松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2016年5月8日日曜日

授業あれこれ(3)

木曜日   權大雄先生の「韓国現代史」が午前中にあり、善香斎で昼食のあと、午後は翌日のためのレポート書きに集中する。

金曜日  김문주/한국학자료의 이해    金文柱「韓国學資料の理解」


「新民族文学史講座」という朝鮮文学の通史を毎週100ページ読み、全員が毎週レポートを発表する。韓国学科はいま8人(韓国3、ベトナム3、中国1、日本1)。朝9時半に始まり12時半頃までかかる。今学期、一番負担の多い授業である。金先生は高麗大学出身で文芸評論家でもあり、発音は聞き取りやすく、話しぶりは明快で、熱心な授業。時調など少し朗誦すると、声も素晴らしいのである。問題なのは毎週の学生の負担が大きいこと。毎週100ページ読み、何かテーマをつかみ、レジュメを作り、発表するのは大変辛いし、うんざりしてしまうのである。


 이수환/한국학세미나   李樹愌「韓国學セミナー」


李樹愌先生は、韓国学科長、民族文化研究所長、嶺南大学博物館長であり、われわれ韓国学科の動向を左右する人なのだが、飄々として、やる気があるのかないのか、われわれに関心があるのかないのか、よくわからない。専攻は朝鮮時代の書院の研究で、歴史学、社会学、文化人類学の交差するような分野だ。
教室ではなく、博物館のセミナー室での授業。テキストは Martina Deuchler というロンドン大学名誉教授(女性)の書いた「한국 사회의 유교적 변환」(韓国社会の儒教的変化)という本だが、かなり難しいテキストなので、指名された助教や博士課程の学生が要約を作り、それを彼らが読み、ところどころ先生が解説を加える。こちらは聞いているだけで良いので、楽と言えば楽な授業である。一方で金先生のような授業があり、一方で李先生のような授業があってバランスがとれるというか、ほどほどに過ごせるというものだ。

この授業が終わると金曜日の夕方なので、数週間に一度は「マッコリでも一杯」ということになる。
メンバーはC氏、Y氏、と小生のアジョシ3人。ときどきKさんが加わる。

土曜日  「テグハル」での日本語中級クラス。日本語会話中心の授業。

18時からと19時半からとの2クラス。8人なので2クラスに分けたのだが、遅いほうのクラスの人に欠席が多いのが悩み。大学生が1人、他は20代の社会人。日本で数か月から数年暮らした経験を持つ人が多い。実力差も様々なので、毎回どんな話題にすべきかが難しいところ。

2016年5月5日木曜日

授業あれこれ(2)

火曜日    日本語作文「スタディ」

午後6時から、日語日文科の学生5人と一緒に日本語作文を教える「スタディ」。
「スタディ」とは、「自主授業」というくらいの意味だろうか。
出欠も点数もなく報酬もない、まさに自主的なサークルだ。日語日文科のC先生から依頼されて始めたが、とても面白い。
男子1名、女子4名。5人全員がそろうことはまだ1度もない。課題の作文を添削、指導。
週に1時間の作文指導では中途半端。ペーパーを配って説明をしたり、質疑応答も加えて、だんだん形になってきた。女子3人は長崎、静岡、北海道の大学に1年間交換留学で通っていた。もう1人の女子は母親が日本人。ただ1人の男子はアニメおたくで日本中旅行しているらしい。
皆、話すのはそこそこだけど、作文は1人を除いて、まだまだというレベル。


 水曜日  최재목/동아시아사상비교연구    崔在穆「東アジア思想比較研究」

この講義は、韓国學科ではなく大学院哲学科の講義。チェモク先生が10年前に日本で出版した日本語による「東アジア陽明学の展開」に加筆、増補したもの。中国語版から韓国語に翻訳したテキストが出版されたばかり。日中韓3国の陽明学思想を解説、分析したものだ。チェモク先生は日本語も中国語も堪能なので、こういう発想の本が生れた。講義は難解だが、感覚的に受け取れば良いと思っている。思想の原理原則についてこれまで考える機会も余裕もなかったので、わからないなりに面白いような気がしてきた。

水曜日 19時から20時半 テグハル 中級日本語個人授業
Kさんという20代後半の女性に個人授業。嶺南大学の工学部を卒業したあと、東京で日本語学校に1年半通ったという。亀尾(クミ)にある日系企業で働いている。会話、読み書き、まずまず平均的によくできる。夏目漱石も太宰治も知らないが、東野圭吾は好きでよく読むとのこと。ただし韓国語版。日本語の文庫を毎日少しずつでも読んでほしい。


授業あれこれ(1)

月曜日・水曜日   송휘영 /관광농업론  宋彙榮「観光農業論」

大学東門前にあるシンデリのわが風景荘から徒歩30分、キャンパスを横断して自然資源学部の教室で週に2コマ、学部の授業を聴講。宋先生は昔からの知り合いで、大学院入学の折も色々助けてもらった。「グリーンツアー」と呼ばれる、都市と農漁村の人的・経済的な交流の話。農村留学、体験農園、民泊、地産地消、等々、日本と韓国の実例を中心に講義する。学生は50名くらいで、食品自然経済学科の学生が多い。
自然資源学部というのは昔の農学部である。昔は牧場があって牛を飼ったりしていたらしいが、名称が変わり対象分野が広がり、「食品自然経済学」なんて言われてもどんな学問なのかがすぐにはわからない。授業のあとは池のそばで一服する宋先生と雑談し、車に乗せてもらって中央図書館まで戻るのがいつものパターン。宋先生は京大で資源経済学の学位を取り、十数年日本に留学したので日本語に不自由はない。所属が独島研究所なので、竹島をめぐる日韓の理論闘争の最前線にいる人でもある。



月曜日・木曜日   권대웅/한국현대사  權大雄「韓国現代史」

学部の補充授業。權先生は嶺南大歴史学科に学び、韓国学科の隣にある民族文化研究所に最近まで所属していたらしいが、今は講師として出講している。大邱近郊の出身だが、訛りはあまり感じられず、聞き取りはそう難しくはない。政治的立場はよくわからないが、解放・光復から60年代くらいまでの激動の時代をきめ細かく話してくれる。数週間に一度、講義のレジュメを大学ポータルサイトの中の「講義支援」にアップするので、それを予習していけば、大体の話は理解できる。ただ左右の政党や団体、運動が複雑に交錯する時代なので、何となく理解できても覚えるのは大変だ。登場する膨大な人物の横顔なども毎回説明してくれるのだが、小生には残念ながら消化貯蔵できるほどの基礎体力がない。
中間試験に出た問題の一つは「光復節・建国節の違いを批判的に述べよ」。1945年8月15日は「光復節」という韓国の記念日なのだが、2000年代に入ってニューライトの勢力が、「光復節」に代えて1948年8月15日、李承晩による大韓民国政府樹立を「建国節」として祝うべきだと主張し始めた問題である。韓国における大きな左右対立主題の一つで、これからの教科書国定化問題にも登場することになるだろう。


碩士課程第3学期

碩士(そくさ)というのは日本でいう修士のこと。3月から6月まで、3学期目のあれこれ。

小生のワンルームの周囲はどんどんと変わってきた。食堂、カフェ、メガネ屋、マート、コンビニ、惣菜屋etc. 新しい店がどんどん出来て、便利と言えば便利。バス路線も3本から4本になった。
若い女性2人がやっていたカフェ「MOMO」はとうとう閉店。


ある日前を通ると「賃貸売買」の紙が貼ってあった。3年前に始めた頃はこのあたりに珍しい個人経営で、ちょっと内装がお洒落なカフェだったのだが、似たような店が次々と現れ、Havana Express , 봄봄 などの人気チェーン店も出現すると、小生も含めて客足は遠のいた。
봄봄 (ポムポム)なんて、アメリカンが1000ウォン(100円)である。アメリカンの値段、MOMOは3500ウォンと、スタバ並みだった。Havana Expressは2500ウォン。どうせ似たような味だから、学生たちが嶺南大正門向かいの봄봄 に並ぶわけだ。
概してどの店も、ちょっと美味しいランチを出すとか、手作りのケーキを並べるとか、生き残るためのひと工夫ができない。何よりもコーヒーが一番の商品なのだから、美味しいコーヒーをどうやったら作れるか、出せるかを研究すべきなのだが、そんな店にはまだお目にかかったことがない。


近所に新しくできた大型スーパー。これで e-mart や Home plus へ行かなくてもよくなるかと期待したが、いわばハナマサみたいな卸し系の店で、大袋の商品を車で買いにくる客が目当てのようだ。野菜の品質は決して良くない。ニンジンを買ったら芯が腐っていた。


桜の季節から躑躅(チンダルレ)の季節に変わり、キャンパスも緑が生き生きとしてきた。4月から5月、やや寒暖差が大きな気がしていたが、薄着で寝たのが悪かったのか、ずっと風邪に悩まされている。S先生は、ふだんより夏が遅いと言っていた。例年なら子供の日の頃になると、もっと陽射しが強烈になり、猛暑に近いような感覚が出始めるのだそうだが、確かに夕方になると肌寒いような気がするのである。

2016年5月5日(木)

子供の日。今日から韓国は4連休。6日(金)を臨時休日にすることは先週急に決まった。日本では考えられないことだが、ここは韓国なのだ。4連休にして経済活性化というのが建前だが、総選挙で大敗した朴槿恵政権の人気挽回政策との観測がもっぱら。急に来週は4連休だといわれても、予定変更やら何やらで大変な面もあろうが、休日や連休の少ない韓国では臨時休日は概して好評で、前回の臨時休日の時は大統領支持率が5%も上がったという。



これは善香斎のランチ弁当。定食とお弁当の2択があり、昨日は初めて弁当を食べた。これも同じ5000ウォン也。ダイエット中の女の子が好みそうな体裁、味付けだが、定食のほうがサムゲタンぽい豪華メニューだったため、食欲がわかず、こちらにしたのである。

4月はブログを書く余裕がなかった。忙しかったのと体調を崩したためである。
授業数が多く、毎週レポートを書かねばならず、日本語を週に4クラス教えている。何も予定のない日は日曜日だけ。そのうえ2週間以上に及ぶ風邪。喉の調子が悪く、とうとう声が出なくなった。実は同じ風邪が今、再発している。そのうえ6年ぶりの痛風。韓国に来て初めて病院通いをしているのだ。尿酸値は9.7で、日本にいた頃は7~8だったから、かなり高い。マッコリと忙しさによるストレスが直接の原因だろう。もう2週間以上、禁酒している。


これは指導教授チェモク先生の新刊。箱入りで724ページ。韓国のテキストは重くて分厚い本が多く、この本も寝転がっては読めない。教室まで持参するのも大変。


P先生と学校裏の食堂(ドンドン酒が美味)に行き、教室に帰る道。大学キャンパスの中だとは思えない。

2016年3月22日火曜日

咸安(ハマン)踏査会

2016年3月20日(日)

嶺南仏教文化研究院主催の日帰りバス・ツアー。昨年何度も参加した踏査会、今年初めての旅は、慶尚南道の咸安함안 である。



南に行くので春らしい気配が感じられるかと期待したが、この日は一日曇り空で、桜や梅、レンギョウなどもあまり見られなかった。寒くはなく、最後には山登りで大汗を流すことになった。
まず、新羅時代の주리사지 사자석탑 (主吏寺地 獅子石塔)を見る。4頭の獅子で支えられている形はめずらしい。


この一帯は伽耶(かや)であり、紀元前から群小部族国家が興亡を繰り返し、弁韓、辰韓、加羅、任那、金官、など様々な名前で呼ばれた地域である。6世紀末に新羅が統一するまで伽耶は存続した。古代から、この地域は日本との交流が盛んであり、共通の土器や墓も数多く発掘されている。
この博物館のある場所も咸安郡伽耶邑であり、伽耶の名は至る所に残っている。


咸安道項里・末山里古墳群。阿耶伽耶(アヤカヤ)の王たちの墓と考えられる古墳が100余基分布している。


「お墓に登っていいの?」とためらう人もいたが、慶州とは違い、ここは問題ないらしい。


懐かしいポップコーン機械。何と言ったかしら?



市場を歩く。昔ながらの風景だ。海が近いので海産物も多い。咸安はスイカが有名だとか。


昼食は辛い汁に固い牛肉ともやしが入っているだけのもの。昼時で食堂は賑わっていたが、かなり田舎料理である。



院長の金在元先生の説明を聞く。中高年の会員が多く、子供連れも二組ほど。これは大山里石仏で、高麗時代のものだという。


この日のハイライトは防禦山磨崖仏三尊像(방어산 마매불 삼존상)の見学のための山登りであった。少し登れば見られると思ったら大違いで片道30分以上、いやもっとだろうか、突然急な階段を、休み休み、必死で登らなければならない。ツアーの半数くらいの人は途中で脱落した様子だった。



これは登る前の入口付近。


よく見ると、三尊仏まで470メートルと書いてある(泣)。




ようやく辿り着いた磨崖仏。新羅・哀荘王(エジャンワン)2年(801)に造られた磨崖薬師如来像と両脇の日光菩薩、月光菩薩だそうだが、気息奄々、苦しんで登ってきた割には、有難味があまり感じられない平板なものであった。

この後は、朝鮮中期の書院・古家を訪ねたものの、事前連絡なしに行ったので門に鍵がかかっていて入れなかったり、長春寺という寺を探しても見つからなかったので、代わりに崖の古層に鳥の足跡が化石になっている名所を覗いたりと、韓国らしい、少々いい加減な観光があって大邱に戻った。
観光バスにGPSがついているのはまだ見たことがない。運転手が道を間違えるのもたびたびだが、皆そのへんは気にしないというか、おおらかというか、こんなもんだと思っているのか。

とはいえ、色々お土産をもらったり、なぜか表彰(?)されたり、スピーチさせられたりと、一人の外国人の参加にも皆さん親切である。知人も増えてきて、また機会があれば踏査会に参加したいものだと思っている。

2016年、新学期始まる。

2016年(平成28年)3月12日(土)

昨日は東日本大震災から5年、日本では各地で追悼行事が行われ、テレビや新聞はその報道であふれていた。
5年前、小生は東京で、勤務していた会社の7階にいた。金曜日の午後2時46分、激しい地震の揺れが9階建てのビルを襲った。社内にいた社員たちは階段を降りて、社屋の前庭に集まる。まだ大震災の全貌は知る由もなかったが交通機関が麻痺していることが伝わり、帰宅できる者は各自の判断で帰るようにと総務部からの通知。金曜日の夕方だったので、千代田区から練馬区まで、5時間くらい歩いて帰宅した。
その後の3月中旬、下旬の悪夢のような日々は、デマや風評被害に満ちており、危機の時に、人はその本性を顕わすものだと実感した。
あれから5年。
会社を退職して3年の歳月が過ぎ、自分がかつてそこにいた社会や組織、人間関係からは、ようやく(100%ではないが)自由になれた気がする。まったく別の世界にいると言ってもいい。










3年間に、多くの知人が亡くなった。特に、担当した作家たちが次々と亡くなっている。人はこんなに簡単に死ぬんだなあと思い、韓国に住んでいるから、葬式に行くべきかどうかと悩む必要もない。自分が仕事の上で身近につきあっていた人々、気楽に電話したり冗談を交わしていた人々が、意外にもあっさりと死に、それをインターネットで知る。
自分がいた世界、社会、人物が遠のき、過去になっていることを実感する。

写真は、善香斎(ソンヒャンチェ)のランチ。週に2回くらい通う教職員用の食堂。学生は12時半からと告知されているが、そんなことを真に受ける人も咎める人もいない。12時には学生たちであふれる。毎日ヴァリエーションに工夫があり、野菜が多いのが良い。ご飯とタン(スープ)が基本。