松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2015年11月22日日曜日

法住寺・華陽九曲

2015年11月1日(日)

先週は学部の中間試験だったので、大学院の授業も、中国語のクラスも休みだった。キャンパスの紅葉はこの頃がピークだったような感じがする。

この日は民學会の踏査会に参加した。行先は槐山(クェサン)だという。またしても知らない土地である。先日訪れた忠清北道の堤川(チェチョン)より南の地域で、大都市では大田(テジョン)に近い。槐山郡というらしいが、新羅時代、百済の攻撃を受けて讃徳という将軍が最後まで抵抗し、力尽きて槐(けやき)に頭を打ち付けて自決、後年これを称えて槐山という地名ができたそうだ。

この一帯は俗離山(ソクリサン)国立公園であり、その要にあるのが法住寺(ポプジュサ)である。新羅時代、553年に創建された。
これは捌相殿(パルサンジョン)といい、韓国唯一の木造五重塔。



高さ22メートルの屋根の勾配、角度、木材の質感など、絶妙に美しい。この五重塔に限らず、この日の踏査会が、この秋のベストワンとなった。

五重塔をはじめとして、法住寺全体が、他の寺とは違う雰囲気があるのだ。空間も建物も、周囲の山も、風水が良いのであろうか。肌で感じる何か・・・。



双獅子石塔。現存する韓国最古の石灯籠。統一新羅時代。



金ピカの青銅弥勒大仏は、高さ33メートルで、1990年から。




昼食後に向かったのが、華陽九曲(ファヤンクコック)という溪谷である。


溪谷の入口で派手な仏教の祭りをしていた。どういう趣旨なのかはよくわからず。

朝鮮中期の儒学者・宋時烈を祀る華陽書院。寂れて活気がない。







「九曲」というのは「八景」のようなもので、南宋の朱子が福建省武夷山に弟子たちと住み、武夷溪谷の絶景を「武夷九曲歌」として詠んだ故事に由来する。
朱子の生き方を範とした李朝の儒学者たちが山間の溪谷に隠居し、景観に名前をつけ、詩歌を詠んだり絵画を描いた。造園、建築、文学、絵画を一体とした「九曲文化」が朝鮮各地に生まれた。
「華陽九曲」はその中でも代表的な風景なのである。















九曲を往復して一時間くらい。道も険しくなく、よく整備されている。変化に富んだ奇岩や溪谷と紅葉を楽しみながら、気持ちの良い時を過ごした。何より人が少ないのがいい。

法住寺と華陽九曲と秋の紅葉。この秋で一番楽しめた踏査会であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿