松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2011年12月31日土曜日

2011年12月31日(土)

午前中、久しぶりに近所の石神井公園、三宝寺池を散歩。中高年のジョガー多し。



昔からある作者不明・意味不明のコンクリート彫刻。顔のようでもあり、よく見ると女陰のようでもある。


最近はこういう事件も起こった。




三宝寺池には鎌倉時代からの湧き水があり、太田道灌に滅ぼされた豊島氏の城もあった。




石神井公園池の前にある高級住宅地の中で一番(?)の洋風豪邸。お釜の華道家がご母堂のために立てた家らしい。

大晦日はいつものように晴天也。今日は五反田に住んでいる長男もやって来て、10年ぶりに石神井の自宅に家族4人が集まり、「紅白歌合戦」を見る。レディー・ガガはNHK規範のために下着姿みたいな衣装を着られなかったのだろうか。おとなしすぎて拍子抜け。娘はもうじき嫁に行くので、こんな年越しの夜も最後の機会かもしれない。

2011年12月30日(金)

59歳の誕生日也。50歳からの、この10年間の小生、誕生日をどこで祝ったかというと、

50歳 北海道滝川市 「漁火」(いさりび。居酒屋)
51歳 ソウル 補身湯の店
52歳 台北  「辰園」(シェラトン台北内の中華)
53歳 ソウル 補身湯の店
54歳 釜山  焼肉店
55歳 大邱 「ソウルサムゲタン」
56歳 慶州良洞 山菜ビビンバの店
57歳 ソウル 狎鷗亭洞「once in a blue moon」(娘と。ジャズクラブ)
58歳 香港 「裕記」(鵞鳥)
59歳 熱海 「魚がし寿司」


昨年の誕生日は香港の「裕記」で、賑やかに鵞鳥焼きを皆で食べたのであった。今年は9年ぶりに国内で迎えた誕生日、熱海に大学の同級生M君を訪ね、沼津市魚市場にある寿司屋横丁へ行く。年末とあって買い物と寿司目当ての人たちの車、車、車。このあたりの寿司屋は来るたびに増え続けて今や数十軒? 「魚がし寿司」はいつもM君と来る店で、30分ほど並んでカウンターへ案内され、「地場握りデラックス」「三島コロッケ」ほか、熱燗2合。
いつもM君と行く竹倉温泉「錦昌館」は館内工事のためお休みで、結局時間もなくなり、温泉には入れず仕舞い。
M君へのお土産は、釜山空港で買った韓国海苔と仕事仲間のSさんのお母さんが作ったキムチ。M君からはウィスキー2本(GLEN MORAY12年とOLD PARR)もらう。

2011年12月27日火曜日

2011年12月25日(日)

朝11時、ホテルのロビーにLW先生、CF先生。CC先生は昨日お腹をこわした由で欠席。お年寄り3人と知り合って、小生はこの4年間に都合8回訪邱したことになる。皆さん、敗血症やら初期の胃ガンやら帯状疱疹やら、病気と闘いつつ、元気である。小生と会う以外、日本語を使う機会は少ないだろう。心なしか、皆さん、少しずつ下手になってきたような気がする。お歳のせいもあるし…。






LW先生の車で、大邱の周辺もあらかた廻っており、特にどこに行こうというアイデアもない。何となく八公山(パルゴンサン)で昼食を、ということになった。高麗の名将・申崇謙将軍のモニュメントから少し登ったところにある、名もなき食堂へ。アジュンマがストーブにあたっておしゃべりしている不景気な店に入って、牛の焼き肉を食べる。不老マッコリを2本。国産韓牛だそうだが、正直、あまり美味とは言えず、いったい何のためにここまでドライブして来てこの店に入ったのだろうか? 謎である。 LW先生は昔一度来たことがあると言うのだが…。サービスしてくれたアジュンマは中国吉林省から出稼ぎに来ている朝鮮族の中国人。彼女の身の上話を聞いたり、言葉の話、政治の話ほか、のんびり雑談。お勘定は3万ウォンで、CF先生が払い、アジュンマに1万ウォン、チップをあげていた。

市内に戻って、チョン・インソク女史が経営する「美都」喫茶店へ。ここも何度目か。大邱の中学・高校の校長を務めたような老人達のサロンである。女性もちらほら。大邱へ来た文人達の「美都」を讃える書が壁に所狭しと飾られている。全斗煥大統領が立ち寄ったこともあるらしい。店の中には漢方を煎じる匂いが漂い、黒く苦い「薬茶」をいただく。足元は寒く、皆オーバーを着たまま、談論風発、ゆるゆるした時間が流れていた。山盛りのお茶受けは、懐かしい形のせんべいだ。うーむ、この素朴な味は子供の頃以来だろうか。

LW先生、CF先生に別れを告げ、また来年お邪魔します、と握手をして寒風の街を歩く。何だかなあ…何だか夢がしぼんできたような…季節のせいだろうか、F先生と同じような問題を抱えそうな予感のせいなのか…夕方の暗く寒い街を歩き、東亜百貨店の地下でキンパブを買って、ホテルに戻る。少し風邪気味でもあり、サウナやマッサージに行く気力も湧かず。



2011年12月26日月曜日

2011年12月24日(土)







ホテル大邱はどこをとっても中流のホテルで期待外れ。定宿のユニオンホテルから浮気をしたのは、テレビでNHKが見られないのと朝食設備がないためであった。ホテル大邱の部屋はまずまずだが、テレビはブラウン管の旧式でリモコンの反応も悪い。(NHKプレミアムは放送されていたので「坂の上の雲」最終回をつい見てしまった。)地下一階はライブハウス兼ビアホールでうるさい。朝食ビュッフェは相当の低レベルで失望。クリスマス前日のこの日、結婚式が多かったのかロビーは客でにぎわう。

地下鉄で東大邱駅まで出かけ、韓進高速バスターミナルで、26日の釜山金海国際空港までの切符を購入。帰ってきて昼食はまた隣の「タハヌ」でカルビタン(一番上の写真)。牛スープ、塩味の加減が絶妙。6000ウォン。二回続けて同じものを食べるなんて珍しい。

ホテルの地下2階で散髪をしてから大邱一の繁華街「東城路」へ。2枚目と3枚目の写真。気温は零度前後か。風も強く、厳しい寒さだが、若者達でにぎわう。大邱百貨店近くの日本料理店「玄蔵」へ。日本人のGさんが経営している店で、嶺南大学のF先生と待ち合わせ。F先生、インターネットもつながらなくなったし、クレジットカードも止められているとかで意気消沈しているかと思ったが、相変わらずの怪気炎。要は日本に残っている奥さんとの関係が悪化したのだ。これは他人事ではなく、数年後の小生の直面する問題かも。1月10日に帰国し、関係改善を図る由だが、どうなることやら。
「玄蔵」のあともう一件はしごして、ビール、焼酎、ワイン、ウイスキー…。
F先生は抱えている「沙也可」案件=そのために論文の積み重ねと博士号取得を目指す=に小生を巻き込みたいらしいが、仮に3年後、小生が大邱に住むようになっても、適当なことを言って逃げるつもり也。
沙也可=金忠善の子孫たちは、現世の経済的な利得のために紀州・雑賀説に与しようとしている。観光客の誘致や記念館の運営のためである。しかし紀州・雑賀説というのは相当に怪しい説で、やはり加藤清正配下の武将だったというのが真実に近い。歴史的真実を追究しようとしても、大邱市の役人達も無関心、子孫達は聞く耳を持たず、F先生はドンキホーテのごとく孤軍奮闘しているのだった。何か侘びしさがつのるクリスマス・イブであった。

2011年12月23日(金)

JAL957便で釜山へ。釜山金海空港から高速バスに乗り、大邱へ。13時10分発、14時35分着、7600ウォン。初めてだったが、KTXで行くより早くて安い。LW先生、CC先生に迎えてもらい、LW先生の車で、北区の「天使館」2Fの「コンピュータプラザ」へ。昨年秋にここで買ったサムソン製のPCの修理のため。結局、初期化することで解決したが、2時間近くお年寄りたちにつきあってもらうことになって恐縮する。社長のキム・ウォンヨン氏、「サービスだよ」と言って無料にしてくれ、来年のカレンダーまでくれた。こちらも恐縮…。


これは投宿した西区の「ホテル大邱」。チェックインしたあと、隣の「タハヌ」という店でカルビタンを3人で食べて解散。カルビタン、とても美味なり。大邱は晴天なれど厳寒が続く。