松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2011年5月6日金曜日

2011年5月5日(木)

朝8時前に横井さんに見送られ、トラムに乗る。チューリッヒ空港からスイスエアーでパリへ。空いていて快適。シャルル・ド・ゴール空港からホテルまで、重いトランクを抱えての移動は思った以上にストレスフルだった。paris visite 3 jours というカルトを41ユーロで買い、北駅Gare du nord でメトロ5号線に乗り換え、 Republiqueで8号線に乗り換え、Bonne nouvelle駅で降り、Holiday inn Paris Operaまで、通りの番地表示を見ながらガラガラとトランクを押してやっと到着、午後4時。各駅にはエスカレーターもなく、複雑な階段、不親切な表示。地下鉄車内も液晶表示どころか、どちらの方向に走っているかもホームの駅名を見て確かめないと心配になる。まあこれが当たり前で、東京メトロなんかは乗客に親切すぎるのかも。
ホテルは相当に年季の入った古い建物をリノベートしたもので、螺旋階段の中心にクラシックなエレベーターがガッチャン、ガチャンと動く。wifiは1日17ユーロで、簡単につながった。街へ出て、携帯電話の店を探し、プリペイドのsimcardを購入。3日間しか使わないのに55ユーロはちと高いか? skypeやらツイッターやら産経新聞など試して、スイスでのiphoneのブランクを解消するような気持ちになる。カフェでビールを飲みながら携帯をいじり、財布にあるユーロのお金を確かめていると、隣のフランス人から「人前でお金を見せない方がいいよ」と親切な忠告を受ける。さすがにパリに来た実感がわく。ごみや犬の糞で路は汚いし、人相の悪い連中が行き来しているけれど、ベルンとは違って堅苦しくなく解放感がある。
午後7時に好村兼一さんがホテルに迎えに来てくれて、彼の運転するアウディで、ムラート街にあるA&Mというレストランへ。
http://www.am-restaurant.com/

福山さんというシェフが25年以上開いている店で、満員の盛況ぶり。豚の胸腺のお焼きを一口味わうと、やっと美味しいものにありつけた喜びが湧いてくる。オランダ、スイスで食べたもの、あれは一体何だったのだろう(泣)。

2011年5月5日木曜日

2011年5月4日(水)

今日も青空。横井さん宅からゆっくり歩いて20分で「パウル・クレー美術館」に到着。関西国際空港を設計したことで知られるレンゾ・ピアノの建築。曲線の使い方が何やら似ている。このクレーのコレクションは全部モーリス・ミューラーという人が集めて寄贈したもの。スイスには、知られざる、とてつもない金持ちがいるのだそうだ。美術館の中もすっきりしたデザインが細部まで徹底されていて気持ちがいい。クレーの絵より、建物のほうが印象に残ったのだった。
バスで旧市街まで出て、お土産探し。その前に、昼食。スパゲティを食べたくて駅前のSCALAというイタリアン・レストランに適当に入る。店構えも雰囲気も高級感漂い、期待したが、ぺぺロンチーノを頼んだのが失敗(泣)。
これぐらいなら、時々家で自分でつくるものと変わらない。デザートのパンナコッタもイマイチ。前菜のサラダ、赤ワイン2杯とで67スイスフラン。トホホ…である。サービスの女性も愛想をふりまくマネージャーもいい感じだったのだが…。
ベルンの街は狭い…というのは、ぶらぶら歩いていると、昨日駅の時間待ちに書店に入り、横井さんが声をかけた中国人の青年とばったり会ったからだ。ベルン大学を出てこの街に住んでいると言っていたが、奥さんと小さな子供と一緒だった。
街を歩くが、これはという店には出会えない。アムステルダムの方がまだありそうな気がする。


夕方、横井さんに頼まれて郵便局に荷物を出しに行ったら、SCALAの愛想のいいマネージャーとばったり。ランチをエンジョイしたかとにこやかに握手をされたので、仕方なく、イエース、何とかかんとかと、適当なことを言って手をふって別れる。
結局大した物は買えず、旅行用品の小物を少し。夕食は横井さんと団地の食堂(ピッツェリア)で。頼んだものがまた失敗で、書く気も起こらず。明日のパリに期待するしかない。
緑あふれるベルンに5日間も滞在して、ゆったりとした時間を過ごせたのは良かったが、美味しいものには遭遇できなかった。マリスからもらったボンべイ土産のマンゴーが一番だったかも。
横井さんはチャリティ展の準備やら何やらに忙しく、小生が居候するのも負担だったみたい(女性だから、やはり何かと神経が細かい)で、男と女が一つ屋根の下に生きることの難しさをあらためて実感。

2011年5月4日水曜日

2011年5月3日(火)

朝から雨。ベルンでも一月ぶりらしい。本日は今回の旅のハイライトとなるはず。トーストと珈琲のいつもの朝食後、傘を差してWittigkofen駅へ。ホームにある券売機兼改札機
に縦長のチケットを差し込む。これは昨日スーパーで買っておいたもので20スイスフラン。6回分乗れる仕組みで、この機械に差し込むと印字され肩の数字の部分が切り取られる。乗客は自発的にこれをしなければならない。車掌はいないので、無賃乗車は簡単にできるが、ときどき私服の職員が乗り込んでいて2人がかりで客を摘発、その場で罰金80フランを巻き上げるのだという。アムステルダムのトラムは入口・出口でチケットを読み取り機にかざさないとドアが開かない仕組みで、こちらのほうが合理的だと思うが、お国柄の違いか。

ベルン駅で Bern - Weinfelden の往復2等チケットを購入。126スイスフラン。横井さんは高齢者割引の半額カードを持っている。スイスにはさまざまな割引制度があって、国民はそれらを上手に活用することで高額の交通費等に対処する。Weinfeldenまでは約2時間。近づくにつれて雨も上がってくる。駅には予約したタクシーが待っていて、Ermatingen の Chateau Wolfsberg へ。緩やかな緑の丘陵地帯を車は走る。人間より牛の数の方が多いに違いない。スイスの畑や牧場はどこでも美しく整地されていて色彩が豊かだが、ドイツ国境のこのあたりはちょっと垢抜けしていなくて田舎くさい。
20分ほど走って、Wolfsbergに到着。このお城、高い尖塔はなく平城のような形だが、16世紀の後半にWolf Walter von Gryffenberg という領主が建てた。所有者はさまざまな歴史とともに変わったが、パンフレットによるともっとも輝いていた時代は1820年代から1830年代、ワーテルローの戦いのあとナポレオンの側近・支持者たちが住んでいた頃らしい。ナポレオンや将軍たちの肖像画や当時の武具なども飾られている。1970年代に入って、UBSというスイスの大銀行が買い取り、ホテル兼セミナーハウスとして改装、モダンな新築棟も作られた。
CEOのDr.SchonenbergerとアートディレクターのDr.Jefticが迎えてくれて、まずランチタイム。肉か魚かベジタリアンか。魚のメニューを見るとフライだったので昨日と同じではいけないと肉を選ぶ。見た目は美しかったが、平凡なビーフステーキであった。しかしサービスは全体にレベル高く、デザートのムースは美味。横井さんが連れてきたゲストというので2人とも話しかけてくれるのだが、昨日のマリスといい、スイス人は真面目である。オランダでも感じたがドイツ語圏は概して勤勉、真面目。「日本の原発政策は変わっていくのか」「日本の文学の現状はいかに?」……もう少しジョークを交えて変化球を投げてくれないかと内心うんざりしながら覚束ない英語で真面目に答える。わかったのだか、通じたのだか、よくわからないままにランチは終了。


Mond Sonne Jahreszeiten (月、太陽、季節)というタイトルの今回の展覧会は、横井さんの熱烈なコレクターであるUBSのグルーベルCEOの肝煎りで実現し、昨年の11月から今年の5月末まで開かれている。地下、1F、2Fにわたる展示は、展覧会と言うより、自然に囲まれた個人の大邸宅に飾られているかのようである。ほとんどの絵は売れてしまったらしく小さなオレンジ色の札が付いていた。









横井さんの展示以外に、Dr.Jefticに案内してもらい、館内を見学する。ホテル棟はモダンで清潔。コンスタンス湖(向かい側はドイツ)を見下ろすロケーションも、田舎の風景も、素敵と言えば素敵だが2日もいると退屈しそう。伊丹十三ではないが、欧州を旅していて「退屈」という言葉がいつも頭を過ぎるのはなぜだろうか。
横井さん、せっかちで、わずか2時間で見学は終了。もっとゆっくりお茶を飲んだり大女のDr.Jefticと雑談したりしたかったのだが、タクシーが迎えに来て、Wolfsbergを後にする。

2011年5月3日火曜日

2011年5月2日(月)

横井さんと家の周りを一緒に散歩。ベルンの中心部からわずか十数分の緑豊かな地域。遠くにアルプスを望み、牧場ののどかな景色を眺めながら歩く。11時にマリスがやってくる。彼女はスイスエアーのアテンダントで50代初めか。灰色の髪を持ったなかなかの美女で、横井さんとは小生と同じく20年来の友人。ボンベイのフライトから帰ってきたばかりで、インド産のメロンとマンゴーがお土産。あとで食べたが、ボンベイのマンゴーというのは独特の香りとねっとり感で美味。
マリスの車で、今日はトゥーン Thun へのドライブ。ベルンから南へ25キロ、アルプスに向かって、スイスの絵はがきのような風景の中を走る。アルプスが近づくと中央高速からの八ヶ岳や南アルプスを思い出し、トゥーン湖の周りを走ると芦ノ湖のことを思い出す。亜流や似せ物を見てから本物を見るような妙な気分であった。マリスが探しておいてくれた seerose hotel の湖に面したレストランで、perch (スズキ科の淡水魚)のフライを食す。小さく淡泊な白身魚でムニエルかフライで食べる、スイスの湖ではポピュラーな料理。レモンとホワイトソースで食べる。白ワイン少々。

湖を一周しながら対岸の Schloss Thun トゥーン城へ。12世紀以来の城だが、4本の円塔が珍しい。最近スイス人の銀行家が買い取って修復工事中で、横井さんもその中に展示室をと持ちかけられているそうだ。
暑くもなく寒くもなく、風もなく、シーズン前の快適な一日をスイスの風景の中で満喫する。マリスは横井さんのアシスタントのようにフライトを調整して何度も一緒に来日している。ドイツ語なまりの英語はときどき聞き取りにくいが、自己主張の少ない穏やかな人柄で、横井さんの周りにはいつも彼女のような助けてくれる人物が現れる。(小生もその1人か。ちょうど1年前は成田まで送っていって、成田ヒルトンに泊まり、チェックインするまでお世話をしたのだった)
夕食は近所のピザ屋に繰り出す予定だったが、横井さん少々お疲れのようで、ありあわせのものを食べて一日が終了。

2011年5月2日月曜日

2011年5月1日(日)

アムステルダム中央駅前のホテルを10時前にチェックアウト。部屋は狭かったが、駅から近い、wifiがすぐつながる、水回りは良い、朝食がうまい(クロワッサンにコーヒー程度)ので、まあ合格点か。一昨日の夕方の歓喜の声(女性のクライマックス)には驚いたけれど。
スキポール空港は広いが、シャルル・ド・ゴール空港のわかりにくさに比べて、とても明快。KL
1959便でチューリッヒへ。チューリッヒ空港は12年ぶり。ベルンまでの電車に乗り込むのも明快だが、1等で87スイスフラン、2等で52スイスフラン。この程度の列車の2等で1時間、6000円はないだろうと思う。横井さんによると、今やスイスの値段の高さに日本人観光客は激減しているのだという。ここ数日の実感でも欧州は相当に割高である。たいした食事も買物もしていないのに、お金がどんどん飛んで行く感じがある。
ベルン駅前から Saalli 行きのトラムに乗って Wittigkofen で降りると、横井照子さんが迎えてくれた。横井さん宅に荷を解き、今日から5日まで滞在。横井さん手作りの料理とイタリア・ワインで一日が終わる。

2011年5月1日日曜日

キューケンホフ公園

サバティカルでライデン大学に来ている崔先生とその家族は一昨日までパリに旅行していた。小生を迎えるためにスペインに行く予定を切り上げてライデンに戻った様子だったので申し訳ないような気がしていた。聞くと、3月にライデンに赴任するとき、家族3人で一緒にやってきて、そのまま3月、4月、5月と3ヶ月の間、ずっとユーレイルパスを活用して欧州を旅して廻っているのだという。娘さんは嶺南大学英文科の2年生になるのを休学させて一緒に連れてきている由。来週からはスイス、北欧、イタリアなどを巡り、5月末に奥さんと娘さんは大邱に戻って、「研究は6月からです」というのだから、余裕というか羨ましいというか、家族サービスとしてはこれ以上のものはないであろう。








ハーグからライデンに電車で戻り、ライデン駅前からバスでキューケンホフ公園へ。ここはチューリップ中心の球根植物園で、3月中旬から5月中旬まで、年間2ヶ月のみオープンという、季節限定のテーマパークである。ありとあらゆる色彩、形状のチューリップが緑豊かな敷地にこれでもかというほど咲き競っている。園内のすべてが記念写真を撮るのに適した場所で、観光客もシャッターを切るのに忙しい。家族連れも多いが、ヨーロッパ中のお年寄りたちがどっとバスを連ねて殺到している感じがした。過ぎたるは及ばざるがごとしで、2時間、4000種、600万株のチューリップや水仙を見続けると満腹しすぎて、一生分チューリップを見た(?)気持ちになる。
崔先生と奥さんの申さんは大学院時代に5年間筑波大学にいた(その間には兵役も)ので日本語が堪能で、原発事故の話やら、専門の哲学研究の話、パリは昔に比べて世知辛くなり風情が失われた等の旅行話など。大邱での再会を約して、アムステルダムに戻る。駅の中も外もオレンジ色の人々で大混雑、酔っ払って路に座り込む人、肩を組んで大騒ぎの男女、ごみは散乱、コンビニで軽食を買ってホテルに戻る。強い陽射しの下を歩き回って疲れたので街に出かける気も起きず、ベッドに倒れ込み、気がついたのが午前1時。これでは時差解消にならないではないか…。

2011年4月30日(土)

今日は女王の日で、アムステルダムの街は王室のシンボルカラーであるオレンジ色を身につけた市民が目につき、朝から盛り上がっている。9時半、ライデン駅に降りると崔先生、奥さんの申さん、娘のハウォン氏が待っていてくれた。そのままハーグまで直行し、マウリッツハイス美術館へ。この小ぶりな美術館でフェルメールのもっとも有名な作品「真珠の耳飾りの少女」「デルフト眺望」を見るのが目的。「真珠の耳飾りの少女」は「モナリザ」みたいなもので、本物をそこに見る、ということが肝心な名画。「デルフト眺望」は、画集や印刷物では感じ取れない本物の色彩を目の当たりにして飽きることがない。光の陰影、奥行き、質感、何度でも通いたくなるような魅力を持った風景画の傑作。