松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2015年11月25日水曜日

青松(チョンソン)

2015年11月15日(日)

2日連続の踏査会である。この日は金在元先生率いる「三国遺事遺跡踏査会」のツアー。今年最後とあって定員をオーバーし、大型バス1台、小型バス1台の旅となった。
青松は3年前の子供の日に親しい先生3人と旅行した土地だ。その時のブログには、

닭불백숙  鶏火白熟 鶏の丸煮(水煮)
닭죽     鶏粥 糯米と小豆の粥をスープに自分で入れながら食す。

どちらも塩を適量入れたり付けたりしながら、4人で2羽の鳥にむしゃむしゃと齧り付く。参鶏湯よりはシンプルな料理だが、お粥スープとの取り合わせに妙があり、この村でしか味わえない美味しさなのだという。

と書いていた。青松は薬水(湧水)が有名で、それで鶏を水炊きにして食べるのである。かなり美味だった記憶がある。3先生も老齢となり、もうこのような遠出ができなくなったのは残念也。



周王山国立公園内の注山池(チュサンチ)。1721年に造られた農業用貯水池。キム・ギドク監督の映画「春夏秋冬そして春」の撮影地としても知られる。



次は大典寺(テジョンサ)。新羅時代に創建され、高麗時代の919年、普照国師が再び創建した。新羅時代、唐の後周天王という人物が亡命してきた故事から「周王山」という地名が生れ、周王の息子の大典道君の名から大典寺と名付けられた。



土日には韓国各地で、このような風景が見られる。







大典寺の門前にある食堂、お土産屋の通り。青松はリンゴが有名で、確かに糖度が高く、大邱のリンゴより美味しい。



讃慶楼(チャンギョンル)。青松沈氏の始祖である文林郎・尉衛侍承・青己君・沈洪孚の祭閣で、1428年に創建、1688年に修復した。





雲鳳館。1428年、郡守・河澹が、讃慶楼と同時に建築した客舎。




歴代群守の碑など。



松韶古宅(ソンソコテク)。朝鮮英祖の時に萬石の富を享受した青松沈氏・沈処大の7代孫の松韶・沈琥択が1880年頃、先祖の本拠である徳川里に移住して建築した古家屋。
伝統的な両班の建築様式である。





実際に沈氏の子孫が住んでおり、オンドルも焚いている。民泊で観光客も泊まることができる。
司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」の沈壽官は、この青松沈氏が本貫である。














最後に訪れたのが、객주 문학관(客主文学館)。1979年から1465回にわたってソウル新聞に連載された金周榮(キム・ジュヨン)の大河小説「客主」は、朝鮮後期、市場の客引きから始まり、巨商に登りつめたチョン・ボンサムという男のサクセス・ストーリー。現在、ドラマ「商売の神ー客主2015」がKBSで始まったばかりだ。主演はチャン・ヒョク。




巨大な文学館。もと小学校だった建物をリノベーションしたもので、青松出身の作家キム・ジュヨンを中心に地元の作家、芸術家の作品を展示してある。




ちょうど作家キム・ジュヨン氏(76歳)本人がいたので、皆さん無邪気に記念写真を撮ったり、サインをもらうなど。小生はこの作家や作品に何の予備知識もなく、呆然としていたのであった。


せっかくの機会なので、三枝寿勝氏の「韓国文学を味わう」から引用。(第6章 「三国志演義」「水滸伝」愛好の伝統と大河小説)

 それから金周榮(キム・ジュヨン/1939~ )の『客主(ケクチュ)』(1979~84)と『禾尺(ファチョク)』(1991)が挙げられます。
 客主というのは褓負商や旅人たちが泊まる宿のことで、褓負商とは荷担ぎをして全国を回りながら売り歩く商人のことです。ですから、客主は宿でもあり、いわゆる卸商の役割もしていました。朝鮮は近代に至るまで車がありませんでしたから、すべての物は馬や牛に積んで歩くか人間が担ぐしかなかったので、歩く人間の役割が非常に大きかったわけです。褓負商は荷担ぎ商として全国を歩き回るのですが、逆に言うと情報収集などの役割を担っていますから、団結するとひとつの団体としての活躍をするわけです。そのため韓末には、大院君が自分の反対勢力・独立協会を弾圧することに褓負商を使っています。
 『張吉山』の場合は芸人が盗賊になり、『客主』の場合は褓負商や商人たちが、やはり同じように盗賊になるという話です。ですから、この2つは明らかに『林巨正』の系統の中で書かれた小説になります。


以上、この秋の踏査会レポートはこれにて終了。いよいよ冬になり、学期末が近づいてきた。

2015年11月24日火曜日

永川(ヨンチョン)

2015年11月14日(土)

C先生「韓国漢文學理解」の体験学習。慶尚北道永川へ。この秋では一番近場のバスツアーだった。大学院ではなく、学部のクラスなので20代の若者たちと一緒。


 11時に出発したバスは30分で沿線の中華料理店へ。ジャジャンメンないしはチャンポンを食べてから、永川へ向かう。
この日の旅は大学の授業なので無料だが、事前に個人情報開示同意書やら保険用の書類を2枚も提出させられた。セウォル号の事件や浦項の体育館の倒壊事故やらがあり、学生を率いて旅行をする場合、こういう準備をするようになったとのこと。万が一事故が起こった時のための用意なのだろう。


最初に見学したのは臨皐書院(りんこうしょいん)。高麗末の儒者、鄭夢周(チョン・モンジュ 1337 ~1392、号は圃隠)を祀っている。 









鄭夢周は教育にも力を注ぎ、多くの弟子を育成したので、「東方理学之祖」と呼ばれた。李氏朝鮮を開こうとする李成桂と対立したために善竹橋で暗殺された。






次に向かったのが、道溪書院。朴仁老(パク・イノ 1561~1642)という詩人を祀っているのだが、十分な予算をかけて立派な施設となっている臨皐書院と比べると、かなりみすぼらしく、荒れている。






彼は文官でなく武官で、壬辰倭乱にも参加したが、引退して清貧な暮らしの中で漢詩を書き、愛国詩人として名を遺した。



鄭夢周と朴仁老。漢詩人として著名な2人の書院を訪ねたのは、漢文学を学ぶ学生のための課外学習のはずなのだが、事前に何の予習も告知もない。ただ永川に行くぞ、というだけだったような気がする。
彼らが世に残した漢詩のコピーが事前に配られるでもなく、ただバスに乗って、現地で漫然と解説員の話を聞くだけの一日であった。

今こうやってブログに書くために調べたので、やっと全体像がつかめたのだが、いつもこんなもんなのであろうか?