ということで、そそくさと見る。


旧日本家屋を利用したカフェ。


これが旧日本領事館。港を見下ろす山の中腹にあり、遠目には赤レンガが美しい。木浦文化院として最近まで展示などがあったらしいが今は閉ざされていて無粋なセコムのステッカーが入口に貼ってある。

夕食はホンオ・フェの専門店「金メダル食堂」へ行くつもりだったが、S君が膝を痛めていてあぐらをかくのが苦手なのと、急に何となく臆する気持ちが生じて、 湖南洞の독천식당(徳仁食堂)へ。ネットのブログでは、この店のメニューにも ホンオ・フェがあると書いてあったが、古い話らしく、行ってみるとナクチ(手長ダコ)専門店で、タコ料理ばかり。椅子席はなく、S君しかたなく座布団を積み重ねて足を投げ出しつつタコビビンバに向かう。


タコはぷりぷりでうまいのだが、S君の顔から汗が出始める。齢をとってから唐辛子に弱くなり、ほんの少しの唐辛子でも体が反応してしまう由。この料理はさほどの辛さではないのだが、そうなるとキムチをはじめとして、突出し(バンチャン)のほとんどには箸を出せないということになる。


これはタコのスープ、ヨンポタン(軟泡湯)。





駅前の繁華街はルミナリエ通りと呼ばれて、韓国らしい派手なデザインの照明をしているのだが、日曜の夜、人ではまばらで侘しさがつのる也。

2012年4月30日月曜日

2012年4月29日(日)

9時20分発のKTXで、木浦へ。特室(グリーン)62600ウォン也(普通席44700)。平日だと58200ウォン(普通席41600)。車内のWifiがなかなかつながらず、再起動したらつながった。しかしあまりに遅いので、すぐに止めてしまう。日曜日の木浦行きの座席は普通車が約半分、2両の特室には10人くらいが座っている。S君は湖南線の寂しさに、大赤字を国が支えている現状を心配していた。
12時35分。木浦駅着。ホームで迎えてくれた演歌は「木浦の涙」か? 予想した通りの田舎町である。 タクシーで新安ビーチホテルへ。昼ごはんは、中央洞の 영란횟집(ヨンランフェチブ)で、ミノの刺身を食べてみる。


ミノというのは、日本語でニベというらしい。甘味のある白身魚で、コリコリとした背中の皮に近い部位と柔らかな部位とがキャベツの山の上にてんこ盛りにされている。
サンチュ、春菊にはさんで味噌を乗せたり、ごま油、醤油、塩などをつけたり、適宜好きなように食べ続ける。ビールと木浦マッコリ。


ミノのジョンとかメウンタンを食べようと思っていたのだが、刺身のてんこ盛り(45000ウォン)で満腹になってしまい、これだけで終了。

日曜日の午後とあって、町は静かだ。旧市街を歩いて、儒達山の登り口を見つける。







2012年4月29日日曜日

2012年4月28日(土)

KE702便で5か月ぶりのソウルへ。メトロホテルでS君と合流し、荷物も解かずにタクシーで馬場洞畜産物市場へ直行。昨年11月に行った 전봇태집 で焼肉盛り合わせ。ビール、焼酎、マッコリ。
入口近くの席に座ると、初夏の風が入り、まだ明るく、心地よい。GWが近づいても寒い日が続いていたので、ソウルでようやく初夏の薫りを感じた気分になる。
4年ぶりに明洞を歩いたS君の感想では、日本人と韓国人の若者の区別がつかなくなったとのこと。以前は何となく服装や雰囲気で日本人か韓国人か見分けられたが、今はそれがわからなくなった由。
明洞に戻り、함흥면옥で冷麺を食べ、S君の部屋でグレンリベットを飲んで本日は解散。カメラを忘れたので写真はなし。携帯で数枚写したのだが、うまくパソコンに送れず、面倒になってあきらめる。(酔っているので)



2012年1月4日水曜日

2012年1月4日(水)

娘は今日が仕事始めなので、朝7時半に家を出る。小生は明日から。家人は新宿のデパートに出かけた。家人の友人2人からの電話を受けた。ドコモのスマホ、相変わらずたびたび電源が落ちてしまう。裏のカバーを開けて、電池を入れるスペースの隙間に紙を詰める。原始的な方法だが、接触が悪いのなら、これで直るはず。


石神井公園駅は昨年高架が完成。駅自体はまだまだ工事中で、年内完成か? 「せめてスタバができてほしい」というのが、練馬の田舎に住む家人と娘の願い。
年賀状を書いている間に踏みつけてレンズがはずれてしまった眼鏡を持って駅前に行くが、眼鏡屋は明日から営業だった。つぶれた原ドーナツのあとに開店した鯛焼き屋で鯛焼きを一枚買い、食べながら、氷川神社へ。


参拝し、お守りを3つ買う。


三宝寺池は今日も穏やか。


氷川神社の参道を通って帰宅する。
曇り空だが、さほど寒くはない。
12月29日から1月4日まで、1週間の正月休みは今日で終わり。
年賀状を書き続ける。昨年の寒中見舞い(喪中挨拶)、今年の年賀状は、来た年賀状だけに返事を書くことで、500通出していた年賀状を300枚弱まで減らすことができた。
KST文学賞の応募原稿を読み始める。もう10年以上続けているボランティア的な仕事で、小生も含めて4人で80編ほどの作品を読み(2次選考)、候補作5~6編に絞るまでを行う。地方文学賞としては健闘しているほうで、プロ作家を何人も世に送り出している。来年を最後に、辞めたいとは思っているのだが…。

2012年1月1日(日)

元日は関町の義母がやってきた。迎えに行くと、(二世帯住宅なので)家人の姉の夫、その息子一家、娘一家全員玄関に挨拶に現れ、焦る。こういうときは近所に住む叔父さんとしてお年玉を用意していくべきだったか…。
義母はおでんを持って来てくれた。


これは息子が持って来たチーズの漬け物。


あとは、こんなものが並んだ。


お雑煮。


恵那・川上屋のおせち和菓子。


息子は初売りのセールに明朝出かける由で、元日の夜に帰る。井荻駅まで送る