松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2015年3月25日水曜日

新学期あれこれ(3)

出入国管理事務所のある東村동촌までは、地下鉄2号線、1号線と乗り換えて、これまで片道1時間以上かかっていた。大学前のラーメン専門店「玄蔵」のGさんから、719番のバスに乗れば30分、大邱空港までも40分ということを聞き、初めてバスで往復。これまで延々と遠回りしていたことがあほらしくなった。
D2の外国人登録証をもらう。期限は来年の3月末日まで。
大邱銀行に行き、登録証を見せて学生証の発行申請をする。なぜか銀行で手続きするのである。学生証はカードなので、授業出欠の登録から図書館の席の予約をこれで行う。銀行カードやクレジットカードとも連携しているのだろうか。


これは박승희先生の「인문기획과 스토리텔링」(人文企画とストーリーテリング)という学部の授業があり、その授業が始まる前に、大学の何とか委員に立候補している候補者たちが公約を訴え、私に投票してくださいとアピールしている光景。
教室は中ぐらいの大きさで、約100人の学生たちが週に2回、この国語国文学科の授業に集まる。大学院の規定で、小生は「補充科目」として毎学期1科目、指定された学部の授業を受けなくてはならない。
どういう理由でこの授業を指定されたのか不明だが、おそらく卒業した大学の学部が法学部なので、韓国学科で学ぶためには人文系の知識が不足と思われたのではないだろうか。
出欠をとり、中間試験、期末試験、レポート、チームを作って公募展にシナリオや小説を応募する実習等、この授業がいちばん手間がかかりそうで、なおかつ興味を持てない内容かも。広告やら放送やら雑誌やらコンテンツとやら、長年うんざりするほど関わってきた世界の話なので…。


ある土曜日の午後、防川市場の金光石ストリートにて。
ちょっとした野外ステージが新しくできていて、フォークシンガーが歌っていた。
家族や若者たちが気ままに出入りして、のんびりとした雰囲気。


市場にある人気のマカロン店。


これらは北城路(プクソンロ)に最近できたカフェ。昔は元町と呼ばれた繁華街で、三中井百貨店がこのあたりにあった。現在は殺風景な工具街だが、日本家屋・建築の名残があり、再開発やカフェ・ブームの波が及んできている。

新学期あれこれ(2)

大学院は年間2学期制で、2015年は、3月2日~6月16日が前期(Spring Semester)、9月1日~12月17日が後期(Fall Semester)となる。

韓国学科は総勢10余名。一つの講義に参加する学生は、小生のような修士課程1期(1、2、3、4期と呼ぶ)の者から博士課程4期の者までが、それぞれの履修の過程が違うために一緒になる。
火曜日の午前、김기호先生の「한국의 언어와문화」(韓国の言語と文化)では、小生以外は全員博士課程で、「あなたは何期ですか?」「3期です」「最後(4期)なのよ」等の会話がある。春でも秋でも、どの学期から始めてもいいから、入学も修了も皆ばらばらの季節なのだ。
日本でも9月入学の制度が始まったらしいが、1年単位の考え方に慣れている小生は最初とまどった。

わかってきたのは、韓国学科10余名のうち、外国人は3人。修士課程は小生とベトナム人のN君のみ。もう1人の外国人はKさんで、ハルピンから来た朝鮮族中国人。30代前半で、韓国人と結婚して韓国籍となり、7歳の娘がいる。ネイティブではないが、もう韓国人だしかなり流暢に話す人で、指導教授も同じC先生だった。
ベトナム人のN君は、嶺南大学の学部に1年間在籍したことがあるそうで、20代前半か、なかなかの好青年。
他の皆さんは、パンソリを研究しているHさん(30代半ば?)以外は、40代、50代の男女ばかりで、これが一番驚いたことであった。
お坊さんも2人いる。50代の男性と、尼さん(京都の高校に1年留学していたそうできれいな日本語を話す。彼女も30代か?)である。
一人一人の職業や経歴、大学院で学ぶ理由などは、おいおい判明していくだろう。

もうひとつ驚いたことは、金曜日の午後、최동주先生の「한국학 특수분야얀구」(韓国学 特殊分野研究)の講義。ここにも10名前後の学生が集まるが、昨年語学堂で韓国語を教えてもらったS先生、L先生と一緒に学ぶことになったのだ。2人とも韓国語教育学科から聴講に来ていて、S先生は博士課程の2期、L先生は修士課程の3期だという。
S先生、L先生と小生とでは韓国語の能力、千倍くらい差があると思うのだが、同じ大学院の学生となって、同じ授業を受けることになるとは……と言うと、S先生は「よくあることなのよ」とあっさりしたもの。
確かに、1年間韓国語を学んでから大学院に進むという小生のような外国人学生は多いだろうから、あまり驚くことではないのかもしれない。それにしても、この学力、理解力の差では…と先が思いやられる。

韓国では、博士号を取得することでステップアップしたり、就職で優位になるということは聞いていたが、大学院でこのように多くの社会人を見ると、その実感がわく。
大学で教えるためには今や博士号取得が必須だというから、S先生やL先生も語学堂の教師職に飽き足らず、博士号をとってより上位の学校や大学の教師になりたいということだろうか。

ちなみに、嶺南大学大学院に通う外国人は約100名で、やはり7、8割は中国人。語学堂で一緒だった数名も名簿で見かけた。
どうやら大学院で日本人は小生1人であることもわかった。
最年長の学生であることもきっと間違いなかろうと思う。何となく、心細いというのが、スタートの実感である。


新学期あれこれ(1)

釜山領事館での認証は短時間で終了。

「証明書 
別途書類의 印章은 ○○大学長의 印章임을 証明함
在釜山日本国領事館
領事 山内英幸
手数料20000원」

という紙を卒業証明書の上に貼り、割印を押してあった。「これで韓国のほとんどの大学で通用しますよ」との説明があった。
大邱ー釜山は、行き帰りをムグンファに乗って鉄道で。自宅から東大邱へ行くよりも慶山駅はずっと近いし、運賃もバスよりも安かった。片道1時間10分くらい。
翌々日、行政室のジウォン氏に渡すと、あっさりOKとなる。
あとは外国人登録証、学生証、保険が残った。


手前の4階建てワンルームアパート群が小生の住むシンデリ地区。その周りをぐるりと、いま建築中の高層アパート群が囲みつつある。住み始めた一昨年秋には周りに何もなかったのだから、変わりように驚く。この写真は大学院の講義がある中央図書館のタワー18階から撮ったものだ。


自宅の風景荘からは、東門を過ぎて、中央図書館まで徒歩15分くらい。




韓国学科では2つの講義がこの中央図書館塔の17階にあるセミナー室で行われる。

2015年3月4日水曜日

新学期始まる

今年は3月2日(月)が韓国では新学期の始まり。行政室に行き、ジウォン氏と話す。まず、先週もらったメールの件。「学位検証資料」を提出せよ、との内容だった。昨年提出した卒業証明書だけではだめだということらしい。
1.アポスティーユを受けた書類
2.韓国にある自国公館の検証を受けた書類
のどちらかを提出せよ、という。
昨年秋の大学院入学手続きのときには何も言わなかったのに、今になって何が問題なのだろうか?
簡単に言えば、海外で卒業証明書とか学位証明書を提出する際には、その書類を国が保証しなければならないということ。
アポスティーユというのは公証役場とか外務省、法務省などに行って付箋みたいなものをもらうことらしい。
2ヶ月も東京にいたのだから、どうしてもっと早く言わなかったのかというと、ジウォン氏は2度もメールしたという。
そんなものはもらっていないのだが、まあしょうがない。
ある人にその話をすると、韓国ではシン・ジョンア事件以来、そういう書類のことがやかましくなったのだと教えられる。


2007年、「美術界のシンデレラ」と呼ばれた東国大助教授シン・ジョンア(当時35歳)の学歴詐称スキャンダル。米国エール大学大学院美術史学博士として、若き日から十年にわたって、主要美術館のキュレーター、学芸室長、光州ビエンナーレ監督などとして注目を集めた彼女は、エール大学に入学さえしておらず、学位証明書などはすべて偽物だった。その後、政府高官との関係が暴露されたりヌード写真の流出までが話題を集めて、ドラマ「ミス・リプリー」のモデルとなった。

釜山の日本領事館に電話をかけ、卒業証明書の写真を添付してメールを送るなどして、証明書を出しましょうと言われたので、水曜日に釜山へ。

2015年3月1日日曜日

変化が速い韓国

2ヶ月ぶりに慶山市のシンデリ(嶺南大学の東門近くにある新興住宅街)に戻ってみると、小生が住むワンルーム村を囲むように巨大なアパート群が建築ラッシュである。



先述のパリ・バケットをはじめ、新しいカフェや食堂も増えてきて、大邱の郊外にある新興住宅地がどんどん賑やかになってくる。不動産屋のK氏に聞くと、大邱のここだけではなく、郊外ではこのような住宅建設が目白押しなんだそうだ。確かに住宅建設と道路建設は韓国のどこへ行っても目につき、建設業界はバブル状態ではないかと思う。
日本以上に少子化が進んでいる韓国で、このように住宅をどんどん建てて、いったい誰がどこからやって来て新しい部屋に住むのか、というのが建築中の巨大建物を目の前にしての素朴な疑問である。
知人のL先生によれば韓国でこの数十年、一番変化した風景というのが住まいなんだそうだ。韓国式の古い住宅や一軒家がどんどんなくなって、誰もが高層アパートに住むようになってきたのだという。

ひさしぶりに行きつけの喫茶店モモに行くとMさんがいつものように愛想よく話しかけてきたが、二重瞼にしたのか別人のごとくで内心驚いた。「前のほうが良かったのに…」と思ったが、それは言えない。彼女は今週から休学していた啓明大学に復学して8月に卒業するのだそうだ。

わずか2ヶ月の不在の間に、人も風景もどんどん変化しているような気がする。


日本語学科教師のHさん親子とまた防川市場へ出かけると、新しい店がどんどん出来ていてまたもやびっくりする。写真は金光石ロードの新しい壁アート。オープンして半年になる羊料理の店へ。



炭火なのと、櫛が自動的にぐるぐる回り、火が通るようになっている。日本でもこういう延辺料理の焼肉屋を見かけるけれど、炭火や焼き機(?)も同じなんだろうか。この日は飲まなかったが白酒も各種置いてあり、再訪が楽しみである。

2015年3月1日(日)



2ヶ月間の長い冬休みが終わり、설날(元日、今年は2月19日)の翌日、観光ビザで韓国に戻る。
オンドル暮らしを知った身には、東京の住宅で過ごす冬はとにかく寒かった。家人がソファー用兼1人用こたつというものを買っていて、テレビを見るときなどは重宝した。
日本でもいろいろなことがあったが、なんとなくブログに書く意欲が湧かず、やはり韓国に戻ってからということで、継続、再開する也。
1つだけ日本でのことを書くと、先日、2年前に退職した会社の同期生たちの集まりがあった。1975年4月に同時に入社した同僚のうち、1人だけ残っていたMさんを囲み慰労する会で、彼女も3月末で定年退職する。これで同期生全員が退職となり、何かすっきりとしたような気分。40年の歳月が過ぎた。同期生たちのその後は様々だろうが、とりあえず一区切りであり、彼ら彼女たちの第2の人生の幸運を祈る也。


これはわが風景荘のあるシンデリにオープンした「パリ・バケット」。財閥の娘が経営する全国チェーンが、またもや地元の小さなパン屋さんを駆逐することになるのだろうか。

さて、大学院が始まる前の1週間、いろいろな準備や手続きをしなければならない。
まず大学院の事務室(ここでは行政室という)に出かけ、外国人学生を担当するペク・ジウォンさんと初めて会う。メールでのイメージ通りの若いテキパキとした女性で、電話がどんどんかかってきて忙しそう。外国人登録やD2ビザのための書類をもらい、慶山市の保健所に向かう。今年から「健康証明書」が必要なのだ。
保健所は慶山市庁の向かいにあった。銀行のようなカウンターがあり、番号札を取って並ぶ。診療室に行くと、嶺南大学学生は500ウォンのはずが小生の名前はリストにもなく、日本は該当国ではないそうで、一般人扱いで1万ウォン払わされる。ただし、職員たちは非常に親切。診察はシャツを着たままX線を取るだけの簡単なもので、2日後もらった証明書を見ると「結核なし」のみの内容だった。こんな形式主義の書類をもらうために毎日たくさんの人がつめかけているようだ。


2月23日(月)の午前中は卒業式(学位授与式)で、各学部ごとに卒業生や親たちが集まり、にぎやか。彼ら目当ての花束売りがキャンパスのあちこちに。

出入国管理事務所であらためて外国人登録とD2ビザの申請をする。
相変わらず出稼ぎ外国人たちでごったがえしていたが、1時間ほどで受付となり、書類も揃っていたのでスムーズに処理される。登録手数料13万ウォン。外国人登録事実証明書(2000ウォン)をもらい、3週間後に登録カードがもらえる。
翌日、大邱銀行での3月からの家賃自動引き落とし手続きも無事終了。