2015年4月17日(金)
昨日はセウォル号事故から1周年だが、追悼行事は大荒れ。自殺した慶南企業会長のメモから発覚した朴政権首脳への献金疑惑。逃れるように、朴大統領は南米歴訪に旅立った。海外にいるときが彼女は一番幸せかもしれない。
朝5時半、始発の地下鉄に乗り、聖堂池(ソンダンモッ)駅で降り、西部バスターミナルへ。7時14分発、咸陽(ハミャン)行きのバスに乗り込む。
うつらうつらしながら約2時間、慶尚南道咸陽着。
市外バスターミナルの周辺にはコーヒーショップが見当たらない。タクシーがたくさん駐車しているが、人は少なく、運転手たちは時間を持て余しているようだ。
この町は全羅道との県境に近く、智異山国立公園の入口なので、観光客向けのタクシーが多いのだろう。春香伝の南原(ナムウォン)にも近い。
町を歩いてみると、中心部にようやくパリ・バケットとミスター・ドーナッツがあるが、入って時間をつぶす気にはなれない。
生草(センチョ)に行くにはどのバスに乗ったらいいのかと人に聞くと、さっき降りた市外バスターミナルから晋州(チンジュ)行きに乗れと言われる。
10時過ぎに咸陽を出て、生草に着いたのは10時半くらいだったか。待ち合わせ時間にはまだ早すぎるけれど…。
生草(センチョ)はもっと田舎の小さな町だ。お茶を飲んで時間をつぶすところは、皆無に近い。山の上の公園は芝桜がきれいだが、ちょっとあそこまでは遠い。
生草農協の前で、ソウルからのバスを待ってぼーっとする。町の人たちはお互いが皆顔見知りなのだろう、のんびりと挨拶を交わしている。
手持無沙汰で路上に座っていると、洗濯屋のおかみさんが、ちょっとコーヒーでも飲んでいきなさい、と声をかけてくれた。
有難く、中に入って、コーヒーや果物、梨などをご馳走になる。その間、近所のアジュンマ、ハルモニたちが、出たり入ったり、世間話に花が咲く。何を話しているのか聞き取りは難しいけれど、小生も適当に相槌を打ったり、自分の話をしたり、田舎の人の親切に馴染んでいるうちに、12時近くになって、ようやくソウルからの赤い中型バスが到着した。
今日は、友人のS君(日本人)の妻Kさん(韓国人)の一族、河東鄭氏(ハドン・チョンシ)のお墓詣りに参加するのだ。
天気は良く、春の穏やかな1日。総勢20名近くの一行は、生草農協で酒や果物などを買いこみ、近くの山に向かう。13年間続いている春の墓参りだという。
東京から来た人が6、7人。Kさんから1人1人紹介されたのだが、おじさんやらおばさんやら従妹やら、姉妹やら、もちろん覚えきれない。日本人は小生も含めて4人。韓国語と日本語が半々くらいの割で飛び交う。
土饅頭に酒をふりかけたり、果物やお菓子を供えるが、お花はない。男、女の順に三拝する。Kさんはクリスチャンなので三拝はしなかった。
この山全体が一族の所有だというから驚く。まっさきにお参りしたのは鄭氏ではなく柳氏の墓。
柳氏というのはハルモニの墓で、彼女が嫁入りしてきた時に、この山を持参したのだという。
広大な山の中に、鄭氏一族の墓が点在していて、地元のお爺さんが墓守を依頼されている。
一族の多くはソウルや東京に住んでいるので、ここは簡単に来れる場所ではない。普段の草刈りや道の整備などは墓守のお爺さんがしているのだそうだ。
三拝したあとは、日本酒やらマッコリやら、紙コップでちょこちょこ飲まされる。それからまた次のお墓に移動したりするので、汗もかき、だんだんときつくなってきた。
Kさんの父上の墓をふくめ、七つか八つのお墓をお参りしただろうか、和気あいあいとした雰囲気のうちに、一行は安堵した表情でバスに乗り込む。
三拝しているうちにその人の思い出が蘇り、涙がこみあげてくるのだそうだ。
ここは一族だけの山なので、話し合って、思い思いのところにお墓が作れる。
「私はこのへんがいいかな」とか、「ここは景色がいいね」とか、将来はこの山に帰ってきたいという人が多いようだ。ただし年配の人だけの話。
日本に住んでいる人や、韓国語を話せない3世、Kさんのようなキリスト教徒などもおり、この山と墓が次世代まで順調に継続されていくかどうかは、なかなか難しそうな感じであった。
昨日はセウォル号事故から1周年だが、追悼行事は大荒れ。自殺した慶南企業会長のメモから発覚した朴政権首脳への献金疑惑。逃れるように、朴大統領は南米歴訪に旅立った。海外にいるときが彼女は一番幸せかもしれない。
朝5時半、始発の地下鉄に乗り、聖堂池(ソンダンモッ)駅で降り、西部バスターミナルへ。7時14分発、咸陽(ハミャン)行きのバスに乗り込む。
うつらうつらしながら約2時間、慶尚南道咸陽着。
市外バスターミナルの周辺にはコーヒーショップが見当たらない。タクシーがたくさん駐車しているが、人は少なく、運転手たちは時間を持て余しているようだ。
この町は全羅道との県境に近く、智異山国立公園の入口なので、観光客向けのタクシーが多いのだろう。春香伝の南原(ナムウォン)にも近い。
町を歩いてみると、中心部にようやくパリ・バケットとミスター・ドーナッツがあるが、入って時間をつぶす気にはなれない。
生草(センチョ)に行くにはどのバスに乗ったらいいのかと人に聞くと、さっき降りた市外バスターミナルから晋州(チンジュ)行きに乗れと言われる。
10時過ぎに咸陽を出て、生草に着いたのは10時半くらいだったか。待ち合わせ時間にはまだ早すぎるけれど…。
生草(センチョ)はもっと田舎の小さな町だ。お茶を飲んで時間をつぶすところは、皆無に近い。山の上の公園は芝桜がきれいだが、ちょっとあそこまでは遠い。
生草農協の前で、ソウルからのバスを待ってぼーっとする。町の人たちはお互いが皆顔見知りなのだろう、のんびりと挨拶を交わしている。
手持無沙汰で路上に座っていると、洗濯屋のおかみさんが、ちょっとコーヒーでも飲んでいきなさい、と声をかけてくれた。
有難く、中に入って、コーヒーや果物、梨などをご馳走になる。その間、近所のアジュンマ、ハルモニたちが、出たり入ったり、世間話に花が咲く。何を話しているのか聞き取りは難しいけれど、小生も適当に相槌を打ったり、自分の話をしたり、田舎の人の親切に馴染んでいるうちに、12時近くになって、ようやくソウルからの赤い中型バスが到着した。
今日は、友人のS君(日本人)の妻Kさん(韓国人)の一族、河東鄭氏(ハドン・チョンシ)のお墓詣りに参加するのだ。
天気は良く、春の穏やかな1日。総勢20名近くの一行は、生草農協で酒や果物などを買いこみ、近くの山に向かう。13年間続いている春の墓参りだという。
東京から来た人が6、7人。Kさんから1人1人紹介されたのだが、おじさんやらおばさんやら従妹やら、姉妹やら、もちろん覚えきれない。日本人は小生も含めて4人。韓国語と日本語が半々くらいの割で飛び交う。
土饅頭に酒をふりかけたり、果物やお菓子を供えるが、お花はない。男、女の順に三拝する。Kさんはクリスチャンなので三拝はしなかった。
この山全体が一族の所有だというから驚く。まっさきにお参りしたのは鄭氏ではなく柳氏の墓。
柳氏というのはハルモニの墓で、彼女が嫁入りしてきた時に、この山を持参したのだという。
広大な山の中に、鄭氏一族の墓が点在していて、地元のお爺さんが墓守を依頼されている。
一族の多くはソウルや東京に住んでいるので、ここは簡単に来れる場所ではない。普段の草刈りや道の整備などは墓守のお爺さんがしているのだそうだ。
三拝したあとは、日本酒やらマッコリやら、紙コップでちょこちょこ飲まされる。それからまた次のお墓に移動したりするので、汗もかき、だんだんときつくなってきた。
Kさんの父上の墓をふくめ、七つか八つのお墓をお参りしただろうか、和気あいあいとした雰囲気のうちに、一行は安堵した表情でバスに乗り込む。
三拝しているうちにその人の思い出が蘇り、涙がこみあげてくるのだそうだ。
ここは一族だけの山なので、話し合って、思い思いのところにお墓が作れる。
「私はこのへんがいいかな」とか、「ここは景色がいいね」とか、将来はこの山に帰ってきたいという人が多いようだ。ただし年配の人だけの話。
日本に住んでいる人や、韓国語を話せない3世、Kさんのようなキリスト教徒などもおり、この山と墓が次世代まで順調に継続されていくかどうかは、なかなか難しそうな感じであった。
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