松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年4月7日日曜日

横須賀 横浜

2013年4月4日(木)

2日続いた暴風雨が去り、好天気。
東京駅「銀の鈴」でAさんと待ち合わせて、成田エクスプレスと京浜急行を乗り継いで、横須賀浦賀へ。昨年来の懸案だった山口瞳・治子さんのお墓参り。
浦賀駅前の大衆食堂で美味しいアジフライを食べてから、ぶらぶらと歩いて、顕正寺へ。山の脇にある墓所は、そんなに広くはない。お墓はすぐに見つかった。


平成七年八月三十日    瞳  六十八才
平成廿三年三月十三日  治子 八十三才

と彫られてあった。治子さんは東日本大震災の二日後に亡くなっている。Aさんとお二人のお墓参りをしようということになったものの、旅から旅へのAさんの忙しさもあり、小生の退職後のこの日、ようやく実現できた。横に広い、小ぶりの、形のいいお墓で、瞳さんの父上も母上もここに眠っている。
Aさんも小生も、瞳さんとは生前何度かお会いしているが、愛読者ではあっても深い交流はない。瞳さんの死後、治子さんとは様々なご縁があって、お手紙やはがきもずいぶんいただいたものだった。


観音崎をまわったあと、Aさんの希望で、「血族」に出てくる「柏木田」を訪ねることにした。バスを横須賀中央駅で降り、上町商店街を歩く。「柏木田」という地名はなくなり、上町と変わったことは調べたが、どのあたりが柏木田遊郭の跡だったかがわからない。郷土史地図を店先に貼っていた床屋さんのご主人に聞くと、丁寧に教えてくれた。もらった手書きの地図のコピーにも、『山口瞳「血族」の舞台』と書かれている。
「歩道橋のあたりから左に入ると、バス通りと平行して、すごく幅の広い路があります」と教えられた。
「血族」は、昭和54年(1979)に発表された山口瞳の代表作。山口家の昭和史であり、山口家の人々の肖像と、問い詰めることを避けてきた、母の出生の秘密を身を切るように描いた作品である。



その広い通りは、Aさんと小生の前に忽然と現れ、一目で「ここ」とわかった。かつて、この通りの両側に柏木田遊郭が並び、母の生家である「藤松楼」もあったのである。
「血族」を再読すると、山口瞳が取材でこの町を訪ねていた頃はトルコ風呂や飲み屋が少し残っていたようだ。そのときから35年以上の歳月が流れ、通りの両側には、駐車場とごく普通の住宅がぽつぽつと建っている。「柏木田」という名は、町会名として残っていた。



小説の舞台を訪ねたというより、その土地が持つ歴史と地霊のようなものを感じて、Aさんと小生は横須賀をあとにした。
その後は、山下町に住む作家Y氏を2人で訪ねる。一緒に訪ねるのは数年ぶりで、2人の山口さん(山口瞳、山口淑子)が関わってくるが、その話は後日に。

小生の定年退職祝い、ということで、小宴会を設けてくださった。
Yさん所蔵の魯山人の器やぐい飲みで、Yさん手作りの前菜をごちそうになる。
フキノトウ味噌、あさつきのおひたし、藪甘草のぬたあえ、田芹のよごし。
そのあと、中華街ではなく、麦田町の「長白山」という、台湾人の夫婦が営む中華食堂へ繰り出す。客家小炒、ニンニクの芽と豚肉のスモーク、豚油飯(ラードライス)、搶鍋麺(チャンコーメン)など。名物チャンコーメンは豚骨ベースらしいが複雑玄妙なあとをひく味わいで、店主のオリジナルとか。白酒(水井坊)を飲みながら、リタイア後のあれこれを語り合った。インド通のYさんは、「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」という映画を薦めてくれた。Aさんは週末から、今年何度目かの北京へ。

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