松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年7月7日日曜日

AVEでバルセロナへ

2013年6月15日(土)

アトーチャ駅からAVEに乗ってバルセロナへ向かう。東京ではネット予約がすぐに「満席」となってしまうので、Tさんにお願いしてEチケットを取ってもらった。



マドリード 9:30  →  バルセロナ 12:40 2等で約80ユーロ。インド人の団体客で騒がしかったが、快適に時間通り到着。車窓から見える風景はほとんどが灼熱の原野。
タクシーでグラシア通りの Condes de Barcelona へ。通されたのは向かいの別館で、こんな部屋だった。


西側の壁が全面ガラスで陽射しが強烈、深夜までクーラーが効かないほど暑く、落ち着かないデザイン・ホテルのような部屋。シャワーを使うとお湯が床まで溢れ出したので家人が怒り、翌日からは本館の昔ながらの部屋に変えてもらう。


バルセロナも暑い。マドリードよりは風がときどき通り過ぎ、空には雲もあるのだが、夏風邪の2人にはやはり予想外の暑さがこたえる。カサ・ミラとグエル公園に出かけた。















グエル公園へ。

カサ・ミラは、屋上から部屋のさまざまな意匠まで、その時代の美意識や先鋭な感覚が楽しめたが、グエル公園は観光客で溢れかえっており、なにしろ無料の公園なので、俗っぽさや荒れた感じが否めない。














2つの盃

19時半、Tさんと、14年ぶりに ムール貝専門店 La Ria を訪れる。ホテルから徒歩で10分くらい。


この店では、白ワインを盃のような陶器で飲ませる。右が14年前この店に来た時にTさんに交渉してもらい、日本に持ち帰ったもの。今回、持ってきたのだ。左が現在の器。文字やイラストの位置、大きさ、材質も少し異なる。


新鮮なムール貝がオリーブ油を使わない秘伝のスープに漬かっている。季節柄小ぶりだが、酸っぱいような甘いような独特の風味が香り立つ。
14年ぶりに対面した新旧の盃を店のスタッフも喜んでくれて、今の器も持ち帰っていいと言ってくれた。もちろんTさんのお口添えのおかげである。


ここはBAL横丁といった一角で、だんだんと客でにぎわい、満席になってゆく。




14年前同様、隣の Las Bravas に移り、イカ、カタクチイワシ、チキンなどを特製のオレンジ色のソースで堪能する。




家人も3日めにしてようやく回復し、マドリードの街の活気やにぎわいを楽しむ。夜遅くまで飲食を楽しむスペインの人々。夜が更けていくと暑さはおさまり、風は爽やかで、夜空に月が浮かんでいる。ご心配をおかけしたり、14年ぶりのBal再訪を演出してくれたTさんに感謝。

2013年7月6日土曜日

サン・ミゲル市場





ゲルニカ

6月14日(金)
ソフィア王妃芸術センターに出かけて、「ゲルニカ」を見る。14年前にも来ているはずだが、全く覚えていない。今の建物は新しく斬新なデザインなので、以前は古い建物で、そちらに行った筈なのだが‥‥。




ホテルから歩いて行けるサン・ミゲル市場へ。昔は早朝から営業する食品市場だったのだが、今はモダンな観光客向けの場所となり、朝10時から深夜まで、立ち飲み、買い食いの人気スポット。



2013年6月13日(木)

朝、燕が空を舞う。マドリードは連日快晴、青空に雲一つなく、陽射しが強烈。夏風邪の2人にはこれが厳しかった。
LINEは便利。データローミングを切っていても、WIFIがあれば簡単につながる。SKYPEはお互いがONにしていなければつながらない。最近家族全員で導入してみて、東京、マドリード、パリ、バンコク、ドーハなどで確認した。

さて、マドリードでは Plaza San Martin に面したIntur Palacio San Martin というホテルに泊まる。
落ち着いた小さなホテルで、団体客はおらず、ドイツや北欧の中高年個人客が多く、体調が悪かったので静かに休むことができた。

午後1時、スペイン在住45年のTさん来訪。マドリードでお会いするのは14年ぶり。Tさんは近鉄インターナショナルの代表などを務めておられた方で、14年前には宮本徳蔵さんの取材旅行でお世話になった。その時には、セビリア、コルドバ、トレドなどにも足を延ばした。小生も46歳だった。

家人は部屋で静養中。ホテル近くの Meson Las Descalzas というバルで、ビール、生ハム、エビ、マッシュルーム、サラダなど。Tさんのご好意で、残ったサラダなどをタッパーに入れてもらい、ホテルの部屋に持ち帰る。

夕方、といっても午後6時過ぎだが、家人とプラド博物館へ。しかし彼女はふらふらで、館内ですぐに座り込んでしまう。早々に戻り、明日に備える。

2013年6月30日日曜日

マドリードへ

2013年6月12日(水)


深夜、羽田からパリに向けて出発するはずだったのに、シャルル・ドゴール空港管制官のストライキのためにJL41便が運休となり、12時間遅れの成田発フランクフルト行きJL407便に変更となる。
そのうえ数日前からひいていた小生の夏風邪が家人にも感染ったらしく、フランクフルト空港ではトイレに駆け込み続け、ルフトハンザに乗り換えマドリードに深夜着く頃にはダウン寸前であった。初日から、これでは、先が思いやられる…。

往復の飛行機の中で観た映画で、良かったのは、

cold war(寒戦) 香港映画・日本未公開 
「インファナル・アフェア」の系列の、香港警察内の権力闘争を描く、スピーディで展開の読めないクライム・アクション。

side effects (副作用) 米映画・日本未公開
ジュード・ロウ扮する精神科医が若い女性患者(ルーニー・マーラ)に翻弄される医療サスペンス。

王になった男 韓国映画・イ・ビョンホン主演
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7
「王子と乞食」「影武者」を、李朝時代劇に持ってきたようなエンタメ。さすがにストーリーがよくできていて、イ・ビョンホンも達者である。

2013年6月10日月曜日

鹿洞書院再訪

6月1日(土)

2007年以来、6年ぶりに鹿洞書院を訪ねる。七星市場からバスに乗って約1時間。




昨秋、「韓日友好館」というハコモノが出来た。


(2010年10月1日の日記を再掲)
文禄・慶長の役で加藤清正配下の武将・沙也可が投降し、金忠善となったという伝承が現在の鹿洞書院につながっている。ちなみにF先生は沙也可研究会を主宰し、沙也可は阿蘇氏の一人であるという観点から調査を進めている。

小生が大邱を訪ねるようになったのは、宮本徳蔵氏の小説「虎砲記」を読み、金忠善の子孫が金海金氏となり、鹿洞書院を中心とした村に住んでいるという物語に魅かれたことがきっかけだった。
大邱を初めて訪ねたのは、2007年の年末だった。記念館を見せてもらうと、展示の仕方も建物も少々お粗末で、失望したのを思い出す。夏場は日本人が乗った観光バスが止まることもあるそうだし、紀州・雑賀説(神坂次郎氏が提唱)が政治家がらみ(経済と観光)で大手を振り、伝承の検証と史実の探求、現実の子孫たちの思惑とは微妙にずれや歪みをもたらしている。


友好館の展示はなかなか良くできていた。テーマは日韓交流史。壬辰倭乱ではなく、壬辰戦争という言葉を使っていて、訪れる日本人に気をつかっている。沙也可(金忠善)を紹介する3D映画も、CGを使って驚くほどの現代的な映像になっていた。映画の最後に、和歌山の二階俊博代議士が挨拶するのが少々ひっかかった。
彼らの根拠は、雑賀衆→沙也可、朝鮮に鉄砲の技術を伝えた、それだけなのである。





裏山に金忠善の墓が整備されていたので、登ってみる。F先生によれば、せいぜい百数十年前の物だという。
「慕夏堂文集」その他、沙也可=金忠善の資料で、一部しか公開されていないものがまだあるとか。降倭の武将・沙也可とは何者だったのか、決定的な資料はまだ見つかっていない。400年前の人物でも、謎は多い。ましてや古代史となれば、1人1説が可能なのである。

この日は、韓日友好館のボランティア、チェ・イグムさんや、大邱駅地下のコーヒーショップ「Nero」のアルバイトの女性など、大邱の若い人で日本語を話す人に出会う。
しかし、ここ数年、大邱における日本語学習熱は下がり、皆が中国語を習うのだという。
そういえば、定宿のユニオンホテルも中国人の団体客で騒がしかった。尖閣問題や反日騒動の影響で日本へ行く観光客が減り、大邱にまで(失礼)大挙して中国人が押し寄せていた。

最後の夜は、F先生と昨夜のShinjuku近くの居酒屋へ。女将さん、大邱には珍しい、控えめな挙措の美人であった。