松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年6月30日日曜日

マドリードへ

2013年6月12日(水)


深夜、羽田からパリに向けて出発するはずだったのに、シャルル・ドゴール空港管制官のストライキのためにJL41便が運休となり、12時間遅れの成田発フランクフルト行きJL407便に変更となる。
そのうえ数日前からひいていた小生の夏風邪が家人にも感染ったらしく、フランクフルト空港ではトイレに駆け込み続け、ルフトハンザに乗り換えマドリードに深夜着く頃にはダウン寸前であった。初日から、これでは、先が思いやられる…。

往復の飛行機の中で観た映画で、良かったのは、

cold war(寒戦) 香港映画・日本未公開 
「インファナル・アフェア」の系列の、香港警察内の権力闘争を描く、スピーディで展開の読めないクライム・アクション。

side effects (副作用) 米映画・日本未公開
ジュード・ロウ扮する精神科医が若い女性患者(ルーニー・マーラ)に翻弄される医療サスペンス。

王になった男 韓国映画・イ・ビョンホン主演
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7
「王子と乞食」「影武者」を、李朝時代劇に持ってきたようなエンタメ。さすがにストーリーがよくできていて、イ・ビョンホンも達者である。

2013年6月10日月曜日

鹿洞書院再訪

6月1日(土)

2007年以来、6年ぶりに鹿洞書院を訪ねる。七星市場からバスに乗って約1時間。




昨秋、「韓日友好館」というハコモノが出来た。


(2010年10月1日の日記を再掲)
文禄・慶長の役で加藤清正配下の武将・沙也可が投降し、金忠善となったという伝承が現在の鹿洞書院につながっている。ちなみにF先生は沙也可研究会を主宰し、沙也可は阿蘇氏の一人であるという観点から調査を進めている。

小生が大邱を訪ねるようになったのは、宮本徳蔵氏の小説「虎砲記」を読み、金忠善の子孫が金海金氏となり、鹿洞書院を中心とした村に住んでいるという物語に魅かれたことがきっかけだった。
大邱を初めて訪ねたのは、2007年の年末だった。記念館を見せてもらうと、展示の仕方も建物も少々お粗末で、失望したのを思い出す。夏場は日本人が乗った観光バスが止まることもあるそうだし、紀州・雑賀説(神坂次郎氏が提唱)が政治家がらみ(経済と観光)で大手を振り、伝承の検証と史実の探求、現実の子孫たちの思惑とは微妙にずれや歪みをもたらしている。


友好館の展示はなかなか良くできていた。テーマは日韓交流史。壬辰倭乱ではなく、壬辰戦争という言葉を使っていて、訪れる日本人に気をつかっている。沙也可(金忠善)を紹介する3D映画も、CGを使って驚くほどの現代的な映像になっていた。映画の最後に、和歌山の二階俊博代議士が挨拶するのが少々ひっかかった。
彼らの根拠は、雑賀衆→沙也可、朝鮮に鉄砲の技術を伝えた、それだけなのである。





裏山に金忠善の墓が整備されていたので、登ってみる。F先生によれば、せいぜい百数十年前の物だという。
「慕夏堂文集」その他、沙也可=金忠善の資料で、一部しか公開されていないものがまだあるとか。降倭の武将・沙也可とは何者だったのか、決定的な資料はまだ見つかっていない。400年前の人物でも、謎は多い。ましてや古代史となれば、1人1説が可能なのである。

この日は、韓日友好館のボランティア、チェ・イグムさんや、大邱駅地下のコーヒーショップ「Nero」のアルバイトの女性など、大邱の若い人で日本語を話す人に出会う。
しかし、ここ数年、大邱における日本語学習熱は下がり、皆が中国語を習うのだという。
そういえば、定宿のユニオンホテルも中国人の団体客で騒がしかった。尖閣問題や反日騒動の影響で日本へ行く観光客が減り、大邱にまで(失礼)大挙して中国人が押し寄せていた。

最後の夜は、F先生と昨夜のShinjuku近くの居酒屋へ。女将さん、大邱には珍しい、控えめな挙措の美人であった。
 

2013年5月31日(金)

初めて大邱に来たのが2007年末。足かけ7年で10回訪れたことになる。



毎回お会いしているLさん、CCさん、CFさん、3人のお年寄りと、昼食にスユック(茹で豚)、カルククス(うどん)。今回、3人に会って、まず語学堂に通うことから始めたらどうかと言われたことが大きかった。日本でも語学学校にはずいぶん通ったが、何年韓国語を学んでも進歩がなかった。大邱の大学にはほとんど日本人はいないので、韓国語漬けの日々が送れることは間違いない。





午後、大学近くで2件、泛魚の近所で2件、いわゆる「ワンルーム」という物件を、L先生のご好意で案内してもらう。
10畳くらいの部屋+台所+バストイレ、ベッド・冷蔵庫・洗濯機付き、もちろん巨大なオンドル用ガス機器も。嶺南大学まで徒歩10分の学生アパート村のようなワンルームで、家賃が月25万~35万ウォン、保証金が100万ウォン~200万ウォンくらいが平均的な相場。都心の泛魚の物件(単身サラリーマン向け)では、月に10万ウォンほど高くなる。部屋の間取り、大きさはほぼ変わらない。
せっかく学生をするのなら、大学近くがいいのかな、と感じる。緑も多く、散歩をしたくなるような風景が広がっているから。
この日は薬令市近くの「Shinjuku」で、蕎麦を食べて解散。

2013年6月9日日曜日

1年ぶりの大邱

5月29日(水)

早い梅雨入り。
午前中は、ハローワーク池袋へ。
夕刻、JAL696便で、成田から釜山へ。釜山金海空港着午後9時過ぎだが、東大邱行きの高速バスに間に合った。ユニオンホテル投宿が、11時過ぎとなる。

5月30日(木)


ホテルの近くの市民会館、改装がまだ終わっていない。骨組みだけを残しての大改装、後ろには新しい建物が建設中。




東城路を歩く。韓国では、人気俳優、人気タレント即CMタレントである。彼ら、彼女らは、人気が出るとあらゆるCMに出演する。
「芸能街中継」を辞めたあとのイ・シヨンが女子ボクシングに向かったのが理解できなかったが、このCMを見て納得。生き残り戦略として、ニッチな道を選んだと言うことだろう。


デジタル・チケットの販売所。映画からコンサート、演劇まで、この売り場で手に入る。東京には、こういうの、ありそうで、ないのでは?


東亜デパートB1で食べたビビン冷麺、5500ウォン。平日の昼時、主婦のグループがおしゃべりに興じていて、いずこも変わらない。



午後3時、嶺南大学へ。昨秋に地下鉄が延伸され、大学前に駅ができた。終点である。F先生と待ち合わせしたあと、大学内のD研究所へ。
旧知のC先生、S先生、初めてお会いするK先生。いずれも日本留学時代が長く、日本の事情にも通じている。K先生「韓国に帰ってきた当初は、国際会議で同時通訳をできたほどだったけど、今はさっぱり日本語は下手になりました…」
小生の留学についての相談だったが、外国籍の人間が研究員の資格を得るにはかなり手続きが難しいということになり、この日はペンディングに。
大学のゲストハウスでご馳走になる。



松茸入りの石焼き飯。お焦げはスープを入れて、最後に食す。

その後は、F先生と、1年ぶりに「玄蔵」へ。経営者のGさん、料理人に去られて、1人で料理とお運びをやっていた。