松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2010年10月1日金曜日

ディアスポラ(その続き)

9月17日の夜、沙也可の話から、「アラジン」でC教授が「最近、ディアスポラに関心があって…」という展開になる。文禄・慶長の役で加藤清正配下の武将・沙也可が投降し、金忠善となったという伝承が現在の鹿洞書院につながっている。ちなみにF先生は沙也可研究会を主宰し、沙也可は阿蘇氏の一人であるという観点から調査を進めている。

小生が大邱を訪ねるようになったのは、宮本徳蔵氏の小説「虎砲記」を読み、金忠善の子孫が金海金氏となり、鹿洞書院を中心とした村に住んでいるという物語に魅かれたことがきっかけだった。
大邱を初めて訪ねたのは、2007年の年末だった。記念館を見せてもらうと、展示の仕方も建物も少々お粗末で、失望したのを思い出す。夏場は日本人が乗った観光バスが止まることもあるそうだし、紀州・雑賀説(神坂次郎氏が提唱)が政治家がらみ(経済と観光)で大手を振り、伝承の検証と史実の探求、現実の子孫たちの思惑とは微妙にずれや歪みをもたらしている。

C教授に、小生が10年前に訪ねた、セビリア郊外にあるコリア・デル・リオという村の話をした。支倉常長の遣欧使節団の中で6~8人が帰国せず、スペインに残り、現地で結婚しハポン(日本)という姓を名乗るようになった。コリア・デル・リオには、800名以上のハポン性を持つ人々が住むそうだ。何人かのハポンさんに会ったが、金髪あり、アラブ風あり、東洋系の名残りは感じられなかった。でも時々蒙古斑を持つ赤ん坊が生まれるという。

約400年という歴史を持つ「ディアスポラ」の人々として、遣欧使節団の末裔たちと金忠善の末裔たちとは共通するものがあるのではないか。コリア・デル・リオの伝承については、逢坂剛『ハポン追跡』、宮本徳蔵『スペイン侍』『米の島』という小説がある。

しかしまあ、「ディアスポラ」という概念はいくらでも拡大解釈ができ、ずいぶん便利で恣意的に使えそうである。「漂泊」とか「デラシネ」という言葉に近い、文学的で安易な広がり方をするのではないだろうか。例えばスターリンによってサハリンから中央アジアに強制移住させられた朝鮮人などには、その言葉が適切なような気がするが、金石範氏の文脈における「在日」=「ディアスポラ」というのは、小生には強引にすぎるのではないかと思えて、ちょっと抵抗を感じる。

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