松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年11月30日土曜日

2013年11月29日(金)

地下鉄1号線東村駅で降り、大邱出入国管理事務所へ、外国人登録証を取りに行く。冬らしい晴天で、やや風が強い。昨日今日と、11月としては記録的に寒いとの報道があったらしいが、それほどには感じず。


これが外国人登録証。裏には有効期限と小生の住所が印刷されている。ビザも外国人登録証も6ヶ月の期限なので、来年5月早々には延長、更新をしなければならない。
昨日、入国カードをイミグレーションに出したら、外国人登録証があれば入国カードは書く必要がないですよ、と言われた。パスポートのスタンプには「R」と手書きされた。再入国という意味だろう。
インターネットには、韓国で外国人登録をした者は、ビザの期間中に出入国するとき、再入国許可証が必要等の情報が残っているが、現在はそのような書類は不要で、この登録証を提示すれば自由に出入りができる。


出入国管理事務所の帰り途、教保文庫でクリスマスカードを選んでいると、携帯に電話あり。郵便局の配達員から「家にいるのか?」とのこと。一昨日石神井郵便局からEMS(国際スピード郵便)で送った段ボール(本と雑誌で25キロの重さ。料金は23000円)が届いたらしい。今留守なので午後3時以降に再配達してほしい、と言ったら「アンデヨ!(ダメ) チグムニョ!(今でなきゃ) ポガン××××!」と早口で全然わからず。向こうもしびれを切らしたのか、「近くにいる韓国人と代われ!」と叫ぶので、レジの男性店員に代わってもらい、先方の言いたいことが判明。「近所の××不動産に預けた(ポガン=保管)」とのこと。不在の場合、再配達が当たり前と思っていた小生、見ず知らずの不動産屋に勝手に預けたと聞いて唖然。
急いで帰り、その不動産屋に行ってみると、この荷物がちゃんとありました。電話を聞いてもらった教保文庫の店員も、いきなり荷物を預けられた不動産屋さんも大変に親切だった。対照的な、配達員のいい加減さ、アバウトさ。日本とは異なる、この振幅の大きさは韓国ならではというべきか。
不動産屋から風景荘まで、25キロの段ボールを抱えて歩くのは辛かった・・・。高い配送料を払ったというのに。

2013年11月14日木曜日

海印寺

2013年11月12日(火)
好天が続いているので、7年ぶりに海印寺(ヘインサ)に行ってみることにした。前回は真冬の寒い季節だったので、紅葉の季節に訪ねてみたいと、かねてから思っていたのである。
地下鉄1号線聖堂池駅で降り、西部市外バスターミナルから、海印寺行きのバスが出ている。40分ごとにバスは出ており、海印寺までは1時間10分~20分くらいと聞いている。7100ウォンで切符を買い、11時20分発のバスに乗りこむ。


バスは、高霊などに立ち寄りながら、慶尚南道伽耶山国立公園の山中にある海印寺に向かって行く。

http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_4_10_2_3.jsp








大蔵経を保存する蔵経板殿(ユネスコ世界文化遺産)の内部を覗きこむことができた。


高麗大蔵経を彫った木版が8万枚保存されているという。自然の通風により、最も保存に適した環境を維持している。




ゆっくりと境内を歩き、紅葉や黄葉を楽しんで、14時40分発、大邱行きのバスで帰る。帰りのバスは、山歩きの中高年が途中から乗ってきて満員になるほど。

聖堂池駅から頭流公園の中にある大邱文化芸術会館に立ち寄り、「學山書画会員展」を見学。KUさんが通っている書道サークルが毎年秋に開いている作品展。學山先生にご挨拶、KUさんに会場を案内してもらう。この会は鳳山洞にあり、一緒に書道をやってみませんか、と勧められている。

東城路の「玄蔵」で夕食。経営者のGさんと話していると、F先生が偶然顔を出す。いま、日本から戻ってきたところだという。
Fさん、Gさんという先達がいてくれたので、小生も大邱暮らしをしてみたいと思うようになったのだ。無事、慶山市に居を構えたことを話し、これからのあれこれを話す。来週、F先生の嶺南大学博士論文の審査がある由。
地下鉄2号線でF先生と一緒に帰る。小生は終点の嶺南大学駅。F先生はその1つ手前の林堂駅。F先生から、一緒にやっている読書会に参加しないかと誘われる。書道といい、読書会といい、少し大邱での生活に慣れて、様子をみてから考えよう。

明日、いったん日本へ。用事や準備を済ませ、11月28日から、実際に韓国に住みながらの「大邱日誌」が始まります。 

2013年11月12日火曜日

慶大病院

慶大病院といっても、大邱の場合は慶北大学病院のこと。11月9日(土)は、慶大病院駅でLW先生、CC先生、CF先生と待ち合わせし、達西区の「フォトランド」で4人で記念写真を撮る。小生の遊学記念写真也。3人のお年寄りはあまり乗り気ではなかったと思うが、小生の遊びにつきあってもらった。
昼食のカルグクスを食べた後、大邱市北部にある漆谷慶北大学病院へ。同じ慶大病院だが、こちらは郊外に最近建てられた大規模な施設である。夏に脳卒中で倒れたLD先生のお見舞いで、小生も5年前に良洞へご一緒した縁があるので同行した。
鼻から点滴を受けながら、気管の部分には栄養補給のための入り口、車椅子に乗るLD先生に、3人の先生が代わる代わる語りかけた。「私が誰だか、わかるか? LWだよ」といった内容だが、LD先生は首を振る。声がほとんど出ないので、筆談のようなこともしたのだが、LD先生が書くことは理解できない。英語の先生だったので、英語らしき文字もあるのだが、3人の先生は首をかしげる。10分ほど、そのようなもどかしい会話を交わして、病院をあとにする。長い付き合いの仲間が訪れたことがLD先生には理解できたのか、できなかったのか、皆寡黙になって車に乗る。雨も降ってきたので、この日は意気上がらず解散となる。

以下、5年前、mixiに書いた文章を再掲する。

2008年12月30日(火) 慶州・良洞里

 56歳の誕生日なり。今日案内してくださるのは、LWさん、LDさん、CFさん、CCさん、の4人。LDさんとは初対面である。皆さん、78歳~80歳で、산절로「山のまにまに」という山岳会の仲間、元中学校・高校の校長先生である。LDさんは英語、他の3人は国語が専門。
 この日はLDさんの故郷である慶州・良洞(ヤンドン)に連れて行ってもらうことになった。毎回LWさんの運転である。

 昨日行った河回村(ハフェマウル)は大邱から北へ車で1時間半。良洞は大邱から約1時間東に向かい、東海(日本海)に面した浦項市に近い位置にある。河回村は洛東江の堆積地にできた平坦な村だが、良洞は山村である。両班の瓦屋根の家が山の上に、奴卑・使用人たちの藁葺きの家は山の下にある。500年以上前に建てられた家屋をはじめ、約160棟の家が山間に佇んでいる。観光地として俗化されていない、本物の両班村を見せてあげよう、ということであった。
 良洞村は、1467年李施愛(リ・シエ)の乱(李氏朝鮮前期最大の反乱)で功を立てた孫昭(1433~1484)と彼の外孫である儒学者李彦迪(イ・オンジョク 1491~1553)の後孫たちで形成された。
 この李彦迪がLDさんの祖先であり、LDさんはその一族で生家もこの村にある。李彦迪(1491~1553)は、李退渓(1501~1570)と共に朝鮮朱子学史を代表する儒者。「李彦迪は、李退渓の10歳年上。先輩なのか、師なのか、微妙なところで、そのあたりがLDさんとLWさんの関係にも影響があるんですよ」とCCさんが耳打ちしてくれた。LDさんは気弱そうな温厚な老人だが、ぶっきらぼうなLWさんに対して「うちの方が格上」という意識があるのだろうか?

 寒いことは寒いが青空が広がり、山間に点在する村の家を訪ね歩くのは気持ちがいい。陽当たりも良く、のんびりとした村である。河回村と違って、この村には村人が実際に暮らしているのが感じられる。山の上に登り、刈り取られた水田、鉄道、兄山江などを眺める。「朝鮮戦争の時には北朝鮮軍の戦車から砲撃を受けて、ここまで弾が飛んできた」などという話も出る。LDさんは知人のおばあさんに出会って挨拶している。「今日は日本人を案内してるんだ」とでも言っているのだろうか。LDさんの生家も拝見。「農家に貸しているんで汚くしていて…」と謙遜するが、「無恭堂」という扁額を小生に見せたかったらしい。有名な書家が書いた宗家別堂の名前で、意味は「祖先に恥ずかしくないように生きる」ということだそうだ。

 村内の 우향다옥(友郷茶屋)という食堂に入り、56歳の誕生日を大邱老人4人に祝ってもらう。家醸酒(マッコリの上澄みだそうだが、甘く茶色い)、山菜ビビンバ、パジョン、ナムルなど。その素朴さが、美味しい。女将さん、美人でとても感じが良い。
 いろいろな話をしたが、LDさんの父親の話が興味深かった。村を代表する両班の家に生まれながら、妻子を捨てて満州へ行き、その後大阪、新潟へと移り、日本に帰化して日本人と再婚。M組という土建会社を興して新潟で十指に入る成功を収める(越山会?)。この父親とLDさんは1973年、LDさんがオーストラリア留学を終えて日本に立ち寄った際に再会する。生き別れになった息子との再会を喜んだ父は驚くような大金を与え、LDさんは日本中を数ヶ月観光してから帰国した話。1980年に父親が亡くなり、遺骨を韓国に持ち帰った話。妻とは別の日本人女性Iさんが新潟から毎年大邱まで墓参りに来る話…。李彦迪の子孫として生まれた男の波瀾万丈の生涯の、ほんのさわりだけ聞かせてもらった。

※ LDさん=李東琦先生は、11月22日(金)に逝去された。 

引っ越し、買い物、銀行口座

2013年11月6日(水)
LW先生の車で荷物を運んでもらい、大邱駅近くのユニオンホテルから慶山市の風景荘まで引っ越し。昨日、LW先生の奥さんに西門市場で選んでもらった布団(ベッドパッド、掛布団、枕、枕カバーで85000ウォン)や鍋釜も。만석꾼で200万ウォンを払い、契約書にサインする。1年契約であり、何事もなければ自動的に延長される。


部屋は10畳くらいの広さだろうか。押入れはないので、服や衣類を増やすことは避けたい。鏡台は必要ないので、引き取ってもらった。


7日(木)、8日(金)は、生活に必要な台所用品、掃除道具、皿やコップ、台所マット等々、買い物を続ける。大邱銀行半月堂支店に口座を開き、家賃、電気やガスの料金を自動引き落としにする手続きを行う。水道代は家主の負担とかで無料、これはありがたい。銀行では沢山の書類を書かねばならず、口座開設の時には最近知り合った日本語講師のKUさんに、自動引き落としの手続きでは만석꾼の代表KY氏に手伝ってもらった。ATMの使い方はほとんど日本と同じなので難しくはない。日本語表示の切り替えができるATMも意外に多い。
わずか1週間で、実にスムーズに、家探し、引っ越し、買い物、外国人登録、銀行口座開設とすべての計画を実行することができた。特にLW先生に助けてもらったことは大きい。予定より1日早く、水曜日に帰国することにした。

2013年11月10日日曜日

風景荘

韓国暮らしが始まった。住所は慶尚北道慶山市押梁面シンデリ(新・代の下に土・里)という新興住宅街である。アパートの名前は「風景荘」、4階建て、3階のワンルームである。保証金(敷金)は200万ウォン、家賃は26万ウォン。











築4年の建物で、1フロアにはワンルームが2つ、2ルームが2つ、4世帯が入っている。
部屋のキーは暗証ロック式で、鍵は必要ない。1Fの玄関も暗証番号を押さないと入れない。
冷蔵庫、洗濯機、ベッド、テレビ、机、タンスなどがあり、電気代、ガス代は毎月別に必要だが、水道代やインターネット、テレビ回線の費用は家主(蔚山に住む「現代」系の社長さんだという)の負担。
新しい建物なので、水回り、お湯、暖房、冷房などは快適である。初めて暮らすオンドルの部屋。スイッチ一つで、お湯のみ、お湯+オンドル暖房、が切り替えられる。

2013年11月5日火曜日

2013年11月5日(火)

今日も秋晴れ、少し曇り気味。朝、中央路、東城路を歩く。いつもながら、大邱の街で朝飯を食べさせる店を探すのには苦労する。東城路の脇道にアジュモニ(ハルモニ?)が3人でやっている小さな店に入ると、これがまずまずだった。純豆腐チゲを食べて5000ウォン。

午後12時半、LW先生がホテルに迎えに来てくれる。まず昼食は、薬令街へ。






「궁중약백숙」(宮中薬白熟)という店で、昨夜の参鶏湯とちょっと似ているが、スープには入っていない。鶏を丸ごと漢方で煮た料理で、後半に粥が出てくる。昨夜の参鶏湯の鶏よりもコクがあり、しっかりとした味。塩を適当にまぶしながら味わう。あっという間に平らげて、気持ちのいい満腹感。

大邱出入国管理事務所へ。



「alien registration」と書かれた窓口へ、緊張して向かう。申請書コーナーにボランティアの中国人女性がいて、われわれに話しかけてくるのだが、何を聞いても首をかしげて自信がなさそうなので役に立たない。せっかちなLW先生、どんどん小生の申請書を雑な字で書き始めてしまう。「先生、それは私が・・・」せっかくの機会なのに・・・。韓国の住所をハングルで書くと、小生のパスポートを取り上げて、東京の住所は漢字で書き始める。そんなバラバラでいいんですか?
残った空欄を小生が書き込み、窓口へ。無愛想な若い美人から、にこりともせず、「2万ウォン」といわれたので、まず金か、とあわてて支払う。写真、パスポート、昨日もらった語学堂の「登録金納付領収書」も渡す。両手の指紋を機械で撮影されて、PCをカチャカチャ、以上で終了。本当に韓国に住むのか、学生生活はいつまで等、何か、聞かれるのかと思ったら何もない。ただの事務手続きだった。
インターネットには3、4日で外国人登録証がもらえると書いてあったのに、2週間以上かかるという。ソウルまで書類を送って、それが戻ってきて、自宅まで郵送するのなら3週間かかるのだそうだ。
引換券を渡され、11月19日以後、出入国管理事務所に取りに来ることになった。
気になっていた再入国許可証というのは「最近、そんなものはやっていない」と言われ、別な窓口で1000ウォン払って「外国人登録事実証明」(certificate of alien registration)というA4の書類を渡される。見ると、外国人登録番号、生年月日、ビザの種類、期限、住所などが印刷されている。パスポートとこの紙を見せれば、ビザの期間内自由に何度でも出入国できるそうな。半信半疑で、あっさりと手続きは終了。

その後、西門市場で布団、枕、ベッドパッド、鍋、フライパン、箸とスプーン等、LW先生の奥様まで応援に現れて、明日からのアパート暮らしに備える。



広大、複雑怪奇な市場で布団や鍋釜を買うのは、やはり一人では大変だったと思う。LW先生もこういうのは苦手なので奥様を呼んだのだった。布団一式85000ウォン、鍋釜フライパン43000ウォン。

2013年11月4日(月)

東京も大邱も、秋らしい好天が続いている。
昨日大邱へやってきたのは、アパート探しと外国人登録のため。
いつものユニオンホテルに投宿。
午後、嶺南大学語学堂に顔を出し、事務局のKMさんにいくつか質問する。
外国人登録に必要な書類を聞くと、まだ学期が始まっていないので在学証明書は出せないので、「登録金納付領収書」というのを作ってくれた。文面には「上記学生は、正規課程の教育費を納付しました。該当期間は12月1日~5月30日」と適当なことが書かれている。これと学生証のような(上記学生は~の期間、韓国語の研修をする予定であることを確認する、という)「確認書」を作ってくれた。留学ビザの期限が来年5月3日(11月3日に入国したので、6ヶ月間)までなので、延長するときの手続きも教えてくれた。
あとは、12月2日(月)の午後、オリエンテーションに現れれば良いとのこと。その場でレベル・テストをして、クラスを決めるということだった。

午後2時半、LW先生が車で大学正門まで迎えに来る。LW先生、ずいぶんと下見をしてくれたらしい。嶺南大学駅北口のワンルーム村ではなく、少し遠いが南口、キャンパスの東側の地域が新しく開かれた一帯で、4階建てのマンションが林立しており、この辺りが静かで良いのではないか、とおっしゃる。
その地域の入り口にある「만석꾼 」という不動産屋に入り、「良い物件はないか」と切り出す。背が高く若い、やり手そうな調子の良い代表が出てきて、先生と話し始める。「安くて、いい部屋がありますよ」ということになって、代表の車でそこへ直行。結論から言うと、その部屋に決めたのだった。
2日間くらい、あちこち見て回ってから決めようと思っていたのだが、あまりにも我ながらあっさりと決めてしまった。前回、5月に見て回った駅北口のワンルーム街の部屋より断然新しくてきれいだったこと、設備がしっかりしていること、家賃が安いこと(敷金200万ウォン、家賃は毎月26万ウォン)、LW先生も「あちこち下見をしたが、ここが一番良いと思う」とのことだった。






4階建てのマンションが並ぶ新興住宅街。通りの角地にあるマンションの名前は「風景荘」。そこの3階の部屋である。前に住んだ人が就職のために出て行ってしまい、急に空いたので家賃を安くしたのだという。
部屋の内部や細かい様子は、引っ越ししてから、あらためて書くことに。
手付金として、今月分の家賃26万ウォンを支払い、あさって、契約と引っ越しをすることになった。



夕食は、ひとりで薬令街を歩き、なじみの「ソウルサムゲタン」へ。ソウルの「土俗村」などと違い、実にあっさりした味である。11000ウォン(約1000円)也。

2013年11月1日金曜日

うなぎの食べ納め

2013年10月28日(月)
熱海のM君を訪ねる。息子さんの就職も決まり、一家の機嫌が良い。
好天なので、芦ノ湖までドライブ。何度も来ているので、どうということはないのだが、箱根神社にお参りすることにした。



月曜日なので、観光客は多くはない。お賽銭をあげ、韓国遊学無事のお願いをする。
夕食は小生の希望で、三島「桜家」で鰻を食べることにする。



白焼きが2600円、うな重が3600円。M君がご馳走してくれた。熱燗を2合。
次にこのような本当の鰻を食べられるのはいつになるだろうか。1年後? 2年後?
そんなことを考えながら、しみじみと食べたのであった。