松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2011年5月10日火曜日

2011年5月7日(土)~8日(日)

パリ最後の夜が明け、荷造りをして、チェックアウト。ホテルはまず及第点か。ベッドの硬さは良かったが、隣の部屋の話し声が筒抜けで、壁の薄さまではリノベートできなかった模様。午前11時半に好村さんが来て、トランクを積み込む。
好村さんの提案でシャンティイー城へ向かう。パリ周辺には観光客向けの古城が数多あるのだが、この城はシャルル・ド・ゴール空港に近すぎて、観光ツアーに組み込めず、団体客が来ない穴場だそうだ。中世からの長い歴史があるのだが、これは省略。







城内の美術館、図書室、を見学してレストランで軽い食事。庭園を散歩してから、空港へ。
在仏40年近くなる好村さんに聞くと、一昨日小生が重い荷物を抱えて1人でメトロを乗り継いだようなことはできたら避けた方がいいのだそうだ。メトロのドア近くに大きな荷物を置いていると、車両が動く直前にその荷物をホームに蹴り出して泥棒するなどは日常茶飯事。車に乗っていても、渋滞に巻き込まれた車の窓ガラスを割り、バッグを奪うような輩がいるとのこと。常に自衛の方策を考えて街中を移動しなければならない。郊外の町はもっと治安が悪く、東洋人観光客は狙われやすいので、さまざまな事件が起きているのだという。
ともあれ、欧州旅行の最後の2泊3日をパリで過ごせて、ドイツ語圏の退屈さ、生真面目さから解放され、自由な雰囲気を味わえたことは締めくくりとしては良かったのでは?
GWのこの旅行期間中、世界の2大ニュースは、英国のロイヤル・ウェディングと米軍によるビン・ラデン射殺事件だった。
夕方5時頃、好村さんに別れを告げて、チェック・イン。JAL406で帰国。夜のフライトなので少しは眠れ、往路ほどは苦痛に感じなかった。
5月8日(日)、午後2時、成田着。午後4時半過ぎに自宅に戻る。今回は以上です。

2011年5月7日土曜日

オルセーからサン・ジェルマン・デ・プレへ

オランジュリーのモネ、ルノワール、セザンヌ、モディリアーニ、ルソー、ローランサン、ピカソ、マティス、ドラン、ユトリロ、どれも素晴らしかった。美術館自体が小さいのが良い。ソルフュリーノ橋を渡ってオルセー美術館へ。こちらは規模が大きく、入口に大行列。炎天下、みな行儀よく並んでいる。中に入ってもカフェで行列、マネの特別展室前にも行列。またルーブルとオランジュリーは撮影OK(フラッシュは駄目)だったのに、オルセーは撮影不可。

           



ドガ、ゴーギャン、ゴッホなどが素晴らしい…。しかし、一日に3つの美術館を廻って、もう飽和状態で頭が朦朧としてきた。
サン・ジェルマン・デ・プレにゆっくりと向かう。カフェ・ドゥ・フロールもドゥ・マーゴも満席。30年前にもここに座ったなあ…と昔の日々を思い出す。
夕方になったので、少し先のイタリアン・カフェに入り、赤ワインとカルボナーラ。昨日、好村さんがパリのイタリアンにははずれが多い、と言っていたのを思い出した。どうも今回の旅、イタリアンはついていなかった。まずい赤ワインをカラーフで飲んでしまったので面倒くさくなり、タクシーでホテルに戻る。

東大剣道部にいた好村さんは、30数年前に剣道の指導でパリに派遣され、そのまま住み着いてしまった人。小柄で華奢な体格だが剣道8段である。4年前に「侍の翼」という小説を書いて時代小説作家としてデビューし、小生がそのお手伝いをしたというお付き合い。ご厚意に甘えて、明日もお世話になることにした。

30年ぶりのパリ、美術館めぐり

ルーブルには世界中から観光客が押し寄せてくる。陽射しは強く、地面は白い土で、広大な中庭に反射して暑い。ルーブル見学は最小限にしてチュイルリー公園へ。ここも陽射しは強いが緑の木陰はほっとする涼しさ。

          ルーブルの食堂でパスタ。ハイネケンと一緒で12ユーロ


炎天下をぶらぶらと歩いてオランジュリー美術館へ。20代の頃、何度かパリに来て印象派美術館という美術館に2度ほど入った。ルーブルに入ったのは今回が初めて。印象派美術館がオランジュリーになったのかと思っていたら、印象派美術館の作品は1986年に開館したオルセー美術館に入ったのだという。オランジュリーの建物の小ぶりな感じは印象派美術館の記憶と重なるのだが…。30年前に小生が通った印象派美術館はまったく別な建物なのだろうか?




2011年5月6日(金)





今日も好天。メトロでルーブルへ。リシュリュー翼にエレベータで上がり、オランダ絵画の部屋をさがしていたら、ありました。フェルメールの「レースを編む女」と「天文学者」。巨大、広大なルーブルの中では、本当にささやかな存在。これで今回の旅ではフェルメールの6作品を見たことになる。

2011年5月6日金曜日

A&M

                 豚の胸腺のガレット
                サーモン 美味し
オヒョウ

          
                 鴨にフォアグラ

マンゴーのムース

2011年5月5日(木)

朝8時前に横井さんに見送られ、トラムに乗る。チューリッヒ空港からスイスエアーでパリへ。空いていて快適。シャルル・ド・ゴール空港からホテルまで、重いトランクを抱えての移動は思った以上にストレスフルだった。paris visite 3 jours というカルトを41ユーロで買い、北駅Gare du nord でメトロ5号線に乗り換え、 Republiqueで8号線に乗り換え、Bonne nouvelle駅で降り、Holiday inn Paris Operaまで、通りの番地表示を見ながらガラガラとトランクを押してやっと到着、午後4時。各駅にはエスカレーターもなく、複雑な階段、不親切な表示。地下鉄車内も液晶表示どころか、どちらの方向に走っているかもホームの駅名を見て確かめないと心配になる。まあこれが当たり前で、東京メトロなんかは乗客に親切すぎるのかも。
ホテルは相当に年季の入った古い建物をリノベートしたもので、螺旋階段の中心にクラシックなエレベーターがガッチャン、ガチャンと動く。wifiは1日17ユーロで、簡単につながった。街へ出て、携帯電話の店を探し、プリペイドのsimcardを購入。3日間しか使わないのに55ユーロはちと高いか? skypeやらツイッターやら産経新聞など試して、スイスでのiphoneのブランクを解消するような気持ちになる。カフェでビールを飲みながら携帯をいじり、財布にあるユーロのお金を確かめていると、隣のフランス人から「人前でお金を見せない方がいいよ」と親切な忠告を受ける。さすがにパリに来た実感がわく。ごみや犬の糞で路は汚いし、人相の悪い連中が行き来しているけれど、ベルンとは違って堅苦しくなく解放感がある。
午後7時に好村兼一さんがホテルに迎えに来てくれて、彼の運転するアウディで、ムラート街にあるA&Mというレストランへ。
http://www.am-restaurant.com/

福山さんというシェフが25年以上開いている店で、満員の盛況ぶり。豚の胸腺のお焼きを一口味わうと、やっと美味しいものにありつけた喜びが湧いてくる。オランダ、スイスで食べたもの、あれは一体何だったのだろう(泣)。

2011年5月5日木曜日

2011年5月4日(水)

今日も青空。横井さん宅からゆっくり歩いて20分で「パウル・クレー美術館」に到着。関西国際空港を設計したことで知られるレンゾ・ピアノの建築。曲線の使い方が何やら似ている。このクレーのコレクションは全部モーリス・ミューラーという人が集めて寄贈したもの。スイスには、知られざる、とてつもない金持ちがいるのだそうだ。美術館の中もすっきりしたデザインが細部まで徹底されていて気持ちがいい。クレーの絵より、建物のほうが印象に残ったのだった。
バスで旧市街まで出て、お土産探し。その前に、昼食。スパゲティを食べたくて駅前のSCALAというイタリアン・レストランに適当に入る。店構えも雰囲気も高級感漂い、期待したが、ぺぺロンチーノを頼んだのが失敗(泣)。
これぐらいなら、時々家で自分でつくるものと変わらない。デザートのパンナコッタもイマイチ。前菜のサラダ、赤ワイン2杯とで67スイスフラン。トホホ…である。サービスの女性も愛想をふりまくマネージャーもいい感じだったのだが…。
ベルンの街は狭い…というのは、ぶらぶら歩いていると、昨日駅の時間待ちに書店に入り、横井さんが声をかけた中国人の青年とばったり会ったからだ。ベルン大学を出てこの街に住んでいると言っていたが、奥さんと小さな子供と一緒だった。
街を歩くが、これはという店には出会えない。アムステルダムの方がまだありそうな気がする。


夕方、横井さんに頼まれて郵便局に荷物を出しに行ったら、SCALAの愛想のいいマネージャーとばったり。ランチをエンジョイしたかとにこやかに握手をされたので、仕方なく、イエース、何とかかんとかと、適当なことを言って手をふって別れる。
結局大した物は買えず、旅行用品の小物を少し。夕食は横井さんと団地の食堂(ピッツェリア)で。頼んだものがまた失敗で、書く気も起こらず。明日のパリに期待するしかない。
緑あふれるベルンに5日間も滞在して、ゆったりとした時間を過ごせたのは良かったが、美味しいものには遭遇できなかった。マリスからもらったボンべイ土産のマンゴーが一番だったかも。
横井さんはチャリティ展の準備やら何やらに忙しく、小生が居候するのも負担だったみたい(女性だから、やはり何かと神経が細かい)で、男と女が一つ屋根の下に生きることの難しさをあらためて実感。

2011年5月4日水曜日

2011年5月3日(火)

朝から雨。ベルンでも一月ぶりらしい。本日は今回の旅のハイライトとなるはず。トーストと珈琲のいつもの朝食後、傘を差してWittigkofen駅へ。ホームにある券売機兼改札機
に縦長のチケットを差し込む。これは昨日スーパーで買っておいたもので20スイスフラン。6回分乗れる仕組みで、この機械に差し込むと印字され肩の数字の部分が切り取られる。乗客は自発的にこれをしなければならない。車掌はいないので、無賃乗車は簡単にできるが、ときどき私服の職員が乗り込んでいて2人がかりで客を摘発、その場で罰金80フランを巻き上げるのだという。アムステルダムのトラムは入口・出口でチケットを読み取り機にかざさないとドアが開かない仕組みで、こちらのほうが合理的だと思うが、お国柄の違いか。

ベルン駅で Bern - Weinfelden の往復2等チケットを購入。126スイスフラン。横井さんは高齢者割引の半額カードを持っている。スイスにはさまざまな割引制度があって、国民はそれらを上手に活用することで高額の交通費等に対処する。Weinfeldenまでは約2時間。近づくにつれて雨も上がってくる。駅には予約したタクシーが待っていて、Ermatingen の Chateau Wolfsberg へ。緩やかな緑の丘陵地帯を車は走る。人間より牛の数の方が多いに違いない。スイスの畑や牧場はどこでも美しく整地されていて色彩が豊かだが、ドイツ国境のこのあたりはちょっと垢抜けしていなくて田舎くさい。
20分ほど走って、Wolfsbergに到着。このお城、高い尖塔はなく平城のような形だが、16世紀の後半にWolf Walter von Gryffenberg という領主が建てた。所有者はさまざまな歴史とともに変わったが、パンフレットによるともっとも輝いていた時代は1820年代から1830年代、ワーテルローの戦いのあとナポレオンの側近・支持者たちが住んでいた頃らしい。ナポレオンや将軍たちの肖像画や当時の武具なども飾られている。1970年代に入って、UBSというスイスの大銀行が買い取り、ホテル兼セミナーハウスとして改装、モダンな新築棟も作られた。
CEOのDr.SchonenbergerとアートディレクターのDr.Jefticが迎えてくれて、まずランチタイム。肉か魚かベジタリアンか。魚のメニューを見るとフライだったので昨日と同じではいけないと肉を選ぶ。見た目は美しかったが、平凡なビーフステーキであった。しかしサービスは全体にレベル高く、デザートのムースは美味。横井さんが連れてきたゲストというので2人とも話しかけてくれるのだが、昨日のマリスといい、スイス人は真面目である。オランダでも感じたがドイツ語圏は概して勤勉、真面目。「日本の原発政策は変わっていくのか」「日本の文学の現状はいかに?」……もう少しジョークを交えて変化球を投げてくれないかと内心うんざりしながら覚束ない英語で真面目に答える。わかったのだか、通じたのだか、よくわからないままにランチは終了。


Mond Sonne Jahreszeiten (月、太陽、季節)というタイトルの今回の展覧会は、横井さんの熱烈なコレクターであるUBSのグルーベルCEOの肝煎りで実現し、昨年の11月から今年の5月末まで開かれている。地下、1F、2Fにわたる展示は、展覧会と言うより、自然に囲まれた個人の大邸宅に飾られているかのようである。ほとんどの絵は売れてしまったらしく小さなオレンジ色の札が付いていた。









横井さんの展示以外に、Dr.Jefticに案内してもらい、館内を見学する。ホテル棟はモダンで清潔。コンスタンス湖(向かい側はドイツ)を見下ろすロケーションも、田舎の風景も、素敵と言えば素敵だが2日もいると退屈しそう。伊丹十三ではないが、欧州を旅していて「退屈」という言葉がいつも頭を過ぎるのはなぜだろうか。
横井さん、せっかちで、わずか2時間で見学は終了。もっとゆっくりお茶を飲んだり大女のDr.Jefticと雑談したりしたかったのだが、タクシーが迎えに来て、Wolfsbergを後にする。

2011年5月3日火曜日

2011年5月2日(月)

横井さんと家の周りを一緒に散歩。ベルンの中心部からわずか十数分の緑豊かな地域。遠くにアルプスを望み、牧場ののどかな景色を眺めながら歩く。11時にマリスがやってくる。彼女はスイスエアーのアテンダントで50代初めか。灰色の髪を持ったなかなかの美女で、横井さんとは小生と同じく20年来の友人。ボンベイのフライトから帰ってきたばかりで、インド産のメロンとマンゴーがお土産。あとで食べたが、ボンベイのマンゴーというのは独特の香りとねっとり感で美味。
マリスの車で、今日はトゥーン Thun へのドライブ。ベルンから南へ25キロ、アルプスに向かって、スイスの絵はがきのような風景の中を走る。アルプスが近づくと中央高速からの八ヶ岳や南アルプスを思い出し、トゥーン湖の周りを走ると芦ノ湖のことを思い出す。亜流や似せ物を見てから本物を見るような妙な気分であった。マリスが探しておいてくれた seerose hotel の湖に面したレストランで、perch (スズキ科の淡水魚)のフライを食す。小さく淡泊な白身魚でムニエルかフライで食べる、スイスの湖ではポピュラーな料理。レモンとホワイトソースで食べる。白ワイン少々。

湖を一周しながら対岸の Schloss Thun トゥーン城へ。12世紀以来の城だが、4本の円塔が珍しい。最近スイス人の銀行家が買い取って修復工事中で、横井さんもその中に展示室をと持ちかけられているそうだ。
暑くもなく寒くもなく、風もなく、シーズン前の快適な一日をスイスの風景の中で満喫する。マリスは横井さんのアシスタントのようにフライトを調整して何度も一緒に来日している。ドイツ語なまりの英語はときどき聞き取りにくいが、自己主張の少ない穏やかな人柄で、横井さんの周りにはいつも彼女のような助けてくれる人物が現れる。(小生もその1人か。ちょうど1年前は成田まで送っていって、成田ヒルトンに泊まり、チェックインするまでお世話をしたのだった)
夕食は近所のピザ屋に繰り出す予定だったが、横井さん少々お疲れのようで、ありあわせのものを食べて一日が終了。