松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2011年12月31日土曜日

2011年12月31日(土)

午前中、久しぶりに近所の石神井公園、三宝寺池を散歩。中高年のジョガー多し。



昔からある作者不明・意味不明のコンクリート彫刻。顔のようでもあり、よく見ると女陰のようでもある。


最近はこういう事件も起こった。




三宝寺池には鎌倉時代からの湧き水があり、太田道灌に滅ぼされた豊島氏の城もあった。




石神井公園池の前にある高級住宅地の中で一番(?)の洋風豪邸。お釜の華道家がご母堂のために立てた家らしい。

大晦日はいつものように晴天也。今日は五反田に住んでいる長男もやって来て、10年ぶりに石神井の自宅に家族4人が集まり、「紅白歌合戦」を見る。レディー・ガガはNHK規範のために下着姿みたいな衣装を着られなかったのだろうか。おとなしすぎて拍子抜け。娘はもうじき嫁に行くので、こんな年越しの夜も最後の機会かもしれない。

2011年12月30日(金)

59歳の誕生日也。50歳からの、この10年間の小生、誕生日をどこで祝ったかというと、

50歳 北海道滝川市 「漁火」(いさりび。居酒屋)
51歳 ソウル 補身湯の店
52歳 台北  「辰園」(シェラトン台北内の中華)
53歳 ソウル 補身湯の店
54歳 釜山  焼肉店
55歳 大邱 「ソウルサムゲタン」
56歳 慶州良洞 山菜ビビンバの店
57歳 ソウル 狎鷗亭洞「once in a blue moon」(娘と。ジャズクラブ)
58歳 香港 「裕記」(鵞鳥)
59歳 熱海 「魚がし寿司」


昨年の誕生日は香港の「裕記」で、賑やかに鵞鳥焼きを皆で食べたのであった。今年は9年ぶりに国内で迎えた誕生日、熱海に大学の同級生M君を訪ね、沼津市魚市場にある寿司屋横丁へ行く。年末とあって買い物と寿司目当ての人たちの車、車、車。このあたりの寿司屋は来るたびに増え続けて今や数十軒? 「魚がし寿司」はいつもM君と来る店で、30分ほど並んでカウンターへ案内され、「地場握りデラックス」「三島コロッケ」ほか、熱燗2合。
いつもM君と行く竹倉温泉「錦昌館」は館内工事のためお休みで、結局時間もなくなり、温泉には入れず仕舞い。
M君へのお土産は、釜山空港で買った韓国海苔と仕事仲間のSさんのお母さんが作ったキムチ。M君からはウィスキー2本(GLEN MORAY12年とOLD PARR)もらう。

2011年12月27日火曜日

2011年12月25日(日)

朝11時、ホテルのロビーにLW先生、CF先生。CC先生は昨日お腹をこわした由で欠席。お年寄り3人と知り合って、小生はこの4年間に都合8回訪邱したことになる。皆さん、敗血症やら初期の胃ガンやら帯状疱疹やら、病気と闘いつつ、元気である。小生と会う以外、日本語を使う機会は少ないだろう。心なしか、皆さん、少しずつ下手になってきたような気がする。お歳のせいもあるし…。






LW先生の車で、大邱の周辺もあらかた廻っており、特にどこに行こうというアイデアもない。何となく八公山(パルゴンサン)で昼食を、ということになった。高麗の名将・申崇謙将軍のモニュメントから少し登ったところにある、名もなき食堂へ。アジュンマがストーブにあたっておしゃべりしている不景気な店に入って、牛の焼き肉を食べる。不老マッコリを2本。国産韓牛だそうだが、正直、あまり美味とは言えず、いったい何のためにここまでドライブして来てこの店に入ったのだろうか? 謎である。 LW先生は昔一度来たことがあると言うのだが…。サービスしてくれたアジュンマは中国吉林省から出稼ぎに来ている朝鮮族の中国人。彼女の身の上話を聞いたり、言葉の話、政治の話ほか、のんびり雑談。お勘定は3万ウォンで、CF先生が払い、アジュンマに1万ウォン、チップをあげていた。

市内に戻って、チョン・インソク女史が経営する「美都」喫茶店へ。ここも何度目か。大邱の中学・高校の校長を務めたような老人達のサロンである。女性もちらほら。大邱へ来た文人達の「美都」を讃える書が壁に所狭しと飾られている。全斗煥大統領が立ち寄ったこともあるらしい。店の中には漢方を煎じる匂いが漂い、黒く苦い「薬茶」をいただく。足元は寒く、皆オーバーを着たまま、談論風発、ゆるゆるした時間が流れていた。山盛りのお茶受けは、懐かしい形のせんべいだ。うーむ、この素朴な味は子供の頃以来だろうか。

LW先生、CF先生に別れを告げ、また来年お邪魔します、と握手をして寒風の街を歩く。何だかなあ…何だか夢がしぼんできたような…季節のせいだろうか、F先生と同じような問題を抱えそうな予感のせいなのか…夕方の暗く寒い街を歩き、東亜百貨店の地下でキンパブを買って、ホテルに戻る。少し風邪気味でもあり、サウナやマッサージに行く気力も湧かず。



2011年12月26日月曜日

2011年12月24日(土)







ホテル大邱はどこをとっても中流のホテルで期待外れ。定宿のユニオンホテルから浮気をしたのは、テレビでNHKが見られないのと朝食設備がないためであった。ホテル大邱の部屋はまずまずだが、テレビはブラウン管の旧式でリモコンの反応も悪い。(NHKプレミアムは放送されていたので「坂の上の雲」最終回をつい見てしまった。)地下一階はライブハウス兼ビアホールでうるさい。朝食ビュッフェは相当の低レベルで失望。クリスマス前日のこの日、結婚式が多かったのかロビーは客でにぎわう。

地下鉄で東大邱駅まで出かけ、韓進高速バスターミナルで、26日の釜山金海国際空港までの切符を購入。帰ってきて昼食はまた隣の「タハヌ」でカルビタン(一番上の写真)。牛スープ、塩味の加減が絶妙。6000ウォン。二回続けて同じものを食べるなんて珍しい。

ホテルの地下2階で散髪をしてから大邱一の繁華街「東城路」へ。2枚目と3枚目の写真。気温は零度前後か。風も強く、厳しい寒さだが、若者達でにぎわう。大邱百貨店近くの日本料理店「玄蔵」へ。日本人のGさんが経営している店で、嶺南大学のF先生と待ち合わせ。F先生、インターネットもつながらなくなったし、クレジットカードも止められているとかで意気消沈しているかと思ったが、相変わらずの怪気炎。要は日本に残っている奥さんとの関係が悪化したのだ。これは他人事ではなく、数年後の小生の直面する問題かも。1月10日に帰国し、関係改善を図る由だが、どうなることやら。
「玄蔵」のあともう一件はしごして、ビール、焼酎、ワイン、ウイスキー…。
F先生は抱えている「沙也可」案件=そのために論文の積み重ねと博士号取得を目指す=に小生を巻き込みたいらしいが、仮に3年後、小生が大邱に住むようになっても、適当なことを言って逃げるつもり也。
沙也可=金忠善の子孫たちは、現世の経済的な利得のために紀州・雑賀説に与しようとしている。観光客の誘致や記念館の運営のためである。しかし紀州・雑賀説というのは相当に怪しい説で、やはり加藤清正配下の武将だったというのが真実に近い。歴史的真実を追究しようとしても、大邱市の役人達も無関心、子孫達は聞く耳を持たず、F先生はドンキホーテのごとく孤軍奮闘しているのだった。何か侘びしさがつのるクリスマス・イブであった。

2011年12月23日(金)

JAL957便で釜山へ。釜山金海空港から高速バスに乗り、大邱へ。13時10分発、14時35分着、7600ウォン。初めてだったが、KTXで行くより早くて安い。LW先生、CC先生に迎えてもらい、LW先生の車で、北区の「天使館」2Fの「コンピュータプラザ」へ。昨年秋にここで買ったサムソン製のPCの修理のため。結局、初期化することで解決したが、2時間近くお年寄りたちにつきあってもらうことになって恐縮する。社長のキム・ウォンヨン氏、「サービスだよ」と言って無料にしてくれ、来年のカレンダーまでくれた。こちらも恐縮…。


これは投宿した西区の「ホテル大邱」。チェックインしたあと、隣の「タハヌ」という店でカルビタンを3人で食べて解散。カルビタン、とても美味なり。大邱は晴天なれど厳寒が続く。

2011年11月18日金曜日

2011年11月6日(日)

今日は朝から雨。新羅ホテルで朝食ビュッフェ。明洞ロッテデパートのデパ地下で買い物。フードコートでチジミ、純豆腐チゲ、ビビンバなど。新羅ホテルからKALのリムジンで仁川空港へ。バス代15000ウォン。KE705で帰国。
荷物が多すぎるので、電車には乗りたくない。成田空港から吉祥寺行きのバスは一足違いで最終が出たあとだった。新宿駅までのリムジンは狭い、高い(3000円!)。それでも1時間と、以外に早かった。新宿駅西口からはタクシーで自宅まで帰る。帰宅は午後11時を少し回っていた。やれやれ、家庭内接待旅行は無事終了したのだった。

狎鷗亭洞 カロスキル












2011年11月5日(土)

狎鷗亭洞(アプクジョンドン)へ。まずギャラリア百貨店に向かう。このあたりは一昨年娘と歩いたので、だいたいの地図は頭に入っている。お目当てのブランド品はなく、ロデオ通りでいくつか店に入っているうちに昼食の時間に。
狎鷗亭路を南に歩き、鳥山大路を左に行くと高層ビルが見える。とにかく暑い。午後1時に予約したのは「宮宴」(クンヨン)だ。以前は三清洞にあったのだが、今年の春に江南に移転したらしい。

http://www.goongyeon.com/bstore/store1.php

エバーワンメディカルリゾートというビルの17階。案内された窓際の席からは、漢江がすぐ下に見える。


前菜 色煎餅包み カボチャのスープ 水キムチ


季節の新鮮野菜


ジョンの盛り合わせ


宮廷チャプチェ


牛カルビ


魚の塩焼きと味噌チゲのご飯膳



宮廷茶菓子と果物

といったようなコースでした。「チャングム」の料理指導をした料理研究家が始めた店で、3年前、三清洞時代に大学の後輩S君と行ったことがある。そのときの客は日本人女性ばかり。今回、客は我々を含めて3組で、土曜のお昼にしては寂しい。高層ビルの高級店にしたせいだろうか。
家人も娘も満足そうで、お腹もいっぱい。外は暑いし、歩くのは辛いので、街路樹通り(カロスキル)まではタクシー。
この日は梨泰院、明洞などにも行ったが、歩き疲れ、買い物疲れ、食べ疲れて、終了。







2011年11月15日火曜日

馬場畜産物市場

新羅ホテルから、家人、娘を梨泰院に案内する。「NORTH BEACH」で娘が皮ジャンを選んでいるときにSK telecomより電話があり、「許可が下りた」というので、再び龍山へ。
ようやく有信カード開通かと糠喜びして行ってみると、「今日で韓国に来て何日目ですか?」と聞かれる。「昨日来たばかりだけど…」というと、韓国滞在(土日を除いて)4日目以降に番号を渡すから、来週の火曜日に有信カードが使えるようになる、とのこと。
日曜日に日本に帰国するが、来月また訪韓する。今手続きを済ませれば、来月の訪韓時から使えるのでは? と言ったが、それは駄目とのこと。要は一週間程度の滞在が発行の条件らしい。やむなく、今回も諦めて、退散する。


午後7時、新羅ホテルのロビーで、トニーさん、S氏と再会。トニーさんは7月に会って、「良味屋」に一緒に行った人。S氏は会社の先輩で、今春定年退職。もともとS氏とトニーさんが仕事で知り合い、S氏が小生にトニーさんを紹介してくれた。
城東区の馬場洞(マジャンドン)畜産物市場へ2台のタクシーで向かう。
焼肉のディープスポットとして最近注目され始めたこの市場には、8年前まで屠殺場もあったそうだが、現在は卸売市場と食い倒れ通りの街である。呼び込みの声を聞きながら向かったのは、通りの中程にある「チョンボッテチブ」。満席で、人と焼肉の熱気でむせかえるようである。香港の巨大屋台の賑わいを思い出した。





突き出しはレバ刺しにセンマイ。ミノやコプチャンの入らないモドムグイ(盛り合わせ)を2皿、最後にリブロース(上の写真)、ビール、焼酎で、12万ウォン。クレジットカードの請求では9000円弱だった。安くて美味いのは間違いない。コプチャンも食べてみたかったが、家人が嫌うので今回は注文しなかった。
喧噪の中で、トニーさんがアジュンマに次々とオーダーを伝える。練炭の火で、肉がすぐに焼け、網にくっつくが、次々と網を交換してくれた。娘は次回、BFと来るつもりらしいが、韓国語で食べたいものを注文したり、網の交換を頼んだりするのがちょっと難関だろう。
設営してくれたトニーさんに感謝し、S氏とも市場の入り口前で別れて、東大門の doota! という24時間営業のファッションビルへ。家人と娘をそこに残して、メトロホテルに帰る。



2011年11月12日土曜日

2011年11月4日(金)

朝食は里門ソルロンタンへ。


7月に来たときは移転していて、探したがわからなかったが、今回はネットで場所を調べていたので、簡単に判明。ソルロンタンの写真を撮るのを忘れたが、白濁したシンプルな牛スープである。韓国には珍しい、100年以上続く食堂だそうだが、以前の風情ある建物ではなくなった。
「ニンニク臭い」と家人。店全体? ソルロンタンが? 小生にはニンニクは当たり前過ぎて、もう感じられない。しかし、あっさりしたソルロンタン、好みで塩を入れ、キムチ、カクテキを投入すると、ほどよい調和が取れ、食が進む。予想通り、家人も娘も美味しく食べられたようだ。
仁寺洞まで、歩いて5分。通仁カゲ3Fで李朝家具(新作レプリカ)を見る。お膳や小さな棚など、買おうか買うまいか迷うが、日本への配送料が3万円と聞き、あきらめる。
暑い。薄いセーターだった家人はロッテ・ヤングプラザのユニクロで半袖を探すが、秋冬物ばかりなので、やむなくシャツを買って腕まくりすることに。
家人と娘はイビス明洞から新羅ホテルに移動。彼女たちは新羅免税店へ、小生は龍山電気街へ。7月に失敗した iphone の simcard (有信カード)開通に再チャレンジするためだ。


汗まみれで電気街を訪ね歩き、ようやく龍山駅隣の i-park 8Fのモバイル・フロアにたどりつく。十数人の韓国人に尋ね回り、 「i-park へ行け」と行った人は2人。7Fまでは家具売場なのだが、急に8Fのみ携帯電話のテーマパークみたいな世界が。
前回はKTで失敗したので、今回はSK telecom のショップを訪ねてみる。日本語を少し話せる女性がいて、パスポートだけでレジストレーションが可能だという。許可が出るまで1時間か2時間かかるというので、小生の電話(ドコモ)を伝え、新羅ホテルに戻る。

2011年11月11日金曜日

仁寺洞


土俗村から光化門の前を通り、仁寺洞へ。来るたびにこの街は今風に変わってきたと感じる。伝統的な書画骨董の店は減り続け、ファッション小物やカフェの店は増える一方。一階がショップ、二階がカフェ、という建物ばかりだ。そんなカフェに入って、冷五味子茶(冷やしオミジャッチャ)を飲みながら、通りの賑わいを眺める。




ソウルは東京より半月ほど季節が先に進んだかのように街路樹の葉が黄色く色づいていた。しかしながらこの日から3日間、季節外れの暑さが続き閉口する。半袖で十分な毎日だった。
タクシーでロッテ百貨店へ。10階のDUTY-FREEは相変わらず日本人で大混雑、どの店も規模が小さくて、落ち着かない。
夜、家人と娘が新羅ホテルのゲラン・スパを予約していたので、送っていく。彼女たちがマッサージを受けている間、小生は奨忠洞1街、豚足(チョクパル)通りや南山公園付近の飲み屋街をブラブラ。汗だくになって山を登り、新羅ホテルのロビーで2人を待つ。マッサージを堪能した2人が現れる頃、待ちくたびれた小生は朝からの長い一日にもはや疲労困憊。

2011年11月3日(木)

KE706便で成田から仁川へ。家人、娘との、おそらく最初にして最後の3人ソウル旅行。飛行機は最新鋭のB380。なぜだかエコノミーをビジネスにアップグレードしてくれたので、家人も娘も喜ぶ。実は帰路も同じだった。3人の個人旅行だったので、サービスには適当な対象だったのだろうか?


12時半、仁川空港から6001番のバスで、イビス・アンバサダー明洞へ。14000ウォン。
ちなみに、この日は1万円が14万2000ウォンという、円高・ウォン安の状態。
家人と娘はイビス明洞に1泊、明日から新羅ホテルに2泊する。家庭内格差(?)で、小生はいつものメトロホテルに3泊。
タクシーで土俗村(トゾクチョン)へ。写真の参鶏湯は15000ウォン也。家人はソウルも初めてなら参鶏湯を食べるのも初めて。娘は4度目のソウルで、土俗村も2度目。

2011年8月15日月曜日

2011年8月15日(月)

昨夜はオオタさんと大泉谷戸のアイリッシュパブ「BULL&BEAR」に出かけた。


小生が高校時代、筒井康隆、安部公房、北杜夫をよく読んでいたという話をしたら、オオタさんも似たような感じだったらしく、話がはずむ。その他、例えば草間弥生をどう思うか、とか、絵描きが成功することの是非について、意見がかなり一致する。要するに世間の評価は当てにならない。絵の価値や評判は、幸運やマーケティングのからんだ偶然に左右される。結局、自分が好きな絵は自分で決めるしかない…こう書くと平凡な結論になってしまうのだが、この辺はいつかもっと追究してみたい…。





オオタさんは若い頃代々木にデザイン事務所を開いていた時代があったが、飛行機に乗れず(閉所恐怖、高所恐怖)、次第に一人で写真を撮ったり、画を描くようになった。また琺瑯看板や雑貨を集める趣味が嵩じて、東京を離れ、ギャラリーを八ヶ岳に開く。知り合ったのは小生がこちらに来るようになった7、8年前か。Yさん、サカガワさん、オオタさんとの不思議な縁があって、この日に至る。
オオタさんの奥さんが、車で送り迎えをしてくれた。申し訳なし。こちらで飲もうとしたら、まず車の問題を解決しなければならない。
再来年の8月には、小生もう会社を定年になっているのでこちらに1ヶ月くらいは滞在したい、と2人に話す。「元気なうちに仕事をやめることが大事よね」とオオタさんの奥さんが素敵なことを言う。家人に聞かせたいものだ。

夜、プーケットに着いたと娘からメール。あまりにもホテルが豪華なので異次元に迷い込んだみたいだ云々。まあ勝手に楽しんでくれという心境。

8月15日は、朝7時にKさんが来て、山荘の鍵を返す。Yさんが1ヶ月後に来るので、草刈りは一度したい由。花壇や木のことはYさんに相談してから、切ったり剪定をしたりすることになりそうだ。
長坂から中央高速に乗り、8時過ぎに談合坂SA。カツカレーとスタバのコーヒー。調布付近で15分ほど渋滞。10時10分、自宅に戻る。今日は月曜日で燃えるゴミを出す日。車に積んできた燃えるゴミ、間に合った。
昼食は持ち帰った高原野菜を使ったスパゲティ也。
昼寝と甲子園。日本列島、猛暑日。

2011年8月14日日曜日

2011年8月14日(日)




今日、9時半の「あずさ」で家人が帰る。朝食はリゾナーレのビュッフェにする。「YYグリル」に朝7時45分に着くと満員で、「otto sette」 に案内される。一度夕食をとったことのあるイタリアンだが、お盆の混雑で、ここでも同じビュッフェをサービスしている。8時半くらいにはここも家族連れで満員に。BFとプーケットに出かけた娘にメールをする。いまスカイライナーに乗っていると返信。慣れないスキューバ・ダイビングは気をつけるようにと伝える。ピーマン通りで丸山珈琲を飲んで、小淵沢駅へ。

山荘に戻り、洗濯、掃除、昼寝。窓の下にスズメバチが巣を作っている。Yさんが9月末にやってくるまでに取らなくては、とKさんと電話で話す。
ひまわり市場、ハム日和で買い出し、保冷ケースに入れて、野菜や果物、ハム類を、炎天下、自宅まで運ぶ準備をする。八ヶ岳に来るたびに帰りは高原野菜を買って帰るのが恒例になった。
夕方、「たかねの湯」に。八ヶ岳広域農道(レインボーライン)を走るのは気持ちがいい。「たかねの湯」は、孫と一緒に来たお爺さん、みたいな家族連れが多く、賑わっていた。家人は暑くて温泉に行く気分じゃない、と行かなかったが、やはり夏でも温泉につかるとほっとする。 

2011年8月13日土曜日

2011年8月13日(土)

昨日の朝、来客があり、出てみると、微笑みをたたえた若い女性と初老の女性。日傘をさし、落ち着いた色の長いスカート、避暑地のお嬢様と上流夫人を絵に描いたようなファッションの2人。「王国の〇△×××」から来た由で、宗教の勧誘であった。炎天下、このような田舎の別荘地を、彼女たちは徒歩で歩いて一軒一軒神の恩寵を説いているのだろうか。若い女性は美人であった。「それがテなのよ。男ってダメね。独り暮らしの老人の話し相手になってあげて貯金を巻き上げるんじゃないの?」と家人は辛辣。









陽射しは強いが、多少雨雲の気配があるので、念のため主屋とアトリエの窓を閉めて出かける。清泉寮を過ぎて、野辺山へ。八ヶ岳高原ロッジに久しぶりに立ち寄る。西武が開発したホテルと別荘地で、昔ながらのクラシックな佇まいで、年配者むきである。ホテルのパーラーで、コーヒーとケーキのセット。
そのあとは、ガイドブックを見て、国道141号線を離れて相木村にある蕎麦屋を訪ねることに。山の中の道を進むが、対向車も後続車もなく、だんだん不安になってくる。険しい山村で、畑を作る土地もなく、産業といえば林業くらいではないだろうか(あとでオオタさんに聞くと、日航機が落ちた御巣鷹山は近いという)。
湖やキャンプ場を過ぎて、一軒家の蕎麦屋に入り、三色そば(1200円)と天ぷら盛り合わせ(850円)を食す。山菜中心の天ぷらのヴォリュームは良かったが、また訪ねたいと思えるほどの味ではなかった。そのあとは、もっと険しい山道を延々走らなければならず(汗)、あとで調べると天狗山の馬越峠というところの峠越えをしたことになる。やっとの思いで野辺山に戻って、大泉に帰る。
夕方から短い豪雨。ようやく涼しくなった。ラジオで甲子園の野球を聴きながら、うとうと。ひまわり市場で買ってきた富山の鱒寿司、サラダ等で軽い夕食。

2011年8月12日金曜日

2011年8月12日(金)

昨夜は9時過ぎまで蒸し暑かったが、さすがにそのあとは高原の冷気が訪れ、朝方は寒かった。3時頃福島で震度5の地震があったらしいが、気がつかず。朝から快晴で、虫の声も賑やか。アトリエの窓を開けて風通し。庭の餌箱に小鳥が数羽来ている。草も花も木もかなり大きく育って、剪定や草刈をしないといけないが、Yさんは年に一回しか来ないので、そのタイミングも難しいだろう。




 朝ごはんは、インゲン、ソーセージ、ブルーベリー、ヨーグルト、トマトとほうれん草、昨日、ひまわり市場とハム日和で買ったものばかり。



昼食は小淵沢の和食「庫楽」(くら)で、松花堂プレート、2000円。刺身、鶏のくわ焼き、さわらの塩焼き、水茄子、とうもろこしなどのサラダ、西荻にでありそうなモダンな内装の店で、味も爽やかでスマート。オオタさんの奥さんから去年教えてもらった店で、満足できる内容だった。
家人を送って、白井沢にあるオオタさんの家に寄り、オオタさんを乗せて、長野県原村へ。



オオタさんとフカイさんの山荘へ。3人でここでおしゃべりするのは3年ぶりくらいか。フカイさんがつげ義春と一緒に暮らしていた頃の話から始まって、オオタさんの琺瑯看板収集の放浪記、フカイさんが遠藤周作さんとパリに取材旅行に行った時の思い出、鴨居羊子、鴨居玲姉弟の話、長谷川利行、児島善三郎、池田満寿夫、等々、絵かきさん同士の話が盛り上がる。たまたま小生のiPhoneにオオタさんの個展の絵が入っていたので、フカイさんも来年の個展の下書きを見せてくれるなど、最後は一層盛り上がった。
オオタさんを自宅まで送り、ひまわり市場で刺身や果物を買って帰る。熱中症(?)気味で休んでいた家人も元気になっていた。昨夜ほど蒸し暑くないが、今夜も雲がでて星は見えなかった。