松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年11月12日火曜日

慶大病院

慶大病院といっても、大邱の場合は慶北大学病院のこと。11月9日(土)は、慶大病院駅でLW先生、CC先生、CF先生と待ち合わせし、達西区の「フォトランド」で4人で記念写真を撮る。小生の遊学記念写真也。3人のお年寄りはあまり乗り気ではなかったと思うが、小生の遊びにつきあってもらった。
昼食のカルグクスを食べた後、大邱市北部にある漆谷慶北大学病院へ。同じ慶大病院だが、こちらは郊外に最近建てられた大規模な施設である。夏に脳卒中で倒れたLD先生のお見舞いで、小生も5年前に良洞へご一緒した縁があるので同行した。
鼻から点滴を受けながら、気管の部分には栄養補給のための入り口、車椅子に乗るLD先生に、3人の先生が代わる代わる語りかけた。「私が誰だか、わかるか? LWだよ」といった内容だが、LD先生は首を振る。声がほとんど出ないので、筆談のようなこともしたのだが、LD先生が書くことは理解できない。英語の先生だったので、英語らしき文字もあるのだが、3人の先生は首をかしげる。10分ほど、そのようなもどかしい会話を交わして、病院をあとにする。長い付き合いの仲間が訪れたことがLD先生には理解できたのか、できなかったのか、皆寡黙になって車に乗る。雨も降ってきたので、この日は意気上がらず解散となる。

以下、5年前、mixiに書いた文章を再掲する。

2008年12月30日(火) 慶州・良洞里

 56歳の誕生日なり。今日案内してくださるのは、LWさん、LDさん、CFさん、CCさん、の4人。LDさんとは初対面である。皆さん、78歳~80歳で、산절로「山のまにまに」という山岳会の仲間、元中学校・高校の校長先生である。LDさんは英語、他の3人は国語が専門。
 この日はLDさんの故郷である慶州・良洞(ヤンドン)に連れて行ってもらうことになった。毎回LWさんの運転である。

 昨日行った河回村(ハフェマウル)は大邱から北へ車で1時間半。良洞は大邱から約1時間東に向かい、東海(日本海)に面した浦項市に近い位置にある。河回村は洛東江の堆積地にできた平坦な村だが、良洞は山村である。両班の瓦屋根の家が山の上に、奴卑・使用人たちの藁葺きの家は山の下にある。500年以上前に建てられた家屋をはじめ、約160棟の家が山間に佇んでいる。観光地として俗化されていない、本物の両班村を見せてあげよう、ということであった。
 良洞村は、1467年李施愛(リ・シエ)の乱(李氏朝鮮前期最大の反乱)で功を立てた孫昭(1433~1484)と彼の外孫である儒学者李彦迪(イ・オンジョク 1491~1553)の後孫たちで形成された。
 この李彦迪がLDさんの祖先であり、LDさんはその一族で生家もこの村にある。李彦迪(1491~1553)は、李退渓(1501~1570)と共に朝鮮朱子学史を代表する儒者。「李彦迪は、李退渓の10歳年上。先輩なのか、師なのか、微妙なところで、そのあたりがLDさんとLWさんの関係にも影響があるんですよ」とCCさんが耳打ちしてくれた。LDさんは気弱そうな温厚な老人だが、ぶっきらぼうなLWさんに対して「うちの方が格上」という意識があるのだろうか?

 寒いことは寒いが青空が広がり、山間に点在する村の家を訪ね歩くのは気持ちがいい。陽当たりも良く、のんびりとした村である。河回村と違って、この村には村人が実際に暮らしているのが感じられる。山の上に登り、刈り取られた水田、鉄道、兄山江などを眺める。「朝鮮戦争の時には北朝鮮軍の戦車から砲撃を受けて、ここまで弾が飛んできた」などという話も出る。LDさんは知人のおばあさんに出会って挨拶している。「今日は日本人を案内してるんだ」とでも言っているのだろうか。LDさんの生家も拝見。「農家に貸しているんで汚くしていて…」と謙遜するが、「無恭堂」という扁額を小生に見せたかったらしい。有名な書家が書いた宗家別堂の名前で、意味は「祖先に恥ずかしくないように生きる」ということだそうだ。

 村内の 우향다옥(友郷茶屋)という食堂に入り、56歳の誕生日を大邱老人4人に祝ってもらう。家醸酒(マッコリの上澄みだそうだが、甘く茶色い)、山菜ビビンバ、パジョン、ナムルなど。その素朴さが、美味しい。女将さん、美人でとても感じが良い。
 いろいろな話をしたが、LDさんの父親の話が興味深かった。村を代表する両班の家に生まれながら、妻子を捨てて満州へ行き、その後大阪、新潟へと移り、日本に帰化して日本人と再婚。M組という土建会社を興して新潟で十指に入る成功を収める(越山会?)。この父親とLDさんは1973年、LDさんがオーストラリア留学を終えて日本に立ち寄った際に再会する。生き別れになった息子との再会を喜んだ父は驚くような大金を与え、LDさんは日本中を数ヶ月観光してから帰国した話。1980年に父親が亡くなり、遺骨を韓国に持ち帰った話。妻とは別の日本人女性Iさんが新潟から毎年大邱まで墓参りに来る話…。李彦迪の子孫として生まれた男の波瀾万丈の生涯の、ほんのさわりだけ聞かせてもらった。

※ LDさん=李東琦先生は、11月22日(金)に逝去された。 

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