松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2012年5月6日日曜日

2012年5月6日(日)

東大邱発5:48のKTXでソウルへ。普通車42500ウォン。7:45ソウル着。
仁川空港行きエクスプレス 8:00 → 8:43 空港着。
大韓航空エコノミークラスのカウンターにチェックイン。
KALはカウンターの処理が遅くて、40分ほど並ばされる。
でもまあ、前回の家族旅行の際、ビジネスにしてくれた恩義を思い出し、じっと待つ。

NAVERのインターネット・ラウンジで今日のこの日記を書いて、無事に旅は終了した。
KE001で帰国。成田着13:30の予定。

2012年5月5日土曜日

2012年5月5日(土)

朝10時、ホテルにLW先生、CF先生、CC先生が集合。今日は慶尚北道の青松にある薬水湯に連れて行ってくれる。大邱から約3時間、山の中のその地は車であふれていた。




この村では炭酸系の薬水が湧き、人々がポリバケツを持って水を汲みにくる。休日なので大混雑。食堂もすべて薬水を使った料理が売り物である。




닭불백숙  鶏火白熟 鶏の丸煮(水煮)
닭죽     鶏粥 糯米と小豆の粥をスープに自分で入れながら食す。

どちらも塩を適量入れたり付けたりしながら、4人で2羽の鳥にむしゃむしゃと齧り付く。参鶏湯よりはシンプルな料理だが、お粥スープとの取り合わせに妙があり、この村でしか味わえない美味しさなのだという。



子供の日なので、帰路も高速を降りてから渋滞で大邱に戻るまでにも3時間くらいかかった。いつもながらLW先生の慎重な運転に感心する。
ホテル近くの食堂でコンナムルクッパブを食べて解散。この食事のみ、小生が支払う。
いつもいつも、あちこちに連れて行ってくださり、3人のお年寄りのホスピタリティに感謝である。
しばらくは(来年まで)来られないので、名残惜しい感じがする。
ホテルでこのブログを書きながら夜が更ける。

2012年5月4日(金)

永東ホテルをチェックアウトし、帰国するS君を仁川空港行きバス停まで送り、ソウル駅へ。サラリーマン生活最後のGW全羅道旅につきあってくれたS君に感謝。

KTXで通い慣れたる大邱へ。大邱は30度の猛暑?とか。普通席はほぼ満席。


駅弁を初めて買ってみる。プルコギ弁当、7000ウォン。ライスとスープと水がつく。味はまあ普通。
F先生から電話がかかってくる。

いつものユニオン・ホテルにチェックイン。前払いで2日分、120000ウォン也。ソウルの半額である。部屋は広いし、インターネットはすぐつながるし、今のところ、大邱はこのホテルがベストか。

大邱駅のロッテ百貨店で家人に頼まれていた自然食品等買い、ホテルに戻る。CC先生から電話。

午後4時、地下鉄コサン駅でF先生と再会し、歩いて 황토포트 へ。





午後7時過ぎ、嶺南大学のC教授と再会、昨年オランダでお世話になって以来である。小生が大邱に留学するにあたっての指導教授をお願いしている人。筑波大学で博士号を取った人なので、日本語に不自由はない。スマートフォンをしきりに操作していて、メールが来たり、電話をしたり、忙しそうである。

2軒目は近所の 설담재 というお茶と陶芸の店。 C教授の行きつけの店らしい。韓国にも緑茶があり、智異山や全羅南道宝城あたりが有名だ。女性オーナー 김숙희さんが集めたり企画した陶芸家の作品が多数。行きがかり上、いくつか器を購入。また家人に怒られる…。



2012年5月3日(木)

朝9時出発のソウル南部ターミナル行きバスに乗り、1時間50分ほどで到着。バス代は11000ウォン。扶余は現状では観光資源があまりに少なく、魅力に乏しい等、2人で話す。今のままではソウルや大田から日帰りで十分だろう。百済と日本の交流史に目を向けたり、遺跡や遺物の展示を工夫する、名物の食べ物を企画するなど、まだまだ改善の余地があるような気がする。

永東ホテル(Hotel Young Dong)にチェックインする。朝食付きでシングル135000ウォン。





龍山区、グランドハイアットの近くにあるサムスン美術館へ。
斬新なデザインの建物のなかで、伝統美術と現代美術をどちらも楽しめる。企画展はソ・ド・ホという作家の「Home Within Home」で、さまざまな発想の面白さが伝わってくる。1962年生まれでNY在住。


カロスキルにある RABBIT in the Moon でパスタの昼食。ソウルの女の子たちに交じってアジョシ2人がビールとパスタの図は、ちょっとこっぱずかしいかも。


ロデオ通りやアプクジョン通りを歩いてから一度ホテルに戻る。部屋は広くていいのだが、インターネットが不調で、このブログが書けず減点となる。電源プラグが少ないのにも困った。



夕食は3年前に娘と入ったロデオ通りの 산봉화로구이 、女性誌などにもよく載っている、牛肉のサムギョプサルが名物の店。他に牛カルビ、豚のサムギョプサル、キャンティの赤。
カロスキルに戻り、地下のバーに入って、イケメンの店員(光州出身)と英語で他愛のないおしゃべりをしてからホテルに戻る。

定林寺址、扶蘇山、白村江

660年に滅亡焼失した定林寺を発掘調査し、伽藍地を整備した広大な址地に国宝の五層石塔や金堂、博物館などが置かれている。快晴で陽射しが強く、人はおらず、広大な敷地の中にぽつんとある石塔まで近づくのも億劫だったが、「せっかく来たのだから」とS君と励ましあって炎天下を歩く。




木浦の儒達山に続き、山登りである。王宮のあった扶蘇山は海抜100メートル弱で大したことはないと思っていたが、暑い中を延々と歩き、ふらふらになりながら山頂へ。
落花岩近くにある白馬江(白村江)船着場まで、下りもきつい。落花岩とは百済滅亡のとき、宮廷美女たちがこの絶壁から花びらのように落ちて行ったという伝説の場所。「百済版バンザイ・クリフだね」とS君。




川下りの船は7人以上客がいないと出発しない。1人4000ウォン。山を下りてきたのはわれわれ2人だけだったので、28000ウォン出せば貸切にすると言われる。10分ほど待っていると60代の女性と40代の男性。静岡から来たという母親と息子だった。4人で7000ウォンずつ払う方法もある、いやもっと交渉して値切るべきだ、などと考えていると、どやどやと韓国人男女が8人下りてきて、船は無事に出発。
穏やかな川だが、ここで本当に1000隻もの船が戦った大海戦が繰り広げられたのだろうか、と疑問がわく。川幅もそんなに大きくはないし…などと思っていると、10分ほどで、あっという間に川下りは終了。「えっ、これだけ?」と静岡の母。

(注:あとで歴史の本を読み直すと、海戦はもっと海に近い、河口の広いところで行われたらしい)



夕食は「ナルト食堂」という所で鰻。1人25000ウォンだから、かなり高級店だろう。掘りごたつ式の個室で、歩き疲れた一日に乾杯。コチュジャンをまぶして焼いた小生のより、S君の頼んだ塩焼きのほうが美味しかった。栗のマッコリというのを初めて飲む。

2012年5月2日(水)

泊まった全州コアリベラホテルは、今回の旅の中でも最高級のホテルだった。バスもトイレも西洋人仕様の大きな作り。朝のビュッフェでは海外から映画祭に来ている人々の姿も見かけた。1泊135000ウォン。

全州から扶余へは直行バスがなく、西大田へ出て、扶余行きに乗り換えなければならず3時間以上かかるという。鉄道を使うと、全州から論山まで行き、論山からバスかタクシーを利用する。
S君の提案で、タクシーで直行することになり、交渉の結果、7万ウォン。車は快適に全羅北道から忠清南道の穀倉地帯を走り、1時間半で扶余市内に到着。
朝、アリランモーテルに電話しておいたので、ホテルのアジュンマがにこやかに迎えてくれる。前払いで35000ウォン。


モーテルには何度も泊まったが、入口のビラビラもないし、部屋もまずまず。市外バスターミナルも近い。
まず、国立扶余博物館に向かう。




7世紀後半に滅亡した百済の発掘遺物を中心に展示してあるが、百済金銅大香炉という傑作以外は断片や小品、小さな仏像などばかりでスケール感に乏しい。写真は虎子(高さ25センチ。尿瓶だという)。
新羅に徹底的に破壊され略奪されたので、仏教美術の名品が完全な形でほとんど残っていないのだという。慶州の豊かな遺跡、文物とは対照的である。
百済史の説明の中に、日本との関わりも白村江の戦いのこともまったく触れられていないのにも首をかしげる。

(注:大邱のF先生によると、金大中・盧武鉉時代に、このような記述になった由)

2012年5月2日水曜日

2012年5月1日(火)

ホテルのフロントで聞いたら、全州まではバスで1時間30分くらいとのことだった。

光州高速バスターミナル(ユースクエア)は巨大な最新の施設で、待合室、発着所、レストラン、商店などの規模に驚かされる。チケット売り場で全州行きを2枚買う。「チョンジュヨ?」と売り場の女の子が小生をちらっと見る。6番ホームより、10時10分発、座席番号16、18100ウォン。

途中、SAでトイレ休憩。この辺までは何も疑わなかったのだが、出発から2時間を過ぎてもバスは高速を降りず、S君が「まだ着かないのかな?」と言い出し、韓国の地図を見ていると、光州から全州まで、こんなに時間がかかるのはおかしいと思い至った。
このバスは全州ではなく、清州に向かっていたのだ! 大田の先の、ソウルに近い都市である。

全州 전주  Jeonju
清州 청주  Cheongju

日本語で書けばどちらも「チョンジュ」である。結局、清州に着いたのは12時45分くらいで、出発から2時間半以上が過ぎていた。
清洲という町の存在を今日まで認識したことがなかった。光州のチケット売り場の女の子が小生をちらっと見たのは、発音を確かめていたのだ。
S君も「18100ウォンの料金はちょっと高いな、と思った」、実は小生もそう感じたのを思い出す。

清州の高速バスターミナルから、隣の市外バスターミナルに移動し、トイレに駆け込み、パンと飲み物を買い、午後1時発の全州行きに、かろうじて間に合う。
さきほどの高速バスに比べるとおんぼろだが、各駅停車というほどではなく、大田など数か所に停まり、高速をがんがん飛ばして、午後3時に全州到着。やれやれ。S君、申し訳なし。


全州コアリベラホテルに荷を解き、隣の韓屋村を散策。李氏朝鮮発祥の地である全州市が観光ののために力を入れている伝統家屋の町並みで、700余りの韓屋が庇を連ねている。実際に住んでいる人もいるが、民泊、商店、展示館、レストラン、喫茶店などになっている家も多い。




韓屋村、慶喜殿、豊南門などを見て歩き、盛味堂 상미당 へ。




本場、全州ビビンバである。ユッケビビンバを注文。10分ほど待たされる。



この店に石焼ビビンバはないが、出てくるとき、器は熱い。おこげができるほどではないが、40度~50度くらいに温めて食べるのが最も美味しいビビンバである、というのがこの店のポリシーである由。具の下のご飯は最初からまぜてある。
辛くないように頼んだS君のビビンバは具の下が白飯で、コチュジャンは別添えで出てきた。自分で調節してまぜて食べなさい、ということらしい。
感想は、お終いまで温かくて、飽きが来ない。具の食材も新鮮であり、さすがに本場の味というべきか。これまで食べたことのある、パサパサの山菜ビビンバ等、あれは何だったのだろうと思わせる。




繁華街を歩く。全州映画祭の最中で、イベントが各種行われていた。タクシーで三州洞へ。





あこがれのマッコリタウン、角の賑わっていた店に入ってみたが、ビビンバを食べたばかりで、あまり食が進まない。何も注文しないうちに出てきたやかんのマッコリはマルグンスル(上澄み)で、あまり美味しく感じられない。テーブルにところ狭しと並べられたつまみに適当に箸をつけ、マッコリを飲み終わると退散した。15000ウォン也。チョングッチャン(納豆入り味噌チゲ)は美味しかった。

韓屋村に戻り、Taste a walk というイタリアンに入って、 チリの赤ワインを2人で空けて、本日は終了。全州にたどり着くまでに光州から5時間以上もかけてしまったが、人口70万人、山に囲まれた全州という古都の良さを感じ始めている。