松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2014年3月1日土曜日

蔚山の倭城

2014年2月13日(木)で、冬期授業は終了。期末試験も無事に通過して、3月から3級のクラスに進学する。翌日、中国人のクラスメートはほとんどが国に帰ってしまった。
ソチ・オリンピックも気になるが、せっかくの春休み、少しだけ旅行をすることに。
まず近場の蔚山(ウルサン)へ。バスで1時間余り、人口約100万人、韓国第7位の大都市で、現代自動車や現代重工業のお膝元である。小生の住む風景荘の家主は、蔚山に住む現代系企業の社長さんだとか。

2014年2月16日(日)
西生浦倭城(서생포왜성)を訪ねる。
太和江(テファガン)駅まで歩く。太和江駅は昔の蔚山駅。KTXの蔚山駅ができたことで、名前が変わったとのこと。
太和江は蔚山市内を東西に流れる大きな川。泊まったモーテルも川沿いだったので、対岸の光景はなかなか良かった。



駅前から715番のバスに乗り、西生浦の停留所まで1時間余り。釜山との市境近くまで南下する。




小さな停留所に降り立つと、右のほうに丘陵が見える。その全体が西生浦倭城である。文禄の役(朝鮮出兵、壬辰倭乱)勃発の翌年(1593)から加藤清正が築いた、韓国南海岸各地に散在する倭城の中でも最も規模の大きな城である。
山頂までは徒歩20分くらいか、トレッキングなどにはちょうど良い規模の丘陵だが、かなり雪が積もっていて、日曜日だというのに、歩いているのは小生1人だけである。








雪の山道を歩き、苦労して山頂の天守台跡に辿り着くと、小屋があって、管理人(?)のアジョシが一人で中にいた。パンフレットをもらい、毎日ここにいるのかと聞くと、そうだという。空は青く、空気はおいしい。雪さえなければ多くの人々が訪ねてくるだろうに、ちょっと孤独なアジョシが気の毒になる。



帰り道、ようやく中年夫婦が登ってきて、すれ違う。
山城から見る日本海(東海)は、なかなかの景色で、ここに城を建てた理由が納得できる。翌日訪ねた蔚山倭城も同様で、見晴らしの良い、ここが一番という場所に城を建てたということだろう。




1594年から、終戦交渉が始まり、1598年には明軍の攻勢があり、日本軍は撤退する。その直後から約300年間、朝鮮水軍の兵営として使われたという。





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