松林寺 大邱・八公山(パルコンサン)にある名刹

2013年7月12日金曜日

創作料理 遠藤さんのこと

作家Yさんに昼食をご招待いただく。Yさんはパリ在住40年で剣道8段、ヨーロッパ各地で指導しており、その一人がティエリー・マルクス。フランスでは有名なシェフであり、マンダリン・オリエンタルの「シュル・ムジュール」を率いる。日本料理をはじめ、世界各地の料理をフランス料理に取り入れた現代創作料理の旗手の一人。
高級ホテルの高級レストラン。メインは魚の天ぷら(家人)、豚(娘)、兎(小生)。素材、色彩、器、サービス、インテリア等、最先端の料理に少々戸惑いながら、パリのエッセンスを味わう。

出発前、Yさんに遠藤雄四郎さんのことを調べてもらった。Yさんがパリ日本人会に照会すると、画家の甲斐さんが遠藤さんと親しかったことがわかった。甲斐さんとは電話で話を聞くことができた。4、5年前に千葉県の病院で亡くなったという。死が最近のことなのに驚き、日本で亡くなったことも意外であった。10年以上前にパリで亡くなり、どこかにお墓があればお参りしようと思っていたから…。

遠藤さんは40年ほど前、吉祥寺にお洒落な雑貨店を出していた。今はそのような店は中央線沿線にありふれているが、当時は珍しかった。上野か浅草の老舗に生まれたが、遊びが高じて生家からは距離を置き、気楽に多くの友人と交流していた。独身時代の家人や家人の姉は、遠藤さんの車で深夜、横浜の「スターダスト」(伝説のキャバレー)に繰り出す、というようなことがあったらしい。
若い女子大生との結婚に失敗し、何やらもめごとがあって、遠藤さんは日本を脱出、30歳くらいでパリに移り住む。パリでの仕事は内装から大工仕事までの何でも屋さん。器用なのでいくらでも仕事はあったらしい。
小生はパリで2度会っている。2度目が31年前の新婚旅行のときで、遠藤さんの家にも泊めてもらった。そのあと日本に戻ったときには我が家にも遊びに来てくれた。その後はパリからの絵葉書や手紙をたびたびもらった。還暦のパーティを友人たちと祝ったこと、心臓の手術をしたことetc…。筆まめだったが、最後の消息は15年以上前の葉書だったような…。大好きなパリで亡くなったとばかり思っていた。
新婚旅行のときの一番の思い出は、Folies Bergere (フォリーベルジェール)というキャバレーに一緒に裏口から入ったこと。好きな踊り子がいたのか、スタッフが友達だったのか、もう忘れたが、遠藤さんはどこに行っても誰とでも友達になってしまうような、人懐こい人だった。
甲斐さんによると、遠藤さんはずいぶん成功したらしく、最後はロールスロイスに乗っていたそうな。女性とはいろいろあったけれど、特定の人と暮らすようなことはなかったそうだ。

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