松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2011年7月26日火曜日

2011年7月26日(火)

午前11時、東大邱駅前にある韓進高速バスターミナルから釜山・金海国際空港行きのバスに乗り、12時10分、到着。昼食はイカ入り石焼きビビンバ。いつものようにスタバでコーヒーを飲んでから、イミグレーションに。夏休みの時期とはいえ、平日なので空いている。JL958便で帰国。スカイライナー、山手線、中央線経由で帰宅、午後6時45分。
ソウル2泊、大邱2泊の短い旅で、予定通り知人と会って久闊を叙す。iphoneでプリペイドsimcard開通には失敗したが、次回への期待を残す。老人たち、年齢と共にさまざまなことが起きてきた。次の韓国旅行は11月の予定也。

ソウルサムゲタン


東城路入口の交番前でFさんと再会。嶺南大学中国研究センターの客員研究員、沙也可遺跡保存会事務局長など、幅広く活動する研究者で、大邱に住んで十年近くになる。Fさんにつきあってもらい、東城路のolleh(KT)に入り、有信カードを買い、iPhoneを登録・開通しようとする。ソウルのトニー氏にも助けてもらい、1時間くらいあれこれやってもらったが、小生のパスポート番号では認証が通らず、結局上手く行かなかった。5500ウォンの有信カードを買い、手続き書類の記入も済ませたのだが、残念ながらあきらめる。ソウルのパクジヨン氏とは連絡が取れず、大邱の店員たちも初めての経験だったようで、打開方法がわからない。韓国の通信事情は日々刻々と変わっているようだから、次回の訪韓の際に、再チャレンジしてみることにする。
Fさんと入ったのは、「ソウルサムゲタン」で、いつもお年寄りたちと来る店。土用の丑の日のウナギみたいなもので、韓国の夏は参鶏湯か補身湯と言われている。相変わらず、さっぱりとしたクセのない参鶏湯で、鶏肉の柔らかさにFさんも驚いていた。ビールと焼酎、サービスの人参酒。上の写真はこの店の定番、突き出しのタクトンチブ(砂肝の炒め)。直訳すると鶏の糞の家? 香ばしくコリコリして、酒のつまみにはピッタリ。サムゲタンは11000ウォン。鶏1羽まるごとペロリと食べて千円だと思うと、実に安くて美味な食べ物である。
Fさんはその後談論風発、繁華街の中心にあるGさんの日式店でも怪気炎を上げていたが、面倒なので省略。Gさんによると不景気は変わらず、次に来てもらった時にはこの店はないかもしれない、というのだが、いつも同じ台詞を聞かされているので、あまり驚かない。家賃が上がり、客足は減るばかりだという。8月末から始まる「テグ陸上」ではTBSのスタッフだけでも200人がやって来る由。仕出しを頼まれたが面倒なので断ったとか。

2011年7月25日(月)


昼食は、CFさん、LWさんと「남송초밥」という日式定食の店に行く。大邱のお年寄りたちとはいつも必ず参鶏湯を食べるのだが、退院したばかりのLWさんが「油っこいのはまだ体に良くないので、日式にしよう」というので、仕方なくお付き合いする。うどんと寿司のセットで1人15000ウォンらしい。LWさんは腎盂炎から敗血症になり救急車で運ばれ、最近退院したばかり。少し痩せたが、いつものように慎重確実な車の運転ぶり。最近10人目の孫が生まれたという。この秋か来春か、東京に来て、日光・箱根に行きたいというので、具体的に相談する。
お二人とは近くの茶房でコーヒーを飲んでお別れ。年内にはまたお会いしたいとは挨拶したものの、昨年9月以来の再会であったことを思うと、誰かの体調が急変し、これが最後の機会になるのかもしれない。昭和4年、5年生まれの人たちだから、82、3歳。昭和ひとケタ世代の生き残りである。

2011年7月24日日曜日

2011年7月24日(日)

昨夜はトニー氏と乙支路3街の「良味屋」へ。ミノ(牛の胃袋)とテチャン(大腸)が美味で有名な店だという。6番出口を出たらすぐの、通りに面した大きな店。トニー氏と再会を祝って乾杯。トニー氏は翻訳エージェントで、主に日本の新刊小説を韓国の出版社に橋渡ししている。好きな作家は重松清と石田衣良だという。韓国では東野圭吾、奥田英朗をはじめとして、日本の人気作家の新刊はすぐに翻訳され、大きなマーケットとなっている。
「良味屋」のミノやテチャンは、黒砂糖とパイナップルが入ったヤンニョムに漬け込んであるという。ミノはひと切れの大きさに驚く。テチャンもチューブのままである。アジュンマが、炭火の火加減や調節、網の取り替えをこまめにしてくれて、ハサミで食べやすく切り分け、食べ加減のときに「はい、どうぞ」と言ってくれる。柔らかく甘い。痛風となってからほとんど食べる機会がなかったコプチャンだが、たまに食べると嬉しい。独特の食感の喜びにひたる。

今日のソウルは雨。里門ソルロンタンで朝食にしようとタクシーでワン・メーター、鐘路タワー前で降りたが、引っ越していて、そのうえ日曜は休みとわかる。
午後1時のKTXで大邱へ。東大邱駅ではCFさんとCCさんが迎えてくれた。7度目の大邱訪問だが、思ったほど暑くはない。ユニオン・ホテルでおしゃべりするが、父親の年齢とほぼ同年のCFさん、CCさん、LWさんと知り合って約4年、健康面の問題が生じてきた。CCさんは先月初期の胃癌をソウルのサムソン病院で切ったばかり。LWさんは敗血症で入退院を繰り返しているという。
80歳を過ぎれば、何かしら、死に向かっての兆候が現れてくるものだ。
CFさんとCCさんとのおしゃべりで、生きているうちに、金正日が死んで北朝鮮がどうなるかを見届けたいと思っていたが、それが見られる前に自分の寿命が尽きるのではないか、という話や、来年12月に大統領選挙があり、朴槿恵(パク・クネ)が韓国初の女性大統領になれるや否やという話が出た。
ハンナラ党の中では彼女の人気は圧倒的で、保守的な慶尚道では野党の民主党に政権を返すことなど考えられないが、朴槿恵大統領には実は不安があるという。母親の陸英修が文世光に撃たれて亡くなり、フランスから帰国して父・朴正熙大統領を支えるファースト・レディを務めて以来、政治の渦中に生きてきたから、政界遊泳術、権力の仕組みには精通している。結婚もしなければ、子供もいない。しかし彼女が何を考えているのか、さっぱりわからない。北朝鮮に対して、はっきりとした発言を聞いたことがない。金正日と会って、文世光事件を謝罪されたというが、会談の中身は未だに詳細が明らかになっていない。今、下手なことを言って人気が落ちるよりは、来年まで待てば、大統領の椅子が自然にやって来る。(韓国の大統領は5年、1期限りなので、李明博の再選はない)しかし彼女は韓国をどのようにリーダーとして引っ張っていこうとしているのか、その中身は空虚なのではないか。フィリッピンのアキノ大統領のように側近のいいなりになって、大した仕事はできないのではないか、という心配があるのだそうだ。
日曜なので適当な店が見つからず、夕食はCCさんとNOVOTELのレストランでビュッフェを食べる。市内では最高級のホテル。ビュッフェ料理は小生食べ慣れていて点が辛くなりがちだが、さすがにここの料理はまずまず。ハウスワインも美味。CCさんは胃を切ったばかりで、あまり食べられないのに、つきあっていただき、しかもご馳走になってしまい、申し訳なし。(8万ウォンくらい)明日から、ソウルの息子たちの所へ行って、病院で再検査を受けるというCCさんと別れてユニオン・ホテルへ歩いて戻る。途中、大邱駅前の暗い一画を通るのだが、ハルモニが「おいでおいで」をする。この辺り、昔は青線地帯だったのだが、一体まだこんなわびしい所に通う男がいるのだろうか? 声をかけられるたびに不思議に思うことだ。

良味屋


 


2011年7月23日土曜日

2011年7月23日(土)

朝方はほんの少しの間、東京と同じような涼しさだったが、すぐに温度・湿度が上がってソウルの夏となり、蒸し暑い一日となった。河東館で特コムタン、12000ウォン。白濁しておらず透明なスープ。胃や腸も入っているが臭みはまったくなく、塩を自分で入れて味加減をとる。美味しいけれど、ちょっと高いのでは?


これは、昼食。市廳駅近くにある「チンジュ会館」のコングクスで、以前から食べてみたかった、冷やし豆乳麵である。さっぱりして、ソウルの夏にはぴったり。この麵は、他の国では食べられない、珍しいものではないか。小麦粉、デンプン、松の実、そば粉で作られた腰のある麵が、豆乳スープにからまり、ときどきキムチを食べるとそれがまたほど良く合うのである。
東廟の蚤の市を歩いてみたが、あまりの暑さに早々に切り上げ、龍山駅に。駅につながるIparkモール(総合電気街)はクーラーが効いていて、ゆっくり歩ける。KTのoollehという店でiphoneを見せて、simcardを購入できないか、尋ねてみる。店のスタッフである女性のパクジヨンさんとうまく話が通じず、「韓国人の友人はいるか?」と聞かれたので、今夜会うトニー氏に電話をかけ、通訳してもらう。プリペイドsimcardのことを有信カードというらしい。土日は開通できないので、月曜にパクさんが手続きをする。小生は大邱でショップに入って有信カードを買い、開通してもらう。手助けとして、トニー氏が電話で説明する、ということになった。果たしてうまく行くのだろうか?
パクジヨンで思い出したので、ハンナラレコードでペク・ジヨンの第8集CDを買う。最新のアルバムが14500ウォン。CDは売れなくなったが、今やこんなに値段が下がったのだろうか。

2011年7月22日(金)

会社を午後5時に早退、羽田国際空港へ。今日は空いている。冷奴と天ぷら蕎麦で、出発まで時間をつぶす。KE2710でソウル・金浦空港へ午後10時に着き、バスで明洞へ。メトロホテルにチェックインしたのは午後11時半を過ぎていた。ドコモの携帯をローミングしたり、持ってきたパソコンをセットしたり、NHKのニュースを見たりして夜が更ける。