松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2015年7月18日土曜日

雨のソウル

MERSの最中、2015年6月20日~22日。今年2度目のソウルへ。

娘とT君が名古屋から遊びに来たので、一緒に食事をした。

20日は1日中雨だった。夕食は娘のリクエストで、またもや江南・ロデオ通りの「サンボンファロクイ」へ。牛肉のサムギョプサル、量が少なくなったような気がする。









翌日は、快晴。

観光客激減し、明洞はやはり人通りが寂しい。しかしマスクをしている人は少ない。
1人しか感染者をだしていない大邱の地下鉄や東城路のほうが、マスクをしている人の率が多いのではないか、と拍子抜け。
震源地のソウル市民は騒ぎに覚めている。あるいは鈍感なのか。安全に対する意識が低いのか。毎日大騒ぎだと、日常生活では覚めてくるものだとも思う。

写真は東大門の「陳玉華ハルメ元祖タッカンマリ」。3人で鶏を2匹、お腹いっぱい。昼間から店は満席であった。

MERS騒ぎ

中東呼吸器症候群(MERS)は、日本語でマース、韓国語でメルス。
5月20日に初めて確認されて以来、186人の感染者、36人の死者を出し、昨年のセウォル号事件以来の、国をあげての大事件であった。
ようやく終熄に向かいつつあるようだが、大邱にも1人患者が見つかり、大騒ぎになっていた頃・・・

2015年6月17日(水) 防川市場





MERS騒ぎで、夕方になっても金光石通りは寂しいばかり。
コンサートホールを貸し切って「プロポーズ」セレモニーがあった。









友人たちとの手作りのイベントらしいが、MERS騒ぎがなければ、通行人、野次馬でホールがいっぱいになっていたことだろう。









日本語科のSさん、Kさんと「Mr.ヤンコッチ」で羊の串焼き、麻婆豆腐、白酒など。

密陽 金太虚

2015年6月13日(土) 密陽(ミリャン)へ

映画「シークレット・サンシャイン」の舞台となった密陽へ。
F先生、K先生と、金太虚(キム・デホ)将軍の史跡巡り。
韓国の大学の先生でも金太虚を知っている人は少ない。歴史に埋もれた人物だ。

文禄・慶長の役(壬辰倭乱)、1592年、密陽城陥落後、密陽副使に。続いて蔚山郡守となって蔚山城攻防で戦功を立てた人物。









密陽市立博物館・金在學氏の案内で、ゆかりの史跡を廻る。
郷土史にわずかに残っている人物だが、沙也加(金忠善)との交流があり、F先生の沙也加研究の一端である。

清道逍遙





2015年6月7日(日)

陽差しの強烈な初夏の1日。
J氏、C氏、P氏、K氏とアジョシ5人で山歩き。
慶山の南にある清道(チョンド)駅近くの山をウロウロし、落台瀑布(ナクテポッポ)へ。
「ポッポ」「ポッポ」というから、何のことかと思ったら「瀑布」のことだった。普通「ポッポ」といえばキスのことである。
J氏は50代前半、大邱の旧市街の飲み屋で知り合った。10年くらい前に銀行員を辞め、定職はない模様で、毎晩誰かと安マッコリを飲んでいる。ブロークンだが、英語、中国語、日本語を話す。日本には昔出張で数十回行ったとかで、日本語もそれで覚えたという。大連に住んで中国人と結婚していた数年間もあったらしい。この日以降も毎日のように電話があり、ちょっと閉口した謎の人物。
この日はJ氏の音頭でこの5人が集まり、山歩きをして、サムギョッサルを食べた。




清道はただの田舎なのだが、歴史的には新羅時代から色々なエピソードがあるらしい。
セマウル運動の発祥地なのだそうだが、闘牛、柿、チュオタンくらいしか特筆すべきものもない。
この頃、韓国中が水不足で、瀑布というよりもチョロチョロと流れる小滝であった。

C氏の住まいが駅の近くにあり、アパートの5階、一人暮らしであった。4万ウォン相当のサムギョッサルはP氏のおごり。C氏は資産家の息子として生まれたが、現在は近所で小さな店をやっている。毎日聖書を読み几帳面なノートをつけている。P氏は兄が日本生まれで、戦後引き揚げてから自分は生まれたとのこと。K氏は大邱の専門大学で機械設計を教えている日本人。
やたら空疎におしゃべりなJ氏、無口な他の4人。仲良くはなったものの、小生の韓国語能力のためもあり、1日ではお互いのことがよくわからないまま。
J氏からパク・インヒのフォークソングを教えてもらい、後日データももらう。彼女は1970年から1976年まで活動した歌手で、引退してアメリカで暮らしている。フォークソング草創期のスターで、清純、詩的な名曲を残している。芸能界を引退し、決して「懐かしの名曲」的な番組にも現れない幻のスターらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=plph4xp69bk