2ヶ月間の長い冬休みが終わり、설날(元日、今年は2月19日)の翌日、観光ビザで韓国に戻る。
オンドル暮らしを知った身には、東京の住宅で過ごす冬はとにかく寒かった。家人がソファー用兼1人用こたつというものを買っていて、テレビを見るときなどは重宝した。
日本でもいろいろなことがあったが、なんとなくブログに書く意欲が湧かず、やはり韓国に戻ってからということで、継続、再開する也。
1つだけ日本でのことを書くと、先日、2年前に退職した会社の同期生たちの集まりがあった。1975年4月に同時に入社した同僚のうち、1人だけ残っていたMさんを囲み慰労する会で、彼女も3月末で定年退職する。これで同期生全員が退職となり、何かすっきりとしたような気分。40年の歳月が過ぎた。同期生たちのその後は様々だろうが、とりあえず一区切りであり、彼ら彼女たちの第2の人生の幸運を祈る也。
これはわが風景荘のあるシンデリにオープンした「パリ・バケット」。財閥の娘が経営する全国チェーンが、またもや地元の小さなパン屋さんを駆逐することになるのだろうか。
さて、大学院が始まる前の1週間、いろいろな準備や手続きをしなければならない。
まず大学院の事務室(ここでは行政室という)に出かけ、外国人学生を担当するペク・ジウォンさんと初めて会う。メールでのイメージ通りの若いテキパキとした女性で、電話がどんどんかかってきて忙しそう。外国人登録やD2ビザのための書類をもらい、慶山市の保健所に向かう。今年から「健康証明書」が必要なのだ。
保健所は慶山市庁の向かいにあった。銀行のようなカウンターがあり、番号札を取って並ぶ。診療室に行くと、嶺南大学学生は500ウォンのはずが小生の名前はリストにもなく、日本は該当国ではないそうで、一般人扱いで1万ウォン払わされる。ただし、職員たちは非常に親切。診察はシャツを着たままX線を取るだけの簡単なもので、2日後もらった証明書を見ると「結核なし」のみの内容だった。こんな形式主義の書類をもらうために毎日たくさんの人がつめかけているようだ。
2月23日(月)の午前中は卒業式(学位授与式)で、各学部ごとに卒業生や親たちが集まり、にぎやか。彼ら目当ての花束売りがキャンパスのあちこちに。
出入国管理事務所であらためて外国人登録とD2ビザの申請をする。
相変わらず出稼ぎ外国人たちでごったがえしていたが、1時間ほどで受付となり、書類も揃っていたのでスムーズに処理される。登録手数料13万ウォン。外国人登録事実証明書(2000ウォン)をもらい、3週間後に登録カードがもらえる。
翌日、大邱銀行での3月からの家賃自動引き落とし手続きも無事終了。
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