松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2017年1月28日土曜日

新年会あれこれ


1月21日(土) 「玄藏」での新年会。鍋、トンカツ、Kloud、獺祭、柿ワイン etc.


1月26日(木) チェモク先生を囲む新年会。寿城区庁駅ちかくの「고미정」にて。



大阪家庭料理「しげ屋」オープンを準備中のMさんと、東亜百貨店前の路地にある小生行きつけのクッパ食堂へ。美味しいので2人で焼酎を3本飲んでしまった。翌日やはり体調悪し。やはり焼酎は体に悪い。1本が限度と決めよう。2年前アンジランでマクチャンを食べたときに焼酎を2本飲み翌日苦しんで以来、焼酎は体に悪いと思っていたことを再確認。この店のクッパが美味しくて、やはり焼酎が合うのだが、これからは酒が足りなかったらビールにすべきか。

日本語教師

2017年1月は、毎日日本語を教えている。

月、金は寿城池の近くの「學而書堂」で。韓国学科で一緒に学んだYさんが経営する漢文塾で、Yさん、Hさん、Gさん、Kさんに初級日本語を教える。
火、木は、嶺南大学日語日文科の冬季放學特講で中級の作文を教える。登録9人で7人が出席。
水はテグハルで初級。Pさんという中年の男性とHさんという若い女性。しかしHさんは来なくなってしまった。
木曜夜は正坪(チョンピョン)で、Kさんと東野圭吾、村上春樹の小説を読む。彼女とはもともとテグハルで授業をしていたのだが、最近は嶺南大駅から近い正坪のカフェで会うことが多い。日本留学経験もあり、亀尾にある日系企業に勤めているので、日本語能力の維持のための授業。
土曜夕方はテグハルで中級クラス。いろいろなテキストや映像を使ってきたが、今年は作文とビジネス日本語のテキストを試している。


 初めて大邱名物「チムカルビ」を食べた。牛肉をニンニクと唐辛子でこってり煮込んだ料理で、ヤウンネンビというチープなアルミ鍋で出てくる。ニンニクの強烈な香りで最初は思わずウッとなるが、さすがに美味也。ご飯もマッコリも進む。「カルビチム」という牛肉の煮込み料理は全国にあるが、チムカルビというのは大邱だけの名前、味なんだそうだ。東仁洞チムカルビ通りにはチムカルビの同じような店が10軒以上並び、歩いていると次々に客寄せの声がかかる。Y大学のK先生、O先生と、日本人アジョシ3人で行ったのは「수복찜갈비」というお店だった。

通院、誕生日、2017年

 2016年12月26日~2017年1月2日、大邱市内の「申皮膚科」に通院。やはり帯状疱疹で、注射、レーザー治療、飲み薬、塗り薬など。軽かったので1週間で治療終了。早めに治療したのも良かった。まだ額にかさぶたが残っているが、少し残っていた痛み、かゆみはなくなった。帯状疱疹は免疫力が弱って発症するが、一生に一度のことが多い。再発率は5%だとのこと。授業もほとんどなく、休養にちょうど良い1週間だった。


 64回目の誕生日は大邱のアジョシ3人とマッコリ。寿城池(スソンモ)で日本語を教えているYさん、Hさん、Gさんと。このときはまだ帯状疱疹の治療中で、少し痛かった。


 これは「君の名は。」のパロディ、「君の権力は。」

 2017年1月8日(日)、K君、Kさんと中央路駅前「ロッテヤングプラザ」にある「CGVテグ」で「君の名は。」を見る。朝11時からの上映で、Kさんがネットでチケットを購入してくれた。11000ウォンとのこと。1月4日に韓国でも公開され、大ヒット中だ。



「君の名は。」は、高校生の男女が夢の中で入れ替わり、徐々にひかれ合っていく――というストーリー。韓国では1月4日に公開され、19日間で観客動員数が約305万人を突破し、韓国での日本映画歴代ランキングでは「ハウルの動く城」(2004年12月23日韓国公開)の約301万人を抜いてトップになった。
 日本では、昨年8月26日の公開から50日間で観客動員数が1815万人、興行収入が235億円を突破。邦画の歴代興収ランキングでは「千と千尋の神隠し」(308億円)に次いで2位となっている。すでに世界125の国と地域で海外配給が決定し、4月7日には北米での公開を控えている。
 K君の希望で実現した映画鑑賞だったが、当のK君は終始関係のない携帯電話の画面を見ていたらしい。1時間半の字幕に集中することができないようだ。小生とKさんは色々と感想を話し合ったが、K君からの反応はなし。
 お腹が空いたので、東大邱駅横に先月オープンした新世界百貨店へ。巨大なデパートだが、大邱にもこれほど人がいたのかと驚くくらいの大混雑。8Fの食堂街に行っても、全てのレストランの前に、順番を待つ人たちの列が並んでいる。


 Kさんの案内で9Fの点心の店「點點心」( Dimdimsum )へ。香港、上海、台北にある飲茶店で、20分待って入れた。まずまずの味である。ここでもK君の反応はイマイチであり、その後「珈琲名家」の本店に移って3人で色々話す。あとでKさんと話し、別なときにP先生とも話したが、K君はおそらく軽い発達障害ではないだろうか。軍隊にも行き、上手な字を書き、英語、中国語、日本語もカタコトを話せる。facebookの友達も多い。しかし相手と、まとまったコミュニケーションをとることが難しいのである。今は裕福な両親と暮らし、気ままな毎日を送っているが、将来がちょっと心配だ。「日本料理の店を開きたい」等の夢を語るのだが、料理を本格的に修業したり、店を経営したりというのは難しいような気がする。

期末試験、忘年会、帯状疱疹

韓国に戻り、やはり忙しい。テグハルの忘年会のあとの2次会、3次会。



2016年12月19日(月) 補充科目の期末試験。



 期末試験(イ・スファン先生の「朝鮮時代史特講」)をベトナムの3人と一緒に受けて、今学期が(あるいは小生の学生生活が?)完全に終了した。
 そのあと晩村の「와우식당」で韓国学科の全員が集まり打ち上げ会。写真には全員が写っていないが全員で7人。全京美、張成源、金明月、ナム、トゥック、ティーエン、小生。このあと先月まで一緒に勉強した周萬植も合流。周萬植は前学期で博士課程を修了したがまだ論文は書けていない由。今学期で金明月は博士課程を、小生とナムはソクサ課程を修了したが論文はまだ。



W先生からキムチを数種類どっさりともらう。明太子も。きゅうりの一夜漬けは自作。ラッキョウは日本から持ってきた。


W先生とよく行く高級中華料理店「富泉城 부천성」のジャージャーメン。







2016年12月25日(日) 玉山書院

歴史都市である慶州(キョンジュ)市の中心から約20キロメートル離れた郊外、“心を洗う”という意味を持つ洗心(セシム)マウルに位置する玉山書院(オッサンソウォン)。朝鮮王朝時代後期、興宣大院君(フンソンデウォングン、1820~1898年)による書院撤廃令を免れた47の書院のうちのひとつで、史跡第154号に指定されています。16世紀、儒学の一派である性理学の先駆を成した李彦迪(イ・ウォンジョッ、1491~1553年)の学徳を称えるため廟が建てられたが、後に朝鮮王朝時代の第14代王、宣祖(ソンジョ、1552~1608)より玉山書院という扁額を下賜された儒学者養成機関。

 Gさんの車でKさんと3人で慶州へ。カレーの「あらき」で昼食。韓屋デザインの建物で、日本人の夫、韓国人の妻、女の子、猫がのんびりと営業していた。日曜日、クリスマス。田舎の一軒家だが、インターネット情報とGPSを頼りに、次々と韓国人のカップルが入ってくる。
 玉山書院は慶州を代表する書院。イ・スファン先生の授業にもよく出てくるので訪問したが、展示施設も記念品もなく、観光としてはイマイチだ。
 前日から右目の上、額から頭がチクチクと痛く腫れている。初めての症状だが、自己診断で帯状疱疹かと疑う。この日は何とか無事に乗り切ったが、「ずいぶん疲れた顔をしている」と言われた。


2017年1月27日金曜日

2016年12月2日~12日

10日間だけ東京に戻る。免許更新、病院、保険、その他いろいろ、忙しかった。


孫(女児)誕生。とても元気。


S君と新宿の居酒屋へ。



荻窪「ねいろ屋」。1年に2,3回。

韓国学科最後の授業

 2016年の秋は、昨年のように踏査会にも参加せず、ほとんど旅をしなかった。気候も昨年とはずいぶん違う。昨年は9月から11月まで、ゆっくりと秋が深まる感じがした。季節が穏やかで紅葉も長い間各地で楽しめた。今年の秋はなにかあっけなく終わってしまい、11月中旬から急に寒くなり、キャンパスの葉も早々と落ちてしまった。



2016年11月28日(月)
 2年間通った韓国学科碩士課程だが、小生にとってはこの日が最後の大学院の授業也。本当は来週の月曜日が最後なのだが、用事があり金曜日から日本に戻るためだ。
 チョン・ユンキョ先生の社会学、イ・スファン先生の書院史、チェ・チェモク先生の儒学、と感慨深く受講。寒いが良く晴れた一日。

2016年11月29日(火)
 パク・クネ大統領辞任表明。このあと弾劾裁判が始まり、ますます韓国政治は混迷していく。
 慶山駅から急行のセマウルに乗って釜山へ。YMCAビルにあるソウル日本文化センター・釜山日本語教育室で日本アニメの話をする。その後の夕食は中華街へ。釜山の中華街はかなりの規模で初めて足を運んだ。ロシア料理店が混在しているのが特徴。
釜山に来たのは1年半ぶりぐらいか。今年はとうとう1度もソウルへ行かなかった。

2017年1月15日日曜日

清道ワイン、闘牛、中間発表

2016年11月12日(土) 
 ソウルで「朴大統領退陣要求デモ」100万人を越える。毎週土曜日に各地で行われたデモは年末まで延々と続いた。「박근혜 퇴진」(パク・クネ退陣)「하야하라」(下野せよ)というプラカードを掲げ、学生、労働者、知識人から家族連れまで、広汎な韓国人が結集した大衆運動の盛り上がりを見て、傍観者の小生はずっと違和感を感じ続けた。今回は流血の騒動は起きず、取り締まる側にもデモを容認する雰囲気があった。民主主義を口にする参加者たちの言葉をテレビで見ながら、韓国の沸騰しやすいポピュリズムの危うさを思った。

2016年11月13日(日)
 Gさん、Mさんと隣町の清道(チョンド)へ。
 清道は三国時代以前から古い歴史のある町で、花郎精神の発祥地として、近代ではセマウル運動の発祥地として有名だが、まあかなりの田舎町である。駅で迎えてくれたのは陶芸家のHさん。Hさんは大邱の陶芸家の二代目で、日本の瀬戸で修業した。大阪時代にMさんと知り合い、結婚して大邱に戻ってから清道に窯を開く。「半月窯」という名で、中国でも販路を広げ、かなり成功しているようだ。MさんはHさんの縁で大邱に来るようになり、とうとう移住し、店を開くことにしたというわけだ。
まず、有名なワイントンネルへ。









このトンネルは植民地時代に日本軍が満洲に進出するために掘ったという、旧京釜線の線路跡である。トンネルの入り口には初代朝鮮総督寺内正毅の書で「代天成功」とあった。
トンネルの暗さと湿度は確かにワインの貯蔵にはぴったりだろうと思い、期待して訪ねたのだが、ワインといっても柿ワインだけなのであった。日曜日だから多くの観光客が来ていたものの、清道名産の柿で作った柿ワインだけでは、再訪する気にはなれない。小生は国産のワイン、外国産のワイン、豊富に取り揃えているものとばかり思い込んでいたのだった。




「柿」と並ぶ清道の名物「闘牛」も見学。専用の競技場があり、競馬のようにオッズがあり牛に賭けることができる。



「半月窯」を見学してから駅前で男4人で一杯やり、鉄道で慶山へ戻る。清道に来たのは2度目であった。大邱近郊の純農村地帯だが、別荘や洒落た一軒家のカフェやイタリアン食堂などもぼつぼつ出来始めたという。

2016年11月18日(金) 
 韓国学科論文中間発表の日。




 中間発表は予備発表とも呼ばれ、学位論文の提出前に簡単な予備発表をするという制度である。この日中間発表をしたのは小生、ナム君、ティーエンさん、全京美さんが碩士(ソクサ、修士)、金明月さんが博士(パクサ)、そして最後に이재준さんが博士論文の本発表をした。
 小生の碩士論文のタイトルは「崔南善親日의 논리와 내용에 대한 연구」。
 中間発表は1人10分か15分程度の簡単なものではあったが、チェ先生にも事前にみてもらい、かなり修正をした。しかしながら論文が完成する目途は全然立っていない。

2017年1月14日土曜日

町田別荘、深夜食堂

2016年10月30日(日)
教大駅でKさん、K君と待ち合わせて、學岡美術館(ハクガン美術館、町田別荘)へ。


これは画家であるK君の父が開館した個人美術館で、所有する日本家屋に日中韓の美術コレクションを展示したもの。10月10日にオープンして、秋史(チュサ)と石齋(ソクチェ)という朝鮮の書家の作品を展示していた。












K君は子供の頃この家に住んでいたらしい。画家である父親には会えなかったので詳しい経緯はわからないが、植民地時代は町田という日本人の別荘だったという。天井や欄間の装飾などを見てもかなり凝ったもので、保存価値のある貴重な建物だと感じた。K君は近所のアパートで両親と暮らしている。父親は3月には済州島で新たに美術館を開くというからお金持ちであるらしい。多彩で雑多なコレクションの価値は、残念ながら小生には素養がなくほとんどわからなかった。


「大正4年5月藤本」の箱を開けてみると朱塗りの盆が5つ、良い状態で保存されていた。骨董品として、どれくらい価値があるのだろう。


ポジャギが掛かっているいる欄間も、建築的な価値があると思う。K君、Kさんとは後日「君の名は。」を見に行くので、後述。
 彼らと別れて、防川市場へ。Gさん、Mさんと合流。Mさんは最近大阪から大邱へやってきた40代の在日韓国人。大邱で食堂を開きたいということで、食堂を経営するGさんがアドバイスをしており、この日は小生が防川市場を案内した。Mさんは「深夜食堂」のように、カウンターの中にいる自分が、1人でお客を迎えるような日本食堂をやりたいのだという。小林薫主演のこのドラマはアジアでも人気で、台湾版、韓国版のドラマも始まった。
 防川市場の人を紹介したり、物件をいくつか見て回る。これもその後紆余曲折があった。場所はとても気に入ったのだが、権利金が高すぎて結局断念し、別の場所で良い物件が見つかることになる。それは意外な場所だった。